百合が原公園、温室展示室で柑橘類の展示会の報道がされた。
百合が原公園は北区ですが、東区との境界とも言って良い場所です。
丘珠飛行場が近くで、畑作農家も見かけましたが最近は民家多く住宅地に変わりましたね。
名前の通り夏には、約100種類の百合を楽しめます、開花期は6月〜9月下旬でピークは
7月中頃だそうです。
百合が原公園は広く、森の風景も多いせっかく行くのなら最近の運動不足解消に
雪原を歩いて見る事に、完全冬山装備で出発。
実は気持ちの中には、歩くスキー跡、最近はやりのカンジキ歩き跡が有る事を
期待してのことですが。
案内板です、広い公園ですよ。 昭和54年造成。

夏には公園外周の良い散歩道ですが、 期待通り細い歩くスキー跡有り。

百合が原緑のセンター。

センター近くの時計塔。

完全装備で来ましたが、一部にふみ跡があり楽。

サイロの風景、北海道をイメージしてますね。

園内の一部にはコースは短いですが、散歩希望者のため
除雪のところもありましたよ。

サイロ近くまで来ました。

少し汗ばむくらい、ジャンバーはリュックに。

この当たりは百合のシーズンには楽しめるところです。

想像より雪は少なく感じました。

ふじ棚です。 6月上旬から中旬が見頃ですね。
花が終ると涼しい日陰の休憩に成ります、何度かオニギリタイムした事があります。

花壇広場の当たりですが、池も有り危険ですね。

ダリア、バラ、かおりの庭等楽しめる当たりと思いますが
雪景色になると感覚が思い出せない。

除雪の散歩道に出ました、楽。

この方向にも池が有ったはず。 迂回ですね。

春まで頑張る松です。

百合が原公園には、芝生広場、遊具広場、無料のパークゴルフ場など有ります。
百合や花以外でも楽しませてくれ、ゆっくり時間を過ごせる公園ですよ。
公園内を一周12分ののんびり、リリートレインも子供達の楽しみ、大人もOK
踏切です。

百合が原駅舎、夏の開業を待ってます。

リリートレインコースの奥の森方角に風車が見える。変わった動きをしてる。
昨年まで気づきませんでした、雪中行進で近づいてみることにした。
風速、方角により変わった動きをする。どんな方角にも対応できる
動画を撮ってみました。
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VPS 柑橘展、温室の風景後で紹介しますね。
この日は、筋肉痛普段の運動不足がバレますね。
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- 2015/01/31(土) 10:58:12|
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平成26年11月16日 過去ログ
昨年秋道南方面ドライブのさい、久し振りに立ち寄った登別温泉街紹介します。
北海道でも有名な観光地ですが、道産子でも以外と訪問しないものですね。
私は10年振りくらいになりました。
登別温泉は地獄谷の他に、大湯沼、大湯沼川天然足湯、奥の湯、大正地獄と観光の多い
所ですよ。
それぞれの所に遊歩道が整備されており、時間と足に余裕の有る方向き。
冬期は無理ですね、夏には車でめぐる事もできます。
地獄谷到着です。

温泉街を歩いて見ました、予想外に観光客が少なく感じました。
外国の方が多い。

第一滝本館、登別を象徴する旅館ですね。
ホテルの言葉が似合わない旅館であってほしい。 中学の修学旅行思い出の旅館。

温泉街から地獄谷方面へ。

遊歩道が整備されてます。

地獄谷は直径450㍍の谷底には、大地獄を中心に15の地獄があり、
毎分3000ℓが湧出してるそうです。 まさに爆裂火口ですね。

振り返って見る、温泉街第一滝本館です。

地獄谷の谷底に近くなりました。
約1万年前、笹山という活火山が噴火した時の爆裂火口跡、面積約11㌶もあり
数多くの湧出口や噴気孔があり、泡を立てて煮えたぎる風景が『鬼の棲む地獄』
の由来となっている。

