札幌市、百合が原公園は何度か紹介してますね。
北区に有る(一部東区にもかかってます)総合公園で、昭和58年に開園してます。
面積25,4 ㌶と広大で、ユリの他にもいろいろな花卉、施設があり季節を問わず楽しめます。
冬は雪道散歩、歩くスキーを楽しむ方も多いようです。
ダリヤが見頃の情報が入り、10月12日散歩をして来ました。
鑑賞は好きなのですが、花音痴の自分写真だけのブログに成りそうですがお許しを!!
百合が原公園の位置関係
駐車場から、小さな時計台を通り園内へ。
温室に入らないかぎり、すべて無料です。

園内の紅葉は少し早かったようです。(現在は良い所かも知れません)

見頃はこれから。

ダリヤ園です。
約400 ㎡の面積、 140種、870株が植えられている。

品種を問わず、丁度見頃でした。

冷え込みが増す、10月の時期が一年で最も色鮮やかだそうです。


貴婦人のような赤。

花の中心部から先端にかけてピンクの濃淡が美しい。
『純愛』という品種。

ダリヤの競演です。

白は珍しい、左側『残雪』、右側、変化に富んだ品種です。


初めて見る色、紫でしょうか、『黒豹』

見学をしながら、驚きの表情の方もいました。
私もそうですが!!!

一輪の花ですが、二色です。
花が咲くのは夏ですが、寒暖差の有るこの時期が最も色が濃くなるそうです。
知りませんでした。

ダリヤの甘い香りに誘われたミツバチ。

凛とした表情のダリヤと二色の花。


最高の姿を見せてくれてます。 『ジュエル』

ダリア園は品種の色を考えた、配置がされてます。

大輪の白。

ダリヤは霜に弱く、10月後半に球根を取るそうです。
現在はもう、球根になってるかも知れませんね。
今回初めて知った事、秋の寒暖差が最も奇麗な色を見せてくれる事でした。
農作物(特に果物等)も寒暖差が糖度を上げ美味しく成るのと似てますね。
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- 2016/10/26(水) 14:55:05|
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札幌市の西方向に、藻岩山、手稲山、春香山、円山、等小樽方向に
向かい山麓が続いてます。
手稲山は、過去に札幌冬季オリンピックでアルペン競技の会場になった
ところですね。
今回紹介する、雲海(?)は藻岩山方面で、今までも何回か雲が低くたれ込めた
感じは見たことは、ありましたが今回は雲の境界がはっきりしており、私はかってに
都会の雲海と命名、シャッターを押しました。
朝5時過ぎでした、2度寝、3度寝が得意の自分ですがこの日だけは運が良かったのですね。
虹は、薄い虹は時に見る事はありますが、紹介する光景は札幌では珍しい光景です。
札幌の雲海(?) 9月24日の早朝、よほど条件が良かったのでしょう。

少し角度を変えて。
北海道で雲海見学で、有名なのは占冠のトマムですね。
ピッタリはまった日ですと、素晴らしいようです。

虹、 こんなの見たこと無い(笑) 8月30日 夕方

札幌市で稀に見る虹で、このように札幌市を包み込む 9月23日 夕方
ように、大きな虹は稀です。

札幌市では、先日手稲山に初冠雪が我が家からも確認されました。
今は、姿を消しましたがまもなく、白い世界に変わるのでしょうね。
昔は歓迎でした時代も有りましたが、今は気分が落ち込む季節ですね。
運動不足対策を考えなければなりません。雪道散歩しかありませんか!!(笑)
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- 2016/10/17(月) 10:55:26|
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札幌開拓の歴史は、明治期に入り屯田兵を思いうかべますが、江戸時代末期に人跡未踏の地
に幕府の命を受け幕臣大友亀太郎の功績も大きかった事を知りました。
今年で大友亀太郎着任してから、150年にあたり記念の行事が形画されてます。
報道で知り見学して来ました。
記念館は現在の札幌中心地より、北東にかなり離れた位置に有り当時はここが、札幌開拓の
拠点になった所です。
この場所は、当時は大友の邸宅でもあり大友役所の跡地でも有るそうです。
亀太郎は石狩平野を調べ開拓する場所を入念に探し、農業に適した土地で近くに川が流れ
将来交通の便も良いと決断この地にしたそうです、元村(今の元町)を中心に開拓すること
に決めてます。
開拓の発祥の地である、亀太郎宅跡地に歴史を残そうと『札幌村郷土記念館』が昭和52年
に建設されてます。
札幌村郷土記念館です。
慶応2年(明治維新の約2年前)大友亀太郎が幕府の命を受け石狩開拓の拠点とした所
です。

亀太郎は、この地が開拓に必要な農業に適し、近くに川があり将来交通の便も良いと
考えたようです。元村、親村とも言ったそうです。(現在は元町)
親村とは、将来まわりに移住者を増やし小村を多くしたい考えがあった。

今年は亀太郎着任150年目。
慶応3年には、模範農場(当時はお手作場)、用水路(大友堀として有名)道路、橋など
を作り札幌付近の開拓に大きな役割を果たしてます。

亀太郎が開拓の中心と考えた元村、と現在の札幌中心地との位置関係を見てみましょう。
『わが国の玉ねぎ栽培この地にはじまる』の碑
この付近は、大部分が玉ねぎ畑でした、現在は住宅街となった所が多いですが
まだ、玉ねぎ耕作地を多く見かけます。

明治4年米国から種子を輸入、この地で栽培が始まるの説明。

大友亀太郎銅像。

この場所は、亀太郎宅跡でもあり、大友役所跡でもあるそうです。
後に幕府は崩壊しますね、混乱で離散相次ぐところもあったそうですが、元村では
亀太郎を信頼し、開拓に挑み続けたそうです。
明治3年頃になり、新潟県、福井県、山形県等から札幌元村付近に入植開拓が進み
村々をあわせ、札幌村となってます。

大友亀太郎氏です、ガッチリした体格ですね。

開拓で一番重要だったのが、大友堀でした。(現在の創成川)
現在の札幌市中心街の水源から直線で北に向かい、そこから東北に曲がって
今の記念館の裏で、伏古川に合流する堀を作りました。
この大友堀は、後の島判官による札幌の都づくりの東西の基準線にもなり大きな
役割を果たしました。

現在の大友堀(創成川)です。

館内は昔懐かしい農機具展示が主体でした。
ほとんどが、この記念館建設(昭和52年)に当たり付近の農家の倉庫に眠ってた
もので、寄付された物ばかりだそうです。

昔の動力は馬が大活躍の時代、馬が居なければ北海道開拓は進まなかったでしょうね。

私の実家も稲作農家でした、実に懐かしい物ばかり。

高齢の方は、懐かしいタンス。

五右衛門風呂が見えますね、子供の頃入りましたよ。

大きなノコギリが見えます。 重要な道具の一つだったでしょうね。

ランプの数々、ホヤと言ったでしょうか、ガラスのケース。
スス掃除は子供の仕事、手が細くて中に入ります。

当時の小屋作り風景、まだ木工場の無い時代屋根は大木の皮を使ってる
ようですね。
この写真を見て、先人の苦労が想像されますね。
驚きと、感謝と、感動を受けました。

大友亀太郎は、安政6年(明治維新約9年前)に、函館の近く今の七飯町(ななえ)
の開拓も命じられ、田畑100㌶作り、農家を48戸入植させる開拓もしてたのです。
北海道開拓に貢献した方は多くいますが、その中でも大友亀太郎氏は江戸期から
ですから、我々道産子にとって忘れてはいけない人物でしょうね。
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- 2016/10/10(月) 07:29:23|
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