松本市から、左に白馬連峰の残雪を見ながら気温は高いが何か涼しさを感じるドライブに成りました。
塩の道、糸魚川街道は糸魚川市に近くなるにしたがいトンネルの連続に成ります。
そんなトンネルとトンネルの間に、道の駅小谷は有りましたよ。温泉付き、これがありがたい。
残雪のアルプス連峰です。

ヒスイ峡は姫川の支流で小滝川の奥に有りました。(私の地図では姫川渓谷)
糸魚川街道から、林道のような細い道を登りましたね。
ようやくヒスイ峡に向かう峠の頂上です。

すばらしい風景が待っててくれました。奥の山は赤禿山と私ども高齢者には頭の痛い山ですね。
高浪の池です。

りっぱなロッジが有りましたよ。この日はここも、ヒスイ峡も私一人でしたよ
もったいない。

巨大魚が住むと言う伝説が昔から有るそうです。

この池は、赤禿山(1158㍍)の北東斜面の地すべりによってできた、すり鉢状のせき止め湖で
糸魚川で3番目に大きい池で、標高535㍍の位置にあり、最大水深は13㍍だそうです。

コバルトブルーの池

休息に成りました。
逆赤禿山ですね。

明治時代にはこの当たりは炭坑で栄えてたそうですが、思いもつかない景色ですよね。

さらに、細い道をヒスイ峡目指し走りました。着きました。

きれいな清流ですが、岩盤と岩の多い川ですね。
そんな所で感動を与えるのでしょうが。

車を置き歩いて登って行きました。
炭坑は大正時代と昭和初期で、昭和30年代に閉山されたようです。

登って来たところを振り返って見た風景になります。

左が明星山に成ります、あまりにも大きく、全景が撮れません。

登って来た方面に成ります。

かなり歩いて明星山の全景が入りました。
1188㍍が有り、ほとんどが石灰岩から成る山で、岩石の中からサンゴ、海ユリ、アンモナイト
などの化石がふくまれて居るそうです。
赤道付近に有った物がプレートの移動でこの地に運ばれたと考えれるそうですよ。
地球の歴史その物がここに有るのですね。

展望台から見た風景です。
ヒスイ峡の河原にはヒスイの岩塊が多いことからヒスイ峡と呼ばれており、日本国内の遺跡
から発見されるヒスイは、すべて糸魚川地方から産出したものだそうです。

これではヒスイ探しも出来ませんね。

ヒスイ峡の花ですよ。

川まで下りて見ました。

道の駅裏は塩の道千石街道でした、民家が数件です夜歩いて見ました。

小谷村で思いもしない観光が出来ました。
そして、高浪の池でくわしく説明いただいた青年の方、迷わず観光できました。ありがとう。
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- 2013/06/12(水) 08:11:24|
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塩尻市、道の駅小坂田公園に車中泊しました。
中山道から離れて、景色が一変しました。残雪の残る山の風景。ブドウ園の続く農村風景。
小坂田公園道の駅は、規模の大きな道の駅で、市民も楽しむ公園が併設されてます。
夜はナイター設備の運動場でサッカー少年の声が、響いてましたよ。
残雪のアルプスに、きれいな夕日がバックでした。

翌日、姫路城、彦根城と共に楽しみにしてた国宝松本城を見学しました。
400年余の風雪に耐えた、歴史の重みと美しさは表現の言葉も見つかりません。
松本城は戦国時代の永正年代初めに造られた城ですが、城は高い所が一般的ですが、松本城は
平野にどっしりとその美しさを見せてくれました。
歴代の藩主は1590年代の石田氏、小笠原氏、戸田氏、松平氏、堀田氏、水野氏、1869年の戸田氏
と続いたのですね。
外堀の風景です、落ち着きの有る堀に感じました。