谷底に向かい木道が有ります、それ以外立ち入り禁止。

木道の奥で遊歩道は終わり。

観光客の大部分は外国の方、政治ではギクシャクしてる国
観光には来てくれる、有り難いですね。

晩秋の頃、スズメが地熱の有るところで休憩です。
分かりますかね、中心ぐらいです。

登別温泉は『温泉のデパート』と言われるくらい、多泉質が湧き出してる。
そして、毎分3000ℓです、世界的にも珍しいそうですよ。
湯の川。

木道の最後に間歇泉です、 ここのは優しい間歇泉。

カメラ動画ですが、撮って見ました。 1分06秒
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VPS 温泉街に戻りました、登別温泉のスター(?)赤鬼、青鬼です。
節分も近いですね。

温泉街を歩いてると、何処かから爆音のような異様な音がする。
間歇泉でした、第一滝本館近くに泉源公園がある。
ここにも間歇泉有る事は知りませんでした、如何にぼんやり観光してるかですね。

動画です。 29秒
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VPS 帰り道の国道453号線支笏湖では、夕日の時間に成りました。

地獄谷を歩いてると、本当に地球は生きてる感覚に成りますね。
昨年は悲しい噴火事故が有りましたが、火山国日本ではそんな所が観光地に成る。
普段の観測、研究が望まれますね。
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- 2015/01/28(水) 12:02:33|
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今日は早朝から夕張市に向かいます。
昨年の暮れ頃、珍しく早めの目覚めカーテンを明けると空が赤い、東側のベランダに移動
いつもと違う朝日、朝日と言うより朝焼け紹介します。
マンションの屋上に顔を出したところでした。

ピラー現象にも見えますが、少し違いますね。

夕焼けでは、条件により見かけますが朝焼けは初めてかも知れません。
条件がそろえば、また違った姿を見せてくれるのですね。

市内に日が射してきました。
一気に目覚めましたね。

この日以来、前日の天気予報を見ながら早起きしてみるのですが
この日のような目覚めを経験することはまだ有りませんね。
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- 2015/01/25(日) 06:57:15|
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平成26年11月26日 過去ログ
登別市郷土資料館は、幌別地区にありました。
この地区の開拓歴史は、明治元年東北の大藩であった仙台藩が新政府軍と敵対し敗北
仙台藩士の片倉家の白石城は接収され、家来と共にこの地に移住する道を選んだのですね。
片倉家は武士の身分を剥奪されることなく移住、身分を守るための一つの方法だったのですね。
又、新政府側も東北に残すより、遠い北海道に移住させた方が反乱の心配も無く成ると言う
考えもあったそうです。
登別市郷土資料館のモデルは、東北の白石城だそうです。
明治から昭和の生活用品、農業、産業器具、アイヌに関する資料など豊富な資料が展示されてます。
当然、片倉家に関する資料、開拓の歴史など詳しく説明されてますよ。
札幌から国道453号で支笏湖畔を通る。
曇り空の支笏湖、こんな雰囲気も良いものです。

樽前山と風不死岳が見えます。 何度か登山をした山です。
奥の山が樽前山。

登別駅、道産子でも寄らないものですね、実に懐かしい。
中学時代の修学旅行で利用して以来かも!!
旭川近郊の田舎中学、修学旅行先は登別温泉と洞爺湖温泉でしたよ。

北海道の観光地ではクマですね。
古い話で申しわけありませんが、小学時代の修学旅行は札幌、小樽でした。
どちらかに一泊、思い出すのは米を2合ほど持参の旅行でしたよ。
旅館に到着すると渡す、昭和20年代後半旅館ではまだ、米確保に大変な時代だったのでしょう。
米農家が多い学校に要請したのでしょう。

