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オジサンの車中泊ぶらり旅&日記

車中泊の旅過去ログ&旅行&日記など綴りたいと思います

札幌市近郊、当別町開拓の歴史は宮城県伊達藩〜戊辰戦争後明治4年〜 2014.8.31

  当別町、弁華別小学校訪問後当別町役場に寄る。
  そこで、想像もしてない事を知る事に成りました、この地の開拓の歴史は宮城県
  北部、現在の大崎市岩出山周辺を治めてた、岩出山伊達邦直氏だったのです。

  当別町を歩いて見ました、役場、公園、神社、伊達別邸と伊達藩との関係が非常に強い
  事を知りました。何度もこの町を通りながら今に成って新発見でした。

  




 石狩当別駅です、学園都市線と呼ばれ新十津川町までのローカル線です。
 駅を含め、当別町は区画整理され立派に成ってましたよ。


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 駅の2階フロアーに姉妹都市岩出山の由緒が。
 ここで、始めて伊達藩との関係を知る事になりましたね。


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 仙台藩岩出山伊達氏十代目邦直の当別移住より135年の平成18年、岩出山は合併に
 より大崎市岩出山と改まる、その前に平成17年岩出山から60名の代表が、伊達藩が
 開拓の苦労をした当別町に立たれ『岩出山と当別』は将来も姉妹都市として誓ったそうです。
 
 この説明を見て、何か武士の精神が感じられました。


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 平成17年11月26日来町、町村合併前最後の友好に成ったのですね。
 総勢60名、 甲冑姿でホームに降り立ったそうです。(武士の姿)


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 来町全員の氏名が。


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 役場前は学園都市線、 札幌市内では私も時にお世話に成ってるJR。


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 少しでも歴史に触れたく、歩いてみる事に。
 大きな寺です、大成寺。  


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 当別町の歴史の深さが分かります、又、大切にしてる。


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 参道、大きな寺です。 


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 本殿、 苦労を想像しながら参拝。


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 町単位で、寺のこの彫刻はあまり見ませんね。


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 歩いてると、『伊達』の門柱が。
 戊辰戦争時、仙台藩には日本国内有数の兵が居たそうです、しかし、薩長軍と比較
 すると、銃器自体の性能が圧倒的に低かった、厳しい戦いだったでしょうね。


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 ここは、開放されてません。 子孫の方が住んでる?
 庭だけ撮らせて貰いました、整備された立派の庭園です。


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 近くに、伊達邸別館が開放されてます。 無料。
 開拓の鍬を入れた、伊達邦直が明治13年に建築した。
 明治15年小松宮殿下、をはじめ黒田長官、榎本逓信大臣など名士が来村の際利用され
 伊達家の住宅として利用してたが、昭和55年に伊達直宗氏より寄贈されたそうです。


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 当別町文化財の由緒。


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 入口から大きな石畳が続きます。


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 大きくは有りませんが、洋風な部屋も見られました。2階建て。
 岩出山町より、寄贈された、杉、孟宗竹を使用し整備され一般公開してます。


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 説明板が有りますが、読みづらい。
 戊辰戦争に敗れ、明治4年希望者180人で北海道に向け出発したそうです。
 最初は、石狩国厚田に入植、土質が悪く作物は育たなかった、又、舟で運んだ食料も
 届かなかった、困窮を極め開拓使に現在地の当別町の開拓地に移ることが許される。
 当別移転は明治5年に成ったそうです。

 その後、第2回移住者182人、第3回250人と成り、当別開拓が本格化したのですね。


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 玄関横から。


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 裏側です、当時としては高級なガラスが使われてました。
 戦いに敗れ、私財を処分して得た資金で職を失った家臣と共に北海道の開拓に身を
 投じた先人の歴史が、札幌市の隣り町に有ったのですね。


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 現在の北海道道南、伊達市開拓に功績の有った伊達邦成は、実の弟に当たるそうです。
 伊達市が、伊達藩と関係有る事は知ってましたし、多くの道民も知ってると思います。
 当別町との、関係を知る人は少ないでしょう。


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  1. 2014/08/31(日) 10:50:10|
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石狩郡当別町、北海道最古の現役木造校舎〜弁華別小学校〜  2014.8.28

