ドサンコ(北海道和種馬)2頭と日本縦断を完徹した獣医学部生山川君が、学内で講演会
を実施された事が大きく報道されてました。
実名報道と全国各地でも、マスコミ報道が有ったそうでブログでも名誉をたたえ実名とさせて
貰います。
2頭は『みっちー』と『ゆっきー』との名で雄のドサンコです。
北大の馬術部厩舎は、広い北大校内でも最北端に有ります、自宅から散歩圏内『みっちー』
と『ゆっきー』に会いに行って来ました。
ドサンコ馬は昔は農耕馬として、一軒に一頭で農耕にはかかせない大事な馬でしたよ。
会いに行きましたが残念ながらいませんでしたね、聞いて見ると今わ牧場で旅の疲れを
癒してるそうです。
昨年散歩で寄った時、外で日光浴をしてる所で会いましたので、その時の写真紹介できます。
おっとり、やさしい目をしたドサンコで部員に可愛がられてのが伝わりましたね。
北大馬術部厩舎入り口です。さすが馬術部扉にも工夫がありますね。

手前が馬術部室で奥に厩舎が見えますよ。

日本一周のドサンコ『みっちー』と『ゆっきー』です。
馬術馬やサラブレットと違い、背が低く、足が太くどっしりしてますね。
日本一周は昨年8月から今年3月にかけ、約3500㎞の旅路だったそうです。
車中泊ぶらり旅で、日本一周4回経験しましたが、山川君と2頭のドサンコの体力、気力
忍耐力に尊敬しますね。
特に感銘したのは、日本最西端の沖縄県与那国島まで成し遂げたことですね。

大きく報道された記事です。
旅を続けるにしたがい、馬と人間の主従関係ではない、一つの群れになった気がしたそうです。

北大構内には、遺跡発掘場所が多く有りますが、ここ馬術部練習場近くでも発掘されてます。
この辺一帯から、続縄文文化〜擦文文化時代の集落跡、遺跡が発掘されてます。
門を入ると説明板が有りました、今まで何度か行ってますが気づきませんでしたね。
竪穴住居8基、擦文文化時代。 野外炉6基など1998年に発掘されてます。

土器類が発掘された当たりです。 大きなオンコ(イチイ)が見えますね。

厩舎です。 左の馬術練習場下には竪穴住居跡が発掘されてますが
そのまま眠ってるそうです。

厩舎でお会いしたオジサン、馬が好きなのですね。
新鮮な草をサービスしてました。

馬場の遠くにいた馬に声を掛けてみました、そろり、そろりと近づいて来る。

声を掛けてだまって見てるわけに行きません、近くの新鮮で喜び
そうな草を探しましたよ。

今日の練習終了したのでしょうか、厩舎に入る所です。
女子部員でしたよ。

東北の被災地の子供達には、特に喜ばられ先を急がず存分に馬とふれあって
もらったそうです。
将来の夢は馬を集めた動物園をつくり、動物とのスキンシップを楽しんで
貰う事だそうです。
部員との話では、部活の費用が不足で苦労してるそうですよ。
話によると、部員のアルバイトのお金も一部部費として活用してるとか
頑張って下さい。
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- 2015/07/27(月) 07:10:16|
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自宅近くを流れる、新川水系琴似川直線で石狩湾に注がれてます。
立派な遊歩道が有り、両岸には桜が植樹され春を楽しませてくれます。
自宅から海岸までは、約15㎞ほど今の自分には散歩の距離を大巾に越えている。
運動不足解消に、ママチャリで出かけた時の話です。
海岸近く成った所に小さな公園のような所が、そこが『バッタ塚』でした。
『貝塚』は聞いた事あるが、何『バッタ塚』とは??
場所はこの当たりでした。
そこは、明治13年〜明治18年にかけ、バッタ(トノサマバッタ)が北海道を広く襲い
開拓当初の北海道の農業に大打撃を与えた歴史が有ったのです。
農作物はもとより、緑の物は何も残ってなかった程の大郡来だったそうです、群れが去った
後は、ただ赤い土と、大量の卵が残されているだけで農民は呆然とするだけでした。
バッタ塚入口は小さな公園のようです。

説明板が有りました、詳しくは札幌市手稲紀念館で知る事ができますよ。

石碑です、『バッタ塚』とあります、手稲町山口とありますから、札幌市と合併前ですね。

バッタの大群が去った後には、大量の卵だけが残されました。
農民は厳寒の北海道で越冬は出来ないと考えたようです、しかし、翌年羽化したそうです。
そこで、卵、幼虫を集めこの場所に埋め土まんじゅうに成り残ったのですね。