東北白石城がモデルの資料館です。

御衣黄と言うサクラ。(ぎょいこう)
江戸初期の頃、京都仁和寺で観桜されたのが最初だそうで、高貴なサクラとして
宮中の観桜の宴で首座をしめてたそうです。
見頃は5月20日前後から5日間ほどだそうです、淡い黄緑から、しだいに濃さを増すそうです。

晩秋の頃でした、白石城がモデル。

片倉家の故郷宮城県白石市。

白石城です。

東北白石との関係資料の展示。

片倉家、武士ですね兜です。

片倉家のコーナー。

片倉家家族写真です。14代健吉と子供達、右の二人は景光の子供。
開拓も進み落ち着いた頃の写真でしょうね。

開拓初期の風景、まず住む所が必要ですね。

登別の自然コーナー

生活、文化コーナー。

何故かカメラ歴史コーナーも。

懐かしいですね、二眼レフです。
友達が使ってたのを思い出しました。

農業コーナー、北海道の歴史資料館ではどこも似た資料が多いですね。

太古の時代の想像展示です。

この地区で発掘された、4万年前のトドマツの化石です。

住まいのようす。

生活用品。

北海道ですね、アイヌ関係資料コーナーも有りました。
この地区は、白老地区を含めてアイヌの歴史が古く有るのですね。
知里真志保氏の資料が多く展示されてます。
アイヌの言語学者で文学博士で大学での指導教授は、金田一京助。
『アイヌ神謡集』の著者知里幸恵は姉になります。幸恵はアイヌ語地名研究者としても
有名ですが、19歳の若さで死亡してます。
奥の婦人写真は、金成マツさんで大正から昭和の婦人伝導師、
アイヌ文化(ユーカラ)の伝承者。

私たちが現在、何気なく生活してる中にも先人の開拓の苦労が有って
成り立ってるのですね。
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- 2015/01/22(木) 11:19:03|
- 北海道
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先日のブログで書きましたが、私は平成20年大腸癌でK病院で手術を経験してます。
6年が経過しましたが、年一度の検査を受けてます。
13日にCT造影検査、その結果を聞きに16日行ってきました。
1時間ほど早く到着、入院病棟だった3階には広い談話室がありお茶もある。
そこで待つことに、歩いてると浴室の前を通る。
私の手術は12月26日、初風呂が1月2日でした。
手術跡に防水テープ(?)を張り楽しみに入浴室にいったことが思い出されました。
先に一人のオジーチャンが入浴中、テープの位置から見て同じ大腸癌のよう。
挨拶だけで無言で入浴してると、急にオジーチャンが一言話しかけてきた。
『オジサン』は『ありがとう』と言ったことがありますかとの質問。
私は急なこの会話にとまどってると、『ワシは今までありがとうと言ったことが無い』
『酒と気短な性格で迷惑ばかりだった』
そんな会話がボソ、ボソと有りようよく私はオバーチャン、家族に対して『ありがとう』
と言った事がない、そして今回癌の手術をして今までの生活を思い返しているのだと
感づく。
『オジサン、男は、ありがとうと言える人は少ないと思いますよ』
オジーチャンに反応がない、『特に私どものように高齢の年代の人はそうでないでしょうか』
『そうかな!!』の一言。
オバーチャンは毎日のように、見舞い、看護に来てるようでしたが、オジーチャン
『ありがとう』と一度でも言ったのかな、言えてないかも知れませんね。
診察までの待ち時間、6年前の風呂場での会話を思い出してました。
男は『ありがとう』の言葉の使い方、伝え方難しいですね。特に家族には。
友人、同僚などは『サンキュ』ですませて来たでしょうか。
『ありがとう』の言葉の響きは良いですね、これからそうしようかな、もう遅いですね。
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- 2015/01/19(月) 07:17:25|
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平成26年9月 過去ログ
藻岩山はロープウエイも設備され、山頂にはレストランもあり札幌市内を一望できる
市民憩いの場でもあります。有料ですが車でも可能ですよ。
その藻岩山北斜面(慈恵会病院前が登山口)に戦争当時の砲台跡とのガイドブックを見た
記憶があり歩いてきました。南斜面には現在のスキー場がありますがそこからは、何度も
登山はしてました。
最近になり、その砲台跡は終戦直後札幌に進駐した米軍が昭和21年秋になり、クリスマス
まで完成するよう命じられたそうです。
工事の現場監督が後に知事となった故堂垣内尚弘氏が担当だったそうです。
ブログ投稿今になり良かったです、砲台跡として間違った紹介をするところでしたね。
登山口です。