現在二の丸石垣を修復中ですが、その場所からの城です。

最初の門、太鼓門二の門です、一の門とは枡形でした。
松本城では、大手門、太鼓門、黒門の三ヵ所が枡形でしたよ。

江戸末期の太鼓門枡形の様子です。

堀の外から。

黒門。本丸に入る正門に成り、本丸防御の要になりますね。

黒門入った所から、素晴らしいの言葉しか有りません。姫路城は美しさと規模の大きさ。
彦根城は城の美しさ、松本城は城の美しさと全体が整備管理されてる美しさかな。

近くから。

城の骨組みです。曲がった、木材そのまま工夫してましたよ。

鉄砲頭の姿。戦いに成ると暑そうですね。

鉄砲の用具入れです。

天守閣から松本市を見て見ました。

近くから見ると、鉄砲座、矢座が良く分かります。石落とし穴も有りましたよ。

東面からの城

東面です。落ち着きを感じますね。

松本城の歴史を見て来た大木でしょうね。

帰りに外堀の外から見てみました。

城の設計者によるのでしょうが、それぞれ独特の美しさがありますね。
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- 2013/06/11(火) 08:08:41|
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琵琶湖の草津の、当たりから私にとり念願だった中山道歩きも奈良井宿で終わりと思ってます。
ブログ投稿した所、歩いただけの所有りましたが、江戸に進むにしたがい川の渓相も、山道も
厳しくなり、特に鳥居峠を目指す当たりの、細久手、大湫、馬籠、妻籠、奈良井宿当たりでは、歩く交通
手段としては考えられない所でした。
それがあるから、宿場では、馬屋、籠、川渡し、荷物の引き継ぎ等で宿場は栄えたのでしょうね。
次の、宿場までたどり着けない人どうしたんだろう何て、バカな事考えながら歩いてました。
奈良井宿は難所、鳥居峠のふもとにあって、江戸時代には『奈良井千軒』と言われるほど栄えた宿場
だったのですね。戦国時代に武田氏の定めた宿場ですが、集落の成立はさらに古いと考えれてるそうです。
当然、重伝保存地域で、南北1㎞、東西200㍍指定です。南北両端に神社があり、ここも、上町、中町、下町
に分かれ、中山道最大の難所である、鳥居峠をひかえ、宿を取る旅人が多く賑わいを見せたのですね。
西の端から歩きました。宿場を守る様に鎮神社が有りました。上町です。
ここから、さらに西に向かえば難所の鳥居峠(1197㍍)に成るのですね。
真ん中の木は御神木です。

本殿、市有形文化財です。

上町から中町を。

水場です。当時はこれと形は違ったと思いますが、山からの豊富な沢水やわき水を利用して、中山道を
歩く旅人の喉を潤し、鳥居峠に向かったのが想像できますね。

上町に入りました。

神社方面に振り返ったところです。

上町風景です。何とも言えない気持ちで歩いてましたね。

中町に入るところで直角に曲がる。ここでも枡形ですね。

中町です。

上問屋資料館で、明治天皇奈良井宿行在所になった所です。

中町風景です。

中町から下町になりました。

徳利屋で、市有形文化財。

下町に入りました。道が細く成った気がします。
ここで、私は他の宿場と何か違うと思いながら歩いてました。
屋根の、ひさしが大きく出てるのですね。これが宿場のイメージを高めているように思います。

下町です。

創業寛政5年の杉の森蔵元です。

下町をワン子も散歩。

下町の最後の所です。

下町から小道を通り高い所に向かいました。

全景とは成りませんが、奈良井宿です。

帰りに下町最後の水場で、丸刈りの頭に水をたっぷりと。
江戸時代も4カ所ほど有ったそうですよ。顔、頭に水をかけた時、江戸の旅人の気持ちが少し分かった
ような気がしましたね。