  当別町は、札幌市の隣り町と言ってよいほど近い所です。
  以前、当別町弁華別小学校が道内最古の木造校舎で現役で活躍してる報道が有りました。
  その中で2015年には、閉校に成るかもの記事、校舎の耐震性などの問題だそうです。

  私には、田舎の学校を思い出しました、弁華別は二階建て、我が田舎時代の小学校は一階しか無い
  他はまったく同じ作りに見えました。
  私は、終戦直後の入学で学年1クラス、中学まで9年間クラス替へは有りません。
  卒業する時は兄弟感覚になりましたね。

 弁華別小学校は、当別町内より当別川の上流方向約5㎞ぐらいの田園地帯に有りました。







 学校前歩道です、歩道に沿って花畑素晴らしいですね。


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 多くの生徒を送り出した校門です。


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 昔の学校には何処にも有りましたね。
 明治25年、当別尋常小学校の分教場として開校されたそうです。


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 大正5年弁華別尋常小学校と成る。
 遠くからの全景。 昭和12年現校舎新築落成。


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 校舎全体、70年近く前の我が母校に似てる、弁華別の方がオシャレな作り。


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 近代化された、通学路から伝統の校舎。


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 歩道から。


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 正面から撮らせて貰う、夏休み生徒はいません、当番の先生が居る。


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 正面玄関、材料も立派な物でまだまだ、現役できそうですが。


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 校章です。何のイメージか聞く事は出来ませんでした。


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 122周年記念の文字が、何時だったのでしょう。


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 暖房の煙突が懐かしい、昔は石炭ストーブでしたね。
 朝学校に着くと、もうストーブには火が焚かれてた、小使いさんが居て用意してた
 のですね。  小使いさんの住宅は学校と隣接してました。


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 何処から眺めても懐かしい。


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 横から


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 渡り廊下で屋内運動場へ、 田舎の学校もまったく同じ風景。
 弁華別の地に学校の願いは、この地に入植した福岡県の先人との事です。


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 屋内運動場。
 昔は祭りでは、運動場で田舎芝居や、映画会が有りましたよ。
 今でも覚えてます、田舎芝居では、上川登劇団、常盤蘭子劇団が良く来てました。
 田舎の一番の楽しみ。


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 校庭のアジサイ見頃でした。


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 校舎横には、学生の畑が。


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 食べごろの野菜も、育ててる小学生の声が聞こえてきそうです。


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 水当番も決めてるのでしょうね。


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 子供達の目標『伝えよう!広げよう! 元気・明るさ・思いやり』が目標。
 平26年 全校児童13名  職員7名

 親子3代で卒業した家庭も有るそうです。
 木造の廊下が、歴史でピカ、ピカしてるのが、想像できますね。
 何とか残せる方法無いものでしょうか。 難しい問題ですね。


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  1. 2014/08/28(木) 07:17:49|
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空知郡奈井江町、札幌市から約100㎞。この地に駅逓所〜奈井江神社. 2014.8.25

  江別、岩見沢、南幌(幌向)各駅逓所の歴史紹介してきました。
  調べて見ると、近くの奈井江町にも駅逓所が有った記録が有り向かった
  過去ログに成ります。

  明治23年に、当時の砂川村より奈井江が分村、上川道路(現在の国道12号線)
  の開通に合わせ、奈井江駅逓所が許可されたのが、明治22年だそうです。
  廃止は明治44年。   WiKipedia

  奈井江は空知地方の中部に位置し、石炭産業時代に栄えた町でしたが、現在は農業中心
  工業の誘致に力を入れてるそうです。 人口6300人。





 駅逓所記念碑の場所は、国道12号に面してます。(でも分かりづらい)






 道中、三笠道の駅で休憩タイム、向かいには温泉設備も有りますが、高い。
 ここの、アイスクリームはお勧め。


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 パークゴルフ場も有り、休憩には退屈しませんよ。
 大きな水車小屋、昔は小さな水車を動力にした農家も有りました。