何ヶ所にもあります。
最初は十勝で大発生したバッタ日高、勇払原野へ移動、そこで群は二つに分かれ、一群は
虻田方面、もう一群は北上して札幌に入ったのですね。

この土まんじゅうは分かり易いでしょうか。
中央政府も津軽海峡を渡るのを恐れ、屯田兵、囚人を総動員して対策をしたそうです。

アイヌの人たちは『カタカタ』と呼んでいたそうです。
バッタの飛ぶ音からきてるのでしょうね。
私が子供の頃にも、トノサマバッタ見ましたね。とにかく大きい記憶が有りますね。
明治17年夏は低温と長雨が続いてバッタの勢力が弱まり大発生は終ったそうです。
先日知床自然遺産10周年記念番組を、見てると知床半島の根元斜里町の開拓期でも
バッタの大群に苦労された話がされてましたね。
北海道の開拓の歴史では、本州からの移住者の食料、厳寒の地での生活の苦労
だけでは無かったのですね、現在の私どもに想像もできない苦労の歴史が有ったのでしょう。
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- 2015/07/21(火) 07:45:13|
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6月26日 過去ログ
百合が原公園は何度か紹介してますが、札幌市のほぼ北端といえる位置です。
バラが見頃のニュースでさっそく訪問して来ました。
今年は雪解け以降の気温が高めで、例年より1週間程早いそうですよ。
百合が原公園ですから、世界のゆりが多く有るのは知ってましたが、バラもこんなに多く
有るとは今回知りました、公園が広く全部回ってない証拠ですね。
百合が原緑のセンターです。
緑の相談、温室、高山植物のロックガーデンがあります。

ローズウオーク開催案内。

園内遊歩道に入りました。

さっそくバラの香りが風とともにやってきます。
ルイーズオデイエ(左) マキシマ (右)

この先が楽しみなバラ、 ウイリアムロブ フランス。

純白で可憐な雰囲気、ポンポンブランパルフェ フランス。

バラの雰囲気とちょっと違うかな、 コンプリカタ

『ローズウオーク』色とりどりな花が迎えてくれました。
百合が原公園は、遊具広場、パークゴルフ場(無料)芝生広場等散歩には最適。

写真目的の方も多い、自分もそうですが(花音痴なのに)

スイートジュリエット(左) リンダキャンベル (右)

ジプシーボーイ、 ドイツ。
同じ花芽からですが、微妙に色合いが違いますね。

気持ち良い、散歩道です。 花音痴でもこれならOK.

混植の場所、いろいろ種類が見られますね。

シャーラヒグルト、バラのイメージと違います(左)
ママイユ、フランス。 ハマナス似ですね。 (右)

小ぶりですが、立派な花を見せてますね。 エンプレスジョセフイーヌ
小さくても訪問者を歓迎してます。

マダムルグラドウ サンジエルマン。

ボトウザリス、フランス。

グラハムトーマス。 私には黄色系は珍しい。

『ローズウオーク』散歩後公園を散歩。
パークゴルフ場です、友人と何度か来てます。(無料)