毎日中山道のブログに成りましたが、田舎歩きと、中山道は私の夢でした。
老体で完璧な訪問とは、成ってないと思いますが、満足です。
もう少し若ければ、下諏訪、軽井沢ぐらいまでですよね。ここで、ガマンして気温の低下期待して
北上、日本海の方に移動したいと思ってます。
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- 2013/06/10(月) 08:12:41|
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木曽郡上松町。寝覚の床を歩いて来ました。床から上流部分は遊歩道が工事中でした。
通行止めで、中途な紹介に成ります。残念。前回の旅ではここを通り過ごしてました。
国道から、少し木曽川沿いに下がった所に駐車場が有り無料です。
木曽川の奇岩とエメラルドグリーンの水面が美しいところでしたよ。
浦島太郎がここで玉手箱を開けて、我にかえったと言う伝説から名付けられた『ねざめの床』は
木曽八景の中でも特に優れた景観として親しまれ、国指定の史跡名勝天然記念物となってるのですね。
小道を川に向かって歩きます。気持ち良い木陰と川からの風を感じます。

岩に仲良く、寄り添う杉です。

この杉は、すっかり岩に腰掛けてますね。

石の彫刻作品が広場に展示、

何をイメージした作品でしょうか。

歩いているうち、木曽川に着きました。

『寝覚の床』は木曽川の激流が花崗岩の岩盤を長年にわたって浸食してできたのですね。
俳人正岡子規が『誠やここは天然の庭園にて、仙人の住処とも覚えて尊し』と感じたそうです。
浦島太郎が岩の上で玉手箱を開け、中から出てきた煙とともに3百歳の老人になった伝説の場所です。
上流に向かい、中心が床岩、左が屏風岩、右が亀岩になります。

少し移動しました。亀岩は分かりずらいですが、床岩と屏風岩は良く分かります。

上流に歩いてきました。

暑い時泳ぐと気持ちよさそうな所ですね。

高い所から見たくなり、遊歩道を移動してきました。
ここで、工事をして居り通行止めでした。最後の写真になります。残念。

残念でしたが、童話の伝説、涼しさ、休息はいただきました。
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- 2013/06/09(日) 07:08:29|
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中山道、大桑村に阿寺渓谷の美しさは道の駅で情報を得ていました。歩いてきました。
木曽川の支流、阿寺川の渓谷に広がる、渓流の美しさ、新緑の美しさなど、自然の景観が
見事な所でしたよ。『木曽ヒノキ』は樹齢300年を越える、日本三大美林に数えられているそうです。
妻籠宿、馬籠宿で足の疲労は有りましたが、歩いている内に忘れてましね。
木曽川との合流点に少しの広場が有り、車も置けます。
車で林道を通行出来ますが(途中まで)景観を楽しみたい方は歩きが、おすすめですね。

合流点で木曽川の流れが緩やかな所です。多分飯盛山だと思います。
逆さ、飯盛山です。良いタイミングで訪問しましたね。

先を楽しみにスタートしました。

するとこんな看板が。クマ、マムシ、ハチに注意の知らせ。
車に戻り、鈴を待ちました。

いつも、そうですが新緑と川の音は心地よいものですね。
木曽川は大きな石、と言うより岩が多いですね、台風の大水で移動し丸く成ってくのでしょうか。
渓谷の奥深さを感じます。

木陰でも有り、休憩しながら見とれてましたよ。

溜まりのエメラルドグリーンが、はっきり分かるように成りました。
イワナの住む川である想像をしながら歩いてました。
私は、北海道でヤマメの渓流釣りが好きで川歩きをしてました。本州はアマゴと表現しますね。
道東では良くイワナも釣れますよ。

北海道では、見る事のできない風景ですね。

この頃は全身汗。

道ばたにも、大石が。川に有るのはこれですよ、見て行きなさいと言ってるみたいですね。

大分登って来ましたよ。

森林鉄道跡が有りました、ヒノキ林業も鉄道を使うほど盛んな時期が有ったのですね。
本州を歩いて、思いますね。杉、ヒノキの山の多い事ですね。
外国の木材との価格差と言いますが、何か対策無いのでしょうか。
価格差の問題はすべての、製品の問題ですが。渓谷の紹介の話がずれましたね。