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 奈井江町に着きました、奈井江町開拓記念碑です。
 昭和49年開基85周年を記念して建立。
 説明板に駅逓所設置が書かれてました。開拓者の苦労に感謝をし駅逓所跡に記念碑
 を建てたそうです。


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説明板です。


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 奈井江町発祥の地、官設駅逓所跡と有る。
 駅逓所を訪ねて歩いて気づく事は、ここ空知地方は川沿いに近い事ですね。
 石狩川を中心に、鮭魚、舟を利用した交通の便利を考えたのでしょうか。
 奈井江駅逓所も、奈井江川に近い所でした。 でも昔は洪水のリスクも有った
 のでしょうね。 それを克服しながら北海道の開拓が進んだ。


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 歩道のマンホールです。 石狩川とサケのイメージなのでしょうね。


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 近くに奈井江神社が、参拝して来ました。
 その地方の、神社、仏閣を見るとその地方の歴史を感じる事が有りますね。
 大鳥居です。


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 二つ目の鳥居、大きな神社です。


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 狛犬に見られながら参拝。


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 何気なく眺めてましたが、この地方でこの、しめ縄は立派です。
 田舎ではあまり見かけませんね。


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 広い鎮守の森と緑。


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 忠魂碑。


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 この神社にも、すもう道場が有りました。
 今でも、祭りで子供相撲有るのかな、残ってると良いですね。


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 神社を参拝して、炭坑で栄えた時代を感じましたよ。
 地図にも出てますが、ここの国道12号は日本一長い直線道路で29,2㎞有るそうです。
 その中間地点が『ハウスヤルビ奈井江』


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  1. 2014/08/25(月) 10:54:59|
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岩見沢市、発祥の地は官設休泊所の地から定住、隣接して国兼家住宅, 2014.8,22

   札幌市近郊の歴史を、訪ね歩いてます。 江別、南幌町の駅逓所はブログ
   に書きましたね。  今日は岩見沢市の歴史です。

   岩見沢市は札幌から東に約50㎞の地点です、旧国鉄時代は北海道の拠点基地、夏は
   ばんば競技場のイメージが強かった街ですね。

 岩見沢発祥の地は、幾春別川のほとりで、舟の渡し船の営みが定住第1号と言われてるそうです。
 幾春別川は、当然石狩川に連絡してます、貴重な基地だったことが想像出来ますね。
 そこから、集落が大きく成る、そんな感じでしょうか、近くを歩いて見てそんな気がしました。





 岩見沢市発祥の地碑


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 発祥記念碑。  旅人保護のためこの地に官設休泊所(駅逓所と同じ設備)
 が設置されてる。 明治11年。


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 明治11年8月開拓使によって設置。


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 開拓50周年記念碑。  昭和9年建立。


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 山口県柳井市平群出身士族移住記念碑。
 明治16年27戸、110名。後に鳥取県士族含め総数277戸
 札幌近郊の集落の歴史は、札幌市内琴似屯田兵と、同時期くらいに入植してますが
 岩見沢くらいまで、離れると約10年くらい遅れてますね。


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 岩見沢市発祥の地由来の碑が有りましたよ。


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 発祥の地に隣接して整備された庭園が有りました。
 岩見沢市指定文化財の、国兼家住宅でした。


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 棟かざりでしょうか。
 大正2年建築、裏日本の雪国地帯に多く見られた上流家庭の住宅様式だそうです。


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 良く保存管理されてますね。


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 縁側です、窓ガラスに特徴が有ります、平面では無く少し湾曲が有ります。
 当時の技術としては、これが限界だったのでしょうね。
 当時としては、高級品だったそうですよ、別海町、旧奥行臼駅逓所で説明受けました。


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 部屋の様子です。


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 北海道では非常に珍しいと言う、土縁付縁側回りです、ガラス越しですが
 良く撮れましたね。


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 庭園から、庭園は良く整備されております。


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 いろんな花が見られましたよ。


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 庭園から住宅方面。


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 住宅が引き立つよう、工夫されてるように感じました。


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 庭園風景、


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 庭園、 ここでしばらく休憩させて貰いました。


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庭園風景。


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 庭園の出口に成ります。


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 明治初期、各県から各地に、開拓の入植があり、原生林と厳寒の地、又、熊も
 多かったでしょうね。
 現在、何世代目かの我々が、文化的な生活ができる、先人に感謝ですね。