藻岩山登山には何箇所かの登山口が有りますがこのコースが、一番人気の
コースだそうです。
案内板と注意書きです、この場所は天然記念物の原始林でこの場所に米軍専用
のスキー場を造ることに道庁と衝突したそうですが、敗戦国造らされたのですね。

登山道には所々に古い石像が。

藻岩山原始林、天然記念物説明の石碑。

私は初めてのコースですが、人気のコースで有る事は直ぐ分かりました。
登山者が多い。

札幌に近く、原始林の国有地を登山できたのですね。

カタツムリ発見、中心です。

高度が上がるにしたがい原始林らしく。

家族連れの方も多い。

また、石像です。

保護されてる原始林、大木です。

昔から保護されてる事が分かりました。札幌市を見下ろせるところに
こんな原始林が有ったとは嬉しくなります。
スキー場を造れと言う米軍と衝突するのも歩いてると分かりますね。

登山道は歩き易い。 高齢者には最適。

古木から、次の世代の芽を多く見ました。
倒木も自然のまま!!!

倒木から新しい木が育ってる。

自然のままの登山道、これぞ原始林。

ようやく米軍しか利用できなかったスキーリフト跡に到着です。
降り場ですね。全長983㍍で山頂からは低い位置にあり市内を一望できる絶景地でした。

進駐軍の大半が去った昭和28年頃から一般市民にも開放され
昭和33年ごろまで利用されたそうです。

リフト跡近くにも石像が。

倒木の根が他の植物の栄養源になってるのが良く分かりますね。

登山道に横たわる倒木、月日を掛けて土に戻るのでしょうね。

米軍の命令とは言え、工事には原始林を守ることを考えながらの工事だったでしょうね。
リフト跡基礎も、現在は登山者の格好の休憩場と成ってるようです。
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- 2015/01/16(金) 08:01:16|
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正月明けのある日、珍しく早めの目覚めカーテンを明けると快晴、無風
我が家の西には、小樽方面に連なる手稲山連峰が目の前、早朝の朝日に照らされ
美しい姿を見せてくれました。
手稲山は札幌冬期オリンピック、アルペン会場になった所ですね。
東方面には大倉山ジャンプ競技場、宮の森競技場が有りますね。10日、11日と高梨沙羅
選手連勝しましたね。
朝日に輝く手稲山連峰です。

手稲山より左方面、大倉山競技場はこの方面になります。
左の高層マンションの見える当たりが、JR 函館本線琴似駅、住宅地を横切る高架は
JR 学園都市線で、終点が新十津川町になります。

小樽方面です。

手稲山です、 かすかに頂上の電波塔が見えますが。

今日は年一回のお腹、胸のCT 造影検査の日9 時予約で朝日のブログにしました。
平成20年12月26日(クリスマス直後)大腸癌で手術をしてます。
定期検診で発見、レベルⅡだったようです、約6年に成りますが年一回の検査を受けてます。
癌の検診率は25%ぐらいだそうですね、早期発見、早期治療です。心がけましょうね。
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- 2015/01/13(火) 06:58:47|
- 札幌
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銭函地域は小樽市の東端で、札幌市との境界になります。 昨年初秋 過去ログ
前回紹介した張碓町は隣り町、銭函地域には軽工業も有り、全国メジャーの小樽カントリー
クラブのある所です。
夏には小樽ドリュームビーチ海水浴場で札幌地区では良く知られたところです。
歩いて見ると古い歴史のある地域でしたよ、しかし、歴史を感じる物は少ない
そんな所でした。
国道5号線沿いには、新しい商店街、住宅が見られますが歴史を感じるのは
傾斜地を下がった海岸に近いところでした。
銭函駅です。 張碓町の断崖を通り銭函を経由して札幌です。函館本線ですね。