上流目指しました。

想像した通りでした。釣り人発見。フライでした。
しばらく、見てましたが残念ながら魚を見る事が出来ませんでしたね。

川も狭くなり、私の体力も。ここで引き返しました。

最後に阿寺渓谷の花を紹介します。

川幅も少し狭く成り、渓谷も迫ってくる感じに成りましたので2〜3㎞登った所で引き返しました。
戻ってネットで、調べるとまだ、入林可能な所まで3㎞有りました。
残念。でも私の体は限界でしたね。
すばらしい渓谷でした、車で通りかかったらぜひ寄って見て下さいね。
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- 2013/06/08(土) 08:17:28|
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中山道は、山深い木曽路を通ることから木曽街道とも呼ばれていたのですね。
江戸から数えて四十二番目で、伊那街道とも交叉する重要な宿場だったのです。
妻籠の人達は町並みを守るために、家や土地を売らない、貸さない、壊さないを中心とする
住民憲章をつくり、生活しながら江戸時代の貴重な財産を世に伝えている事を改めて知りました。
妻籠宿の看板が大きく目に入りました。

山間の傾斜地にはこのような、石組の土台から宿場は作られたのですね。

東より西に向かい歩き出しました。早朝でもあり、まだ、観光の人は少ないでしたね。

19世紀初頭の建物とありました。
本州の人には、懐かしい土間風景でしょうね。

のどかな時間です。

妻籠独り占めです。

脇本陣奥谷です。国重要文化財。
木曽檜をふんだんに用いて明治十年に建てられた。明治天皇の御小休所にも成ったそうです。
島崎藤村の初恋の相手『ゆふ』さんの嫁ぎ先でもあります。現在は歴史資料館です。

妻籠宿御本陣です。
左の建物が人馬会所(問屋場)宿場には、公用の旅人に人馬を提供するのが第一の仕事で
人馬会所には、問屋、年寄、帳付、馬指、人足指などの宿役人が勤務していた。
そこの、場所の通路は他より広く、宿場で最も華やかな所だったそうです。
現在だったら、市町村役場前でしょうね。

右の建物は相当古い建物だそうです。

馬屋です。馬2頭ぐらいしか入りませんよね。これで良かったのかな。
現在のハヤー会社かな。

西の出口近くまで歩きました。

のどかな風景ですね。

ここでも、枡形が見られました。街道を2度直角に曲げてます。

有形文化財。下嵯峨屋です。

枡形です。

宿場から離れ、小道の山道を登ってくと『ギンモクセイ』を見る事ができましたよ。
長野県天然記念物で、栽培した巨木で知られるのは全国で6本で、妻籠の木はもっとも東
の木だそうです。根元は径2㍍もあります。

高い所まで登って来ました。妻籠宿を上から見てます。

道ばたの花ですね。

帰り道に、飛脚に逢いましたよ。郵便局も工夫してますね。

妻籠宿は、保存、整備も行き届いてますが、住民の生活基盤である、仕事と上手く合致してるように
見えました。
ただ何処の、宿場もそうですが、街道に車が置いて有るのは工夫が必要に思いますね。
仕事用、個人用で宿場全体で考えてみたらどうでしょうか。写真を撮る時特に感じますね。
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- 2013/06/06(木) 07:16:24|
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平成14年の過去ログになります。
岐阜県奥飛騨温泉郷上宝 道の駅に2連泊し挑戦しました。
道の駅から畳平まで車で行き、7時20分登山開始する。
(現在は環境保護から自家用車は乗り入れ禁止なはず)
写真はプリント写真をマクロ撮影しデジタル化したもので、何とか使えそうなのが4枚でした。
それも、投稿してみなければ分かりません。
登山は6月10日でしたが開始すぐから、残雪があり、緊張するところが何カ所かありました。

カメラを手に、雪上で体を硬くしてる青年がいる。
静かに見てると、雷鳥ですとの言葉、よくみるとようよく発見しました。
青年が居なければ、何事もなく見過したと思います。ありがとう。
9時30分登頂

快晴で感動でした。

360度のパノラマ、下山することができず、1時間半ほどいました。

本州の初登山は、3026㍍の乗鞍岳に感動でした。
北海道の最高峰は大雪山連峰にある、旭岳の2291㍍です。
- 2013/03/07(木) 11:36:53|
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