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  1. 2014/08/22(金) 11:18:39|
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札幌市、伏見稲荷神社参拝〜札幌冬期五輪で参道が分断〜    2014.8.18

   実は、札幌市民で有りながら伏見稲荷神社について、全く知りませんでした。
   藻岩山、手稲山、手稲金山と相当歩いたり、調べたりしてるのに、失礼な話ですね。

   7月30日の過去ログに成ります、その日は春香山ユリ園を目的に行動してました。
   山麓に煙でも掛かったように、カスミがひどい。
   報道では大陸の大きな山火事の、影響が北海道にも出てると報道されてる時でしたね。
   PM 2.5 が相当高いとも。

   奇麗なユリでも写真に納めたいのに、このカスミではと思い引き返し、藻岩山麓を
   ドライブしてると、伏見稲荷神社に到着?





 参道を越えて、一気に神社の社務所の駐車場に着く。
 駐車場から、境内、大きく広い境内でした。


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 明治17年に、現伏見稲荷大社に札幌への分祠を願い出て、札幌市南5条東1丁目に分神
 明治31年琴似村十二軒を経て明治40年に現在地に建立された歴史が有りました。
 参道最後の鳥居から。


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 参拝。神社の御祭神は、五穀豊穣、殖産興業、商売繁盛。


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 本殿から、参道方向です。


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 境内は広く、整備されてました。
 地元の方が、参道を登り、散歩、参拝には最適ですね。


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 車を置かせて頂き、参道を歩く事に、先を行く二人は外国人です。(中学、高校生ぐらい)
 お母さんと、一緒でしたが、母親は本殿の所で休憩。参道を利用してウオーキングらしい。
 3人は、私より少し早く到着参拝してましたが、手水、参拝の作法日本人の私が、恥ずかしく
 成るくらい立派。


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 朱色の並ぶ参道を下ってると、信号の有る道路に行き当たる。
 後で分かったのですが、これが札幌冬期五輪の都市計画で分断された参道の場所でした。


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 そこには、伏見稲荷神社の由緒板が。


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 参道の両側に、立派なクロマツが有ると思いながら歩いてましたが、
 保存樹指定でした。


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 保存樹です。


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 歴史を知る保存樹です、立派ですね。


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 朱色が続いた参道、信号機の所から下を見るとまだ小道が有る。
 これが、分断された参道でした。


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 これが、古い参道です。この階段も伏見稲荷への参道の一部だったのです。
 今も、ここから参拝する方が居ましたよ。


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 階段が湾曲してるのに気づきました。下りには足への負担が少ないように感じましたよ。


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 戻ります。


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 登りの参道風景。


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 伏見開村五十周年記念の石碑が有る話を聞きましたが、これでしょうか。
 風化して字が読めません。


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 本殿に戻りました、学生二人の外国人は結局参道を、三往復走ってました。
 その間、母は本堂で休憩タイム、良い親子風景です。


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 参道脇に『願石』なる大きな石が、願い事がかなうのでしょうか。


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 稲荷神社で思い出されるのが、津和野の稲荷ですね、平成14年の旅で参拝。
 朱色の鳥居の多さと、登りのきつい山頂に有りました。


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  1. 2014/08/18(月) 11:35:00|
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小樽市、春香山.冬のスキー場が180万輪のユリ園〜目の前は石狩湾、2014.8.15

  冬期はスキー場の春香山で、リフトを利用してゲレンデがユリ園の情報が
  最近は道内の各地でも、花、庭園、森をテーマにした業界が多く報道され
  てますね、その草分けで有り、トップが美瑛の富田ファームでしょうか。

  春香山ユリ園は、今年で2年目だそうです、現在は早咲きが終わり、遅咲きのハイブリット
  系が開花し始めてます。ナイターは10日で終了してますね。職員に聞いた話では銭函花火
  大会の見学は最高だったようですよ。

  春香山は札幌市の西側、藻岩山、手稲山に連なる小樽方面に成ります。
  札幌市と小樽市の境当たりでしょうか。






 冬で表現すれば、ロッジ到着です。
 180万輪のユリ、空、海の三重奏が迎えてくれます、絶対晴天がお勧めです。


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 ロッジ廻りには、販売用のユリも有りましたね。


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 気温と年齢を考え登りはリフトにしました。年を取るとフトコロにひびく!!