園内のサイロ、この地方は開拓時代牧場が多かったそうです。
小学生の遠足のようです。

園内の池に二羽のカモが、

『リリートレーン踏切』
園内をゆっくり一周してきます、百合が原公園は昭和58年に総合公園として開園
面積25㌶と広大な公園です。

公園のシンボルはユリですね、100種類のユリが迎えてくれます。
今が開花の最盛期かも知れませんよ。
私が訪問した時、一部ですが開花の姿を見せてくれましたよ。

開花してたユリ。

広大な公園には、針葉樹や広葉樹も多く、暑い日差しから守って
くれますが、これは、ユリを風や強い日差しから保護する役目もあるそうです。
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- 2015/07/15(水) 07:29:39|
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前回京極町で思いがけない駅逓所に巡り会え紹介しました。
平成25年、26年にわたり道東、道央、空知地方の駅逓所めぐりのミニ車中泊
ぶらり旅をしましたが、それぞれブログで紹介しましたね。
『駅逓所の役割』について簡単に説明したブログがここに有ります。
現存する、駅逓所は現在8ヵ所保存管理されてます。
今回6ヵ所についてまとめましたので、リンクで紹介しますね。
1、 雨竜郡沼田町、
本願寺駅逓所、沼田神社、鐘のなる町秩父別町。
2、 旭川市、
旧忠別太駅逓所〜現存する貴重な歴史遺産〜三大河川の合流地点〜
3、 南幌町、
旧幌向駅逓所、本州各地からの入植の地〜南幌神社〜
4,
旧島松駅逓所は北限の稲作発祥の地〜クラーク博士お別れの地。
5, 札幌市、
簾舞通行屋(みすまい)〜旧黒岩家住宅〜故郷の風景でした。
6, 根釧原野別海町、
旧奥行臼駅逓所〜別海町文化財旧標津線奥行臼駅〜
ブログで紹介した他の駅逓所は、ほとんどが石碑のみでしたね。
他に現存する駅逓所は上藻別駅逓所〜紋別市。ソーケシュオマベツ駅逓所〜喜茂別町(北海道開拓の村
に復元移設)見てますが、ブログを書いて無い時代で写真が有りません。
簾舞だけ通行屋表現ですが、江戸時代は通行屋という制度だったそうです。
又、旧奥行臼駅逓所は昨年から補修工事に入ってると思います、5年ぐらい掛かる話でした。
駅逓所は北海道開拓の歴史と、深い関係が有ります、訪問し立地されてる場所
を見ると良く分かりますね。興味の有る方はドライブの途中寄ってみて下さい。
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- 2015/07/10(金) 07:30:21|
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平成26年初秋 過去ログ
平成26年初秋の頃、道南旅行の帰り初秋とはいえ好天気で暑い日休憩とふきだし公園
の水を求めて立ち寄る。
京極町の『ふきだし公園』は羊蹄山に降った雨や雪が地中にしみ込み地下水となり
長い年月をかけ、湧き水となって、再び山麓周辺の地表に表れた物。
京極町の『ふきだし公園』は多く有る羊蹄山の伏流水の中でも有名で、水温は年を通して
6〜7度C、一日80,000トンの水量、水質と同時に貴重な水資源です。
公園の駐車場から、50~60㍍離れた小さな林に石碑が見える、歴史、史跡、開拓の歴史等
で旅が多く成ってから、石碑を見ると何でも近づく習慣が付いてしまってる。
今回もいつも通り、近づいて見ると何とこの場所に駅逓所跡の石碑だった、私には大発見
平成25年、道東、道央、空知を中心に車中泊をしながら駅逓所めぐりをした経験が有った
からです。
道南地方の駅逓所に付いては、未調査だったのでまさか偶然にこの場所で発見とはラッキー
でした。 これで道南地方の駅逓所調査の機会になるかもしれませんね。
これが、新発見の『下目名駅逓所』跡です。
駅逓所は、本州で言う宿場町に似てます、規模は全然違いますが役目は似た所が有ります。
明治2年、開拓使が設立、開拓に必要な人、物資の移動に必要な内陸道路の開削が必要となり
旧ピッチで進められてます。

開拓を進めるには、休憩、宿泊施設、人馬の引き継ぎ立て場所として必要とされ
出来たのが駅逓所でした。
近づいて見ると、入口への坂道がありこの奥に駅逓所が有った事が想像できます。

明治41年頃になると、全道に官設の駅逓所は211ヵ所になってます。
坂道を上がってくと、整備された庭園があった事が分かりますね。

羊蹄山麓エリアで明治から大正にかけて開設された駅逓所は12ヵ所あり
この下目名駅逓所もその一つでした。
宿泊料は場所により違い、22〜60銭ぐらいだったようです。
函館から札幌までの交通路の開削には、この場所に駅逓所が必要だったのでしょうね。
年中水の確保には心配がいらない場所。
上の平らな場所が駅逓所跡のようです。
かなり広い敷地だったようです。
京極町に近い国道5号から見る羊蹄山です。
羊蹄山は『蝦夷富士』とも言われ、容姿と共にその成り立ちも良く似てるそうです。
誕生は5~6万年前と言われてます。

『ふきだし公園』湧水口に向かう遊歩道。
札幌から大量の入物を用意して来る方も多いですよ、喫茶店の店長さんとか!!

湧水口です。 山麓の所々に有る中では最大です。

駐車場から湧水口までは少し距離があります。
手押し車も用意されてます。 入物の無い人の為販売もしてるようですね。

湧水口を見てると流しソーメンが食べたくなりますね。
下目名駅逓所跡に立ってみて、何でこの場所だったのか少し考えてしまいましたね。
この地方に必要なのは理解できるのですが、場所が地形的に少し不便な場所に見えたからです。
多くの駅逓所跡を見てきましたが、多くは大河川の側、各地からの人の往来に便利な所でしたから!!
この羊蹄の伏流水に負けたのでしょうか。
北海道には現在、8ヵ所の駅逓所跡が現存して守られてます。
後で紹介しますね。
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- 2015/07/05(日) 10:45:05|
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