歴史を感じますね。 明治13年小樽手宮駅から札幌間の鉄道開通、道内で最も古い
有人駅の一つ現在の駅舎は昭和6年に建てられ替えられてます。
その後旧三笠駅まで開通し、北海道開拓移住者、和歌山県十津川村の災害移住者等も
ここを利用しましたね。

小樽方面右は日本海、絶壁の海岸線張碓に続きますね。

古い蔵のようですね。 古い歴史のある事が分かります。
銭函は安永9年(1780年)松前の商人が鮭魚の歴史があるとされてますが、本格的
銭函の歴史は『北海道開拓の父』とされる島義勇が明治2年に開拓使判官に就任し、
この銭函に『開拓使仮役所』が設置され開拓の重要な役割の地だったそうです。

地形的、地理的に又海岸線も一直線、船場も難しい感じのこの地
だったのか理解しがたい感じで歩いてましたね。
大阪屋とあります。

線路を渡り山側に、豊足神社です。(とよかり)

安永9年稲荷神社として伝えられ、明治9年豊足神社と改称されたそうです。
銭函の古い歴史が分かります。
本殿です、参拝。

神社の境内に機雷が?、 機雷の由来がありましたよ。
明治40年頃オタネ浜(現在の大浜海水浴場)に漂流したものを発見
日露戦争当時、露軍が日本海に施設した機雷だそうです。

国道5号から海岸方面に向かう。

岸壁から小樽方面です。

1月4日ブログで紹介した、張碓町恵比須島が見えますね。

山側には春香山スキー場です、昨年夏ゆり園として見学してきました。

断崖上から恵比須島に近くなりました。
気持ち良い散歩道気分でしたよ。

張碓川近くに成ると集落です、橋が見えますが札樽高速道路。

国道5号線を越え、山側を歩くとこんな小屋が、畑仕事のオジサンに会う。
健康の為、野菜を作り知り合いに配ってるそうです。
日本海の見える贅沢な野菜作り、天気が良ければ増毛方面の連峰が見えるそうです。

『銭函』と言う由来に興味が有り調べてみました。
鰊漁で栄え、どの漁師の家にも『銭箱が積まれていた』と言う話が有力だそうです。
しかし、他の日本海の旧鰊場で見られる『鰊御殿』が残っておらづ由来は別のところ
にあると言う説もあるそうですよ。
今は商店に衣替えした『蔵』がわずかに残されてるだけです。
漁場として栄えるには、港が必要ですがそれが無い、後者のように思いますが?
『銭函』の歴史にはいろいろ夢が有りそうですね。
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- 2015/01/10(土) 11:43:35|
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我が家の新年初日の出は、1月3日でした。 初日の出と表現出来るのでしょうかね。
オジサンとなっても、二度寝、三度寝タイプ加えて大晦日、元旦のファミリー大集合
疲れ、今年は天候悪かったと思ってたら札幌ではモエレ沼公園、モエレ山での初日の出
の写真が報道されてる。
札幌の日の出時間は、7時01分らしいこれなら何とか起きられそう。
3日窓越しで見える東の空は曇り、日の出時間が少し過ぎた頃雲の切れ間が出来る。
我が家の初日の出と成りましたよ。
北区ですから、東方面は市の中心部、JR タワー方面に太陽が昇ります。