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 ゲレンデ頂上(ユリ園頂上?)には、東屋が用意されてます。
 空、ユリ、海の三重奏は素晴らしい、花オンチの私でも感動。


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 銭函海水浴場からの、モーターボートの白波が更に気持ちを盛り上げて
 くれますね。


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 白系統中心のところ。


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 赤系ですね。


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 紅系でしょうか、実にゲレンデを旨く工夫、配色されてます。


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 中間の休憩場所の、東屋から頂上方面を振り返る。


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 ここは、白中心。


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 こう見ると冬期のゲレンデの雰囲気が出ますね。


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 白、黄色系バックはゲレンデ仕切りの林。


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 歩いて来ました、振り返りリフト降り場です。


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 ユリ、林、石狩湾、遠くに街並と絶景です。癒しの風景。


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 又、黄色中心に成りました、当然名前有るのでしょうが、花オンチには説明できません。


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 林近くまで歩いて見ました、又、ユリの雰囲気が変わりますね。
 登山中に、高山植物に出会った感じ。


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 街並が良く見えます、最高の天気。


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 暑い日でした、大分下りてきましたね。 暑いのを忘れて歩いてました。


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 ユリ園で用意した、撮影ポイントです。


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 やっと見つけた日陰、休憩しながらパチリ。


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 下の方は、満開にはまだ時間が掛かりそう。


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 振り返って、ずいぶん歩きました。


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 ここは、黄色系が満開。


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 配色に工夫されてるのが分かります。


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 満開のユリの向こうに街並です。


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 ロッジが見えて来ました。


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 ゲレンデコースとリフトコースを横切ります、そこにもユリの心使い。


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 リフトコース下です。


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 リフト乗り場到着、高齢者でも登り、下り全部歩きの方も多く見かけましよ。


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 冬はスキー場ですよの証拠の重機です、ゲレンデ整備用。


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 8月24日まで、開園だそうです。 入場料800円、リフト片道520円は
 少し高い、一度見学したら次回は考えてしまうかも知れませんね。
 素晴らしい、スキー場の利用ですから、工夫してほしいですね。


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  1. 2014/08/15(金) 10:10:13|
  2. 小樽
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札幌市、前田森林公園,花と芸術のイベント,フラワーアートウィーク, 2014.8.12

  札幌市近郊の歴史探索してましたが、先日前田森林公園で、札幌国際芸術祭の
  連携事業で、公園を花と芸術で彩るイベントが有る事を知り散歩してきました。
  
  前田森林公園は、手稲区の中心と成る拠点公園として、何も無い所から『森林』を
  作り出した公園で、昭和57年から10年かけて完成した公園です。

  現在でも、廻りは農地だったり、小さな工場が有るそんな環境です。
  石狩湾に近く、公園の利用は札幌市の中でも非常に多い公園ですよ、冬は歩くスキー
  昔のカンジキ歩きのオジサンも見かけます。

  芝生運動場(広い)野球場、サッカー場なども完備、昔はジンギスカン鍋も許可されて
  ましたが、今は無理ですね。






 今回は、イベント関係だけ紹介しますね。
 『フラワーアートウィーク』会場入り口。


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 会場まで少しの散歩。


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 涼しさを感じる小さな滝の音。


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 『カナール』(水路、運河とも呼んでます)から、展望ラウンジ方面。


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 運河は約600㍍だそうです、両側にはポプラが空を仰ぐ景色はすばらしいですよ。


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 運河の両側の黄色のマリーゴールドは1万7千本このイベントの為植えられて
 ます。  手稲区の小学生や児童が種から育てた花だそうです。


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 展望台に近づきました、鴨も参加してます? マリーゴールドの花よく分かりますね
 この、イベントの開催に向け移植したそうです。


