現在の札幌市西区、琴似市街は今の琴似駅の当たりを中心に、
琴似屯田兵村兵屋 (リンク)が作られ開拓の歴史がスタートした。
調べてみると、琴似地区よりさらに古い江戸後期からさらに、西方面に開拓の歴史がスタート
してる所があった、発寒(ハッサム)地区である。
上記の地図で、八軒、二十四軒の地名が有りますが、これはこの地に最初
に入った入植軒数が地名となり現在も使われてます。
琴似屯田兵村が開村される前よ入植されたのが現在の発寒神社を中心とした地区だったようです。
この地に安政三年(明治元年まで12年)に山岡清次郎以下17名が移住される。
当初この地に稲荷神社が創建され現在の発寒神社の元になった。
発寒神社には、大鳥居が西側と南側参道に二ヶ所あります、不思議な感じ。
稲荷神社、発寒神社の歴史。 創建の繰り返しでこうなったのでしょうか?
西側大鳥居です。

参道入ってすぐに由緒。

立派な狛犬です、 昔はこちらが参道で奥に本殿があったのかも知れません。

発寒神社演舞場、北海道の神社では歴史ある神社にしか演舞場は見かけませんね。

相撲道場、これも北海道では珍しいですよ。

御手洗い場、 手を近づけると自動で水が。

南側からの参道大鳥居、正面が本殿です。
現在はこちらが、メインの参道?

こちらには、発寒神社の石碑が。

神社本殿、参拝。

神社境内の発寒移住記念碑。

屯田兵移住記念碑。

明治八年屯田兵32戸が入植、屯田兵は琴似屯田兵とほぼ同時期ですね。
発寒神社と改称されたのが、明治36年。
西側参道に、狛犬、御手洗い、演舞場、相撲道場がありますが、稲荷神社
創建当時は、こちらが参道で正面に本殿が有ったのかも知れません。
社務所無人でこの参道二ヶ所の歴史に付いては聞けませんでした。
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- 2016/07/15(金) 08:45:22|
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