平成14年は地球が怒り過ぎでしたね、少し穏やかにとお願いしました。

平成14年にありがとう。 そして平成15年もありがとうと言えるような年
をお願い。

来年は元旦の初日の出を目標にします。
皆さんの健康と活躍願ってます。 私も後期高齢者の仲間入り頑張ります、よろしく。
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- 2015/01/07(水) 10:24:34|
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札幌市小樽市の中間ぐらいに位置する、小さな集落。張碓(はりうす) H26.10.15 過去ログ
以前からここを通るたびに、興味の有る集落で傾斜地に集落が形成され産業が見られない。
漁業も断崖で発展してると思われ無い、ただ一軒傾斜地にレストランが有るだけ。
過去ログに成りますが興味を持ち歩いて来ました。
現在はリゾート風の住宅も見られますが、この集落の歴史は古く江戸時代にさかのぼる
隣り町の、銭函町、朝里町には平坦な土地が有るのにこの地に入植した理由が分からない。
張碓集落入口です。
国道5号に面してます、人口786人。 国道5号が整備されるまでは張碓峠と言われる
ほど急な岸壁や山々を進む道だったそうです。
散歩中集落でオジチャンと話す機会が有り少し歴史を聞くことができました。

集落風景です。
オジチャンから、明治初期のトンネルが有るからそこまで歩きなさい
と勧められる。 だだのトンネルと思ってましたが北海道開拓、石炭産業と
深い関係の有るトンネルだった事を知りました。
張碓を訪問した一番大きな成果でした、 後で紹介しますね。

高い所から崖下です。 小さな漁港と恵比須島が有る事も知る。

車を置いて崖下に歩きます。
小さな小川が有りましたが張碓川で、その谷間に集落があるのでした。

恵比須島と漁港です。 漁港は5~6隻の舟と小さな漁港。
恵比須島は『アオバト』飛来の島だそうで『市の鳥』

小樽方面。 『張碓カムイコタンの断崖』下を通り小樽へ。

札幌方面。

漁港と恵比須島。

岸壁の鳥、この中にアオバトは居るのでしょうか。

小さな漁港が分かりますね。

漁港から小樽方面です、オジチャンの話ではこの崖下を小樽方面
に歩くと歴史のトンネルが有ると教えられる。

断崖下を通る鉄道。

オジーチャンが話してた、張碓川に架かるレンガ土台の鉄橋の所まで来た。
(オジーチャンはもう崩れて無いかも知れないと言ってた)
靴、荷物を海岸に置きカメラだけで、膝まくりで川を渡る。

やっと、歴史のトンネルに出会えました。
このトンネルの側を現在の鉄道が走ってました。 この歴史のトンネルは
明治13年建設開始、15年に全線開通。
小樽手宮駅から幌内太駅(旧三笠駅)が結ばれたのです。 北海道開拓にとって
大きな出来事でした。
北海道開拓移住者が小樽から、道央に向かう基点になりましたね。
空知地方の石炭が小樽港から積み出され、石炭産業発展に大きく寄与してますね。
十津川村からの移住者もこのトンネルを通り北海道の一歩に成ってます。
明治22年8月奈良県十津川郷で大水害発生が、苦難の移住の始まりでした。
小樽からこのトンネルを通り、現三笠市までは汽車、その後は徒歩で空知太(現滝川市)
へ、現在は新十津川町と成り立派に成功してますよ。

トンネルの向こう側には現在の鉄道が海岸線に沿い走ってます。

手掘りのトンネルだった事が分かりますね。

オジチャンから橋の基礎はレンガと聞いてました。
間違い有りませんね。

砂利の海岸歩きと、山歩きで初秋ですが暑い。
海岸の風を受けながらしばし休憩。 目的を達成した満足感の休憩でしたね。

帰り道で秋には珍しい花が、 トリカブト??