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 水面に浮かぶ発砲スチロール製の花壇20基が水路に浮かんでます。


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 風で自由に動いてましたよ。


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 鴨と『モビール』


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 『モビール』の説明板が有りました。
 動く彫刻と言う意味だそうです、風により回る仕掛け、札幌大谷大学生、高校生
 の作品です。


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 フラワーアートの場所に到着。


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 アートから水路、手稲山方面を望む。


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 森と良くマッチングしてますね。


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 展望台方面両側の淵には、小学生の作品が展示。


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 小学生作品に関する説明板。


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 芝生カット、アートが有りましたが高い所からで無いと分かりづらい。
 テイネだけは分かりましたよ。


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 展望台下芝生広場は子供天国の企画場所でした、中には大人も楽しんでましたが。


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 道具、使う木工部品は全部そろってました。
 これは、カブトムシ作成中かな?


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 夢中です、汗なんか関係なし、楽しそうでした。
 夏休み工作に良いですね、親は楽をする。


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 これは、イスですね。 上手。


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 先生の作品かな、素晴らしい。


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 展望台から運河、手稲山方面です。 
 前田森林公園企画は成功ですね。


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 帰り道の水上アート。


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 運河から展望台を振り返って。


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 動画。 キャラクター『マエダ』の撮影風景、何度もカット
     ようやく、暑い中OK のシーンです。  13秒。


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 動画。  水上アート『モビール』 33秒
      大学生の作品で、動く彫刻と言う意味だそうです。
      気にしないで歩いてると、風により動く事が有りましたが、動画に
      撮ると成ると、回らない、 芝生に30分ほど頑張った作品。


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 手稲区の関係者、大学生、小、中学生、幼稚園等の参加したイベント
 素晴らしかったですよ。


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  1. 2014/08/12(火) 12:27:29|
  2. 札幌
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南幌町、旧幌向駅逓所。本州各地からの入植開拓の地、南幌神社参拝 2014.8.9

   南幌町にも資料により駅逓所が有った事を知り見学することにしました。
   江別市、対雁駅逓所から近い距離、隣町です。
   対雁駅逓所は石狩川に沿った、道央に関係した駅逓所、南幌、幌向駅逓所は
   夕張方面と関係した、駅逓所だったように想像されます。





 開駅は明治45年と成ってますが、実際には明治42年から開駅されてた資料が有ります。
 私設駅逓所の時代が有ったのでしょうか?
 
 幌向駅逓所名ですが、現在は南幌町ですね。  幌向と言う地名が他にも有ったため昭和
 38年南幌町に町名変更したそうです。


 幌向駅逓所跡です。


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 南幌町の現在は、平坦の土地に水田農家の多い所です。
 河川が多く、昔は水害の常襲地帯だったようです、この駅逓所も内部の床が高く作られ
 てるのが特徴だそうです。 内部見学は出来ません。


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 説明板です。


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 閉鎖は昭和6年、夕張鉄道開通が切っ掛けだそうです。 対雁駅逓所閉鎖と似てますね。
 多い年で、年間550人の宿泊者が利用、官庁の役人や行商人が主だったようです。
 私が子供時代、田舎では大きな荷物を背負った行商人が良く来てました。
 
 文化庁登録有形文化財です。


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 宿泊料は1泊1円20銭〜2円。  江別〜幌向間の馬車賃は片道50銭
 当時の開拓の風景、生活の風景が目に浮かびますね。


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 裏庭見させて貰いました。


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 駅逓所から歩いて行けるところに、南幌神社が有りました。
 大きな、広い神社でした、 正面から。


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 神社に付き物の相撲道場です。 こんな立派な道場初めて見ました。


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 南幌の歴史は(昔は幌向でしたね) 明治27年宮城県角田、明治29年新潟県弥彦村
 明治29年三重県津市、明治33年岐阜県からと、多くの県から開拓入植が有ったようです。
 歴史を感じる、燈籠の有る長い参道ですね。


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 古い石碑が多く有りました、風化で字の読めない物も。


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 石碑。 石碑を眺めてると先人の苦難が見えて来るようです。


