昨年晩秋の過去ログ
札幌市内から、旧有島武郎邸が芸術の森公園に移設復元された事は、2月19日
ブログで紹介しました。
芸術の森公園は、広い山麓を利用した公園施設と言ってよいでしょう。
そんな中に、美術館、各種趣味の工房研修室が用意されている。
旧有島武郎邸見学後、入館が遅かったことも有り閉館が近づいてる。
美術館だけでもと思い、見てきました簡単ですが素晴らしい作品の一部ですが紹介しますね。
環境は公園そのもです。

美術館前の池、 鴨も晩秋を楽しんでる。

池の中にも、石のアートが展示、分かるでしょうか。 正面は陶工房、右は木工房です。

美術館の展示品光景、素晴らしい作品ばかり。
私には、目の保養です。 販売もしてるようですよ。

木製作品。

日本の香りいっぱい。

陶作品。

花瓶、 『青被(アオセキ)風車文ルリ) 86万円。
しばらく見入ってしまいましたね。

スイス デザイン展もあったようですが、時間切れ。

入館が遅すぎました、広い山麓に遊歩道が整備されており、野外展示場等
工房が点々としてる、公園気分で散歩でも楽しめる所、 無料の所も有りますが
中には有料場所もあるようです。
全部回ってないので分かりません、団体になると札幌市内から無料送迎バスが用意
されてるそうです。
今度、新緑の季節に再訪したいですね。
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- 2016/02/26(金) 10:11:19|
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昨年晩秋の過去ログ
昨年晩秋の頃、北大構内と近郊を散歩してると石碑が目に入る。
石碑、記念碑等目に入るとさっそく、近づく習性のある性格寄ってみる。
そこは、北大に近い北12条西3丁目、 石碑には有島武郎旧邸跡とある。
有島武郎は『生れ出づる悩み』『星座』など札幌を舞台にしており、北海道文学の
恩人とも言われてますね。
ここ、旧邸跡には妻安子の病で、札幌を去り10数年しか住んでなかったそうです。
しかし、武郎の明治34年の手帳には『我が真生命の生れし故郷ハ実二札幌なりき』
と記されているそうです。
札幌農学校時代を含め、思い出多い地であり永住も考えていたのでしょうね。
旧邸跡は実に北大に近い所でした。
有島武郎旧邸跡石碑。

石碑に刻まれてる、妻安子の言葉。遺稿集『松むし』より。
武郎と友人の話を聞いてた安子、友人の結婚はどうですかの、質問に武郎は
『良い事もあれば、悪い事もあるさ』の言葉に対する安子の考えを歌った言葉だそうです。
『結婚は良いものだよ』と答えるような妻に成る思いだそうです。

旧邸は武郎が、札幌を去った後北海道大学の所有となり『有島寮』
として利用、昭和58年廃寮となり取り壊しの話となったそうですが、貴重な建築物
として、芸術の森に復元保存され、当時としては洋風な姿を今に見る事ができるのですね。
札幌芸術の森は、札幌市の南、郊外に40ヘクタールと広大な森を利用された施設で
敷地内には、美術館、工芸館、アトリエ等研修施設がそろっており、彫刻、絵画、版画、木工房
ガラス、陶工房、クラフト工房などが森の傾斜を旨く利用、点々と施設が整備された素晴らしい
所でした。
札幌市民の私も入場は、初めて観光気分で散歩でも十分楽しめますね。
林と池に囲まれた所に、有島武郎旧邸は復元されてました。

モダンな洋風住宅の先駆けとなったそうです。

玄関を入ったところ、実に落ち着きのある重厚な感じをうける。

有島と札幌のつながりが、説明されてました。
写真は現北大教授時代のころ。

当然、武郎全集が。

有島の一句です。 大正11年44歳、信州木崎湖畔の夏季大学講師
として、ついた頃の歌だそうです。(書は複製)
『砂にゐて佐渡を見居れは涙しぬ
かそけくなけく我にやわ似る』

有島家のアルバムの一部。

祖母との写真でしょうか。

2階へ。
何か今の建築と違いますね。 なんなのでしょうか。
落ち着く。

洋風の香りのなかでも、和風の香りもする。

明治時代の設計とは思えません。

有島の手帳に残されてた、住宅の設計図。
ほとんど、有島の考えでこの住宅は設計されたそうですよ。
土地は賃貸だったようで、坪数405坪、賃料3円51銭とあります。

2階の一室。

珍しい工夫が有りました。
女中室との伝声管です。

こうして、用件を伝えてたのでしょうね。
ヒソ、ヒソ話できませんね。(笑)

札幌芸術の森は、国道453号線沿いで支笏湖に向かう国道ですね。
少し札幌から、離れてますが非常に環境が良く子供共ども楽しんでる方も多くいましたよ。
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- 2016/02/19(金) 12:02:39|
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第67回札幌雪まつりも2月11日で閉幕されましたが、来場者200万人とは世界的
な冬のイベントに発展したものです。
外国からの観光客も多く、中心部は何処も人、人、人、そんな状態の雪まつりでした。
そんな雪まつりのルーツが小樽に有ったのですね。 小樽市北手宮小学校です。
本年度で閉校が決まり、最後の雪まつりが6日開かれ、 ルーツを訪ねてきました。
昭和10年が初回で、その時の作品、七福神の布袋様の大雪像が校庭に再現されてましたよ。
現在在校生が9人との事で、PTAやOB、地域住民の協力で完成したそうです。
他の雪まつりと違い、校庭の雪を踏み固め『切る、運ぶ、積む、刻む』で作り上げる
雪の手芸品ですね。
学校は坂の町小樽ですね、急坂を登ったところでした、裏は林に囲まれ非常に環境の良い所
校庭に向かいスキーができる、自然のスロープがある。 うらやましい学校。
地図から見ると、北手宮小、手宮小、手宮西小3校が統合されるのでしょうか。
住宅街の端、急坂を登った所。
夏は緑多い静かなところ、冬は裏山で自然のゲレンデそんな所でした。