帰り道で。
昔は張碓駅は臨時駅として有ったそうですが、『秘境駅』として話題となり
安全上問題となり、平成18年廃駅と成ってます。
ここに駅が出来た理由も分からないナゾだそうですよ。

海岸の断崖から集落に戻ってきました。
三社神社です、歴史は分かりませんでした。宮司さんも居ない。
境内に有った石碑の年代を見て驚きです、日露戦戦勝記念碑です。
明治38年皇国張碓青年会とある、その時代にはここ張碓にはもう集落が
形成されてたのですね。

戦勝記念碑です。

5号線をまたぎ傾斜地に張碓小学校。
日本海を眺められる最高の場所のようでしたよ。

張碓稲荷神社。
三社神社に驚いてられません、この稲荷神社は小さな神社ですが社殿は立派。
それより、創立が元禄3年(1690年)300年以上の歴史を持つ古い神社でした。
何故この地に、この歴史、疑問は増すばかり!!!

現在の国道から山側に歩いて行くと旧国道のアーチ橋が有ります。
張碓の自然に囲まれた住宅地の中を流れる張碓川に架かる昔の橋です。

土木学会戦奨土木遺産に成ってます。

アーチ方式。

現在の札樽道です。 変わりましたね。

崖下海岸で休憩中電車の動画撮って見ました。
カメラ動画です。
動画。 札幌行き。
[
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VPS 動画。 小樽行き。
[
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VPS 初秋の過去ログですが、久し振りに良い散歩をした気分でした。
小樽から旧三笠まで開通した鉄道、張碓のトンネルを紹介しましたが地元の方
は義経トンネルと昔は呼んでたそうですよ。
開通時には機関車に『義経号』と『弁慶号』があったそうですが、それから
きてるのでしょうかね。
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- 2015/01/04(日) 12:46:08|
- 小樽
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新年に成りました今年もよろしくお願いします。 11月21日 過去ログ
平成25年2月から『ぶらり旅』&日記でスタート、平成26年は道内開拓の歴史や産業遺跡
等日記風に成りましたが、目標1年が約2年になろうとしてます。
自分の日記と思い綴ってますが、ブログ訪問の皆さんに感謝です。
体力、気力が許すなら、5回目の日本一周『オジサンの車中泊ぶらり旅』無理でしょうかね。
正月の初夢としときましょうか。
札幌は今年もホワイトイルミネーションが点灯しました、第34回目だそうです。
大道公園は雪祭りが有るからでしょうか、12月25日まで。 駅前通りは2月11日
南1条通りは2月14日までだそうですよ。
夜景の写真は成功率が低いのにノコ、ノコ出かけてしまいました。
恥ずかしいですが、何とか見られる写真は4割ブログ書く資格なしですね。
大道公園から薄野方面の駅前通りです。

テレビ塔方面、小さなイルミネーションが多く並んでる。

昨年も見た作品、花のイメージでしょうね。

湖面で遊ぶ白鳥でしょうか。

初日でも有り、お店通りは大混雑。 外国の方も多い。

フインランドからサンタ登場、子供達大喜び。

サンタと記念撮影です。

ひときわ目立ってます。

外国の装飾品のお店、奇麗ですね。

ロシヤのお店。

皆さん楽しんでるようです。若者が多いと思ってましたが。
年齢に関係なく皆さん楽しんでましたよ。

白鳥が飛び立ってる光景かな。

大道公園から帰り道で駅前方面です。

商店街のイルミネーション。

中央付近に広い湖面をイメージしたイルミネーションが有り、白鳥が多く配置
されイルミが点滅してる。動画を撮りたいと思い近づいて見ると、上部から見学
するには一列に並び階段が有り上から眺める仕掛け。
長蛇の列、今回投稿する動画は翌日遅い時間に2回目の見学で撮った動画です。
カメラ動画で旨く表現出来てませんが、そんな苦労がありました。
動画。 白鳥遊ぶ湖面、? 35秒
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VPS 昨年のホワイトイルミネーション写真の成功率2割、今回は4割少しは上達
してるようです。(画質抜きにですが)
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- 2015/01/01(木) 08:22:21|
- 大通公園
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