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 石碑。


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 拝殿、参拝。
 入植した開拓団の守護として各開拓地に創建された祠を、開拓が進む当時の幌向村の守護
 である鎮守として合祀し幌向神社と成った歴史があるそうです。
 大正9年現在地に村社となり、昭和38年町名変更で南幌神社に変更されてます。

 北海道各地、本州から比べると比較にならない歴史の差が有りますが、各市町村
 それぞれ、大切に引きついで行かなければ成らない物がありますね。


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 江別、南幌の歴史を歩いて見て、もう少し北海道中心、旭川方面に向かって
 歴史を歩いて見たい気持ちになりましたね。


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  1. 2014/08/09(土) 13:03:15|
  2. 駅逓所
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江別市、江別市にも屯田兵の歴史〜屯田兵火薬庫現存、江別神社参拝, 2014.8.6

   江別市は、札幌市から道央旭川市に向かう国道12号線、JR 線に中心街が有ります。
   明治の時代は、前回のブログで紹介した、対雁駅逓所跡が中心地だったのですね。

   江別市は、紙の街、レンガの街のイメージが私には強い市です。
   現在も大きな製紙工場が有ります。
   江別神社参拝で、立寄しましたが思いもしない歴史を知る事に成りました。
   江別を中心に、この地域にも屯田兵の歴史が有ったのです。





 上の地図で左側に対雁の地名が見えますが、駅逓所跡はこれより国道275号よりになります。
 江別神社、屯田兵跡です。





 江別神社は小高い丘の上に有り、裏側には交通量の少ない広い木陰に成る場所が有りました。
 一人の女性の方が通りがかり、丘の上を指指しあれは、火薬庫ですよとの言葉。
 意味が理解出来ずにいると、屯田兵の火薬庫との話、これを切っ掛けに江別にも屯田兵の
 歴史があり、調べる機会にも成ったのです。


 火薬庫は江別市指定文化財です。
 入植は明治11年でした、札幌琴似に本部を置く第1大隊に所属、総計445戸の入植でした。


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 火薬庫です。
 明治19年頃建てられ、レンガ造で『S』の刻印から白石の鈴木レンガ製だそうです。
 現在向かいの萩ヵ岡小学校付近に土塁が盛られ有ったそうです。


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 明治20年に第三大隊として独立、江別、篠津、野幌屯田として編成されてます。
 大隊本部の建物は昭和9年、失火で焼失現在は火薬庫だけが残されてます。
 (篠津、野幌は現在も地名として残ってます)
 説明板が有りました。
 明治政府に成り、北方警備と開拓に力が注がれたのが想像できますね。


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 林のトンボです、気温が高い性か今年は早いように感じます。
 異常気象は、動植物まで勘違いさせますね。


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 近くの林に二宮金次郎の像。江別萩ヵ岡小学校を眺める位置に成ります。
 昔は何処の学校でも見かけましたね。 金次郎は父は14歳、母は16歳の時亡く成ってる
 のですね、小田原市の裕福な家庭の小でしたが、その後苦労したそうです。
 24歳で元の家庭に再興したそうです。


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 江別神社鳥居前から。


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 明治18年、熊本県より移住した屯田兵の守護神として、加藤清正公を江別市緑町の飛鳥山
 にお祀りしたのが創始だそうです。
 飛鳥山は現在も公園として有りました。
 歴史を感じる拝殿です。


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 石碑です。


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 境内に有る燈籠からも歴史を感じます。


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 丘の上ですが、広い境内です。


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 昔は、お祭りには神社で子供相撲が有りましたね。
 今はどうなんでしょうかね。


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 大きな松の木に、子供のクワガタが。


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 神社参拝後、散歩してると札幌軟石を使った重厚な石蔵が、撮らせてもらいました。


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 札幌から25㎞程離れた距離ですが、交通手段の無い明治初期、この地でも
 札幌とほぼ同時期に開拓の歴史が有った事を知りましたね、道産子でも新発見
 が多く有りますね。


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  1. 2014/08/06(水) 11:43:42|
  2. 北海道
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江別市、榎本公園〜対雁駅逓所跡、そこは江別市発祥の地でした。 2014.8.3