駐車場から小樽港が一望できます。

別角度から、坂の町小樽ですね。

校舎の一部、雪まつり資料館になってる部分です。
現在は在校生9人ですが、多い時は700~800人だったそうです。
3階建ての大きな学校、駐車場からの写真でも分かりますが、住宅街は広い
なぜ、9人の在校生なんでしょうか?

校舎の裏に校庭があり、そこが雪まつり会場。

昔の生徒数が想像できますね、大きな学校です。

第1回(昭和10年)の布袋様と同じ雪像で最後を飾ったそうです。
でも、大きさでは第1回の高さ8㍍でしたが、今年は5,5㍍だったそうです。

札幌雪まつりの、ルーツとなった第1回の布袋様大雪像です。
立派です、昭和10年ですからね。

もう一基の雪像、ネコバスケ。

最後の雪まつりとあって、卒業生、父兄を含め大勢の人が楽しみ、懐かしみ
昔を思い出してるようでしたよ。

マスコミの取材も多く、今年の卒業生取材のように見えた。

第1回の昭和10年に、同校2年で参加した小樽市のYさん(88歳)
が、思い出の長い取材を受けて、当時の雪まつりを語っていました。

校庭の裏山から、自然のゲレンデが、町の学校では想像もできませんね。

雪まつり資料館を見せていただきました。
雪まつり資料館と言うより、北手宮小学校歴史資料館と言ってよいほど
歴史のつまった、資料館でした。 昭和63年開館だそうです。
雪まつり風景は当然、写真コーナー、運動用具類の変化、生活用品の変化
児童作品のいろいろと、2教室を使った展示品に見とれましたね。
一番の感激者は、高齢の卒業生のようでした、写真等記念の展示場所では数人で感激の
声を上げ、離れられずにいました。
閉校後、統合学校ではこれら展示品どうなるか心配になりましたね。

雪まつり、生みの親高山喜一郎先生です。
昭和8年、北手宮小学校長として着任、昭和10年第1回雪まつりを開催したのですね。
先生は、在職中に市議会議員を1期勤められたそうで、無所属だったそうですが
自らは、子供党と言ってたそうです。

高山先生の雪まつりの考え方が書かれてます。

スキーが盛んだった事が分かりますね。

展示品の種類が多い、私にも懐かしい竹スキーも有りましたね。

北手宮小学校の雪像は、まつり終了後も取り壊さずそのままにしておくそうです。
自然のままに融け消されるにまかせ、去り行く冬を惜しみ、明るい春の訪れを待つのでしょうね。
現在の在校生は、雪まつりは、どの学校行事よりも大事なもの、統合後の学校でも続けてほしい
と話してるそうです。 希望がかなうとよいですね。
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- 2016/02/12(金) 08:30:59|
- 小樽
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1月3日、しばらくぶりに北海道神宮に初詣をしてきました。
私の自宅近くには、琴似神社、新琴似神社、発寒神社と有りますが今年は北海道神宮へ。
昨年は胃がんの手術も、元気に回復途上(平成20年には大腸癌も経過良好)
ファミリーの健康とすこやかな年となるよう、私の回復のお礼と共に神宮へ。
北海道神宮は札幌市の西方面、札幌市を日本海からの雪雲を遮断するかのように
藻岩山、大倉山、円山、手稲山、春香山等が連なりその山ふところの円山地区に北海道神宮
は創建されてます。
近くには円山公園、円山動物園、円山球場などあり、桜のシーズンには花見で賑わってますよ。
歴史ある神社ですから、境内も広く大木に囲まれてます、夏の時期には日陰を求めて参拝も良いですね。
今回は南門から参拝に向かいました。

途中参道には、開拓神社があります。
間宮林蔵等開拓の功労者が数多く祀られてます。

3日の参拝でしたが、まだまだ参拝者が多い。

明治4年に札幌神社と命名され、昭和39年北海道神宮となったようです。
創建当時は、現在の札幌市の中心地だったそうです。場所ははっきり記録が無いようです。
『ありがとうと、感謝の気持ちで本殿参拝』

今年の積雪の少なさが、分かりますね。

おみくじ結び、本年の運勢は!!!

本殿から振り返って、中央の表参道でこの奥に大鳥居があります。
北海道開拓当時カラフト、千島進出を進めていたロシアに対する守りということで
、大鳥居が北東を向いています。

境内でひときは目立つ大木、御神木でしょうか。

札幌市内中心部には、地下鉄で向かいますが通路には動物、鳥の模様が!!
円山動物園のイメージですね。

北海道神宮の歴史を見てみると、円山への移転は必ずしも良いことばかり
ではなかったようです。
中心部から遠い、道路も未整備で参拝もままならなかったそうで、神社運営の面で大変
な時期が続いたそうですよ。
現在は季節関係なく、参拝者を見かけますね。
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- 2016/02/05(金) 11:10:18|
- 札幌
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