   札幌市の歴史を、考える時明治初期の屯田兵を、直ぐ思い起こします。
   琴似屯田兵、新琴似屯田兵、八軒、二十四軒等の地名は今も残り地名として
   使われてますよ。  最初に入植したのが、八軒、二十四軒から開拓が始まったのが
   地名として残ったそうです。

   最近、市内の公園、神社等散歩して再確認した事が有りました。
   屯田兵以外にも、市内各地に本州から入植が有り、開拓の鍬がスタートしてた
   事を知りました。

   札幌市郊外の開拓歴史に急に興味が湧いて来ました。
   資料と、江別郷土資料館に電話でお世話に成りましたが、旭川市の道央に向かい
   駅逓所が、有ったり集落発祥の地が有る事を知りました。

 『北海道の駅逓所』について簡単に。

 明治初期には、北海道に駅逓所は126箇所設置されたそうです、江戸時代直後ですから
 早い行動ですね。 主な業務は宿泊、人馬継立、郵便だったそうで、本州の街道宿場と
 似てますね。 取扱人には月額10円の手当金だったそうです(高いのか、安いのか?)
 駅逓所は、昭和23年に廃止に成ってます。


 今回、江別駅逓所跡を訪問する事に、札幌から約25㎞の距離の集落、札幌との歴史の差に
 興味を持って訪問。
 駅逓所は、江別市の郊外に有り、小さな森と雑草の多い所だった。
 行き着くまで、何人かの人にお世話に成りました、それだけ分かりずらい所。


この当たりでしょうか。





 そこは、榎本公園の中でした。


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 榎本武揚顕彰碑が立ってました。
 榎本は北海道開拓に貢献の多かった方ですね、明治政府の要職を歴任し、北海道開拓の
 雄志を託し、この地に農場を開いたゆかりの地で、江別市発祥の地でもあるのですね。


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 歴史の碑文です。


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 そこは、小さな森の中、駅逓所跡でも有ります。
 江別資料館によると、『対雁駅逓所』と書きアイヌ語で『ツ イシカリ』と呼ぶそうです。
 『津石狩』とも書くそうです。
 対雁は今でも地名として使われてますよ。


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 今の市中心部からは、離れて居ります。
 明治4年宮城県から、農民21戸、76人が移住、対雁村が出来たそうです。
 驚きですね、札幌市内の開拓の歴史と変わらない、明治政府に成って間もなく全道各地に
 開拓の鍬が入ったのでしょうか。


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 説明板が有りました。
 明治9年には、南カラフト、アイヌ127戸、854人もこの対雁地区に移住した
 歴史も有るようですね。


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 対雁百年碑です。
 駅逓所は、明治12年、13年に対雁、江別両村役場が置かれた。 ここが、江別の中心地
 だったのです。


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 明治15年に現在の地に、鉄道開業により人の流れが江別、野幌に移り主な輸送手段が舟から
 鉄道に変わったのですね。衰退の道、18年に駅逓所廃止となり、19年には役場、郵便局も
 江別村に移転したそうです。


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 御大典記念の石碑。


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 駅逓所と同時に、対雁番屋の名所も残ってるので、近くの石狩川の鮭魚、又、内陸への
 重要な舟交通の拠点でも有ったのではないでしょうか。

 榎本公園裏には、小さな細長い池が有りました、昔石狩川と関係してた小川のような
 気がしました。 船着き場が有ったかも。
 そこで見た、赤い木の実。


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 美味しそうですが、ダメでしょうね。


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 北海道駅逓所では何度かブログで紹介しましたね。

  1. 別海町、旧奥行臼駅逓所。     2013,9,30
  2. 札幌市、簾舞通行屋        2013,11,9
   3, 北広島市、旧島松駅逓所      2013,11,25


 江別資料館で得た、資料等で少し札幌を離れて開拓の歴史を歩いてみたいと
 思います。


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  1. 2014/08/03(日) 11:48:17|
  2. 駅逓所
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N.PIKA

Author:N.PIKA
大雪山を一望できる上川盆地で育ち、旅、登山、釣りを趣味として年輪を重ねたオジサンです。
全国車中泊の旅を3度トライしました、

イラストは大雪連峰です。

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