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オジサンの車中泊ぶらり旅&日記

車中泊の旅過去ログ&旅行&日記など綴りたいと思います

岩見沢市志文町開拓の父、辻村直四朗氏。開拓当時の原始林保存ー現在子孫の方守る。長女モト子小説『馬追原野』発表ー父直四朗がモデル、樋口一葉賞受賞。  2018,8,8

        昨年11月の新聞に、岩見沢市志文町に明治開拓時の面影残す原始林が
        1,2㌶が残されている事を知った。 志文(しぶん)

        その地は、明治25年に入植した辻村直四朗氏が残し子孫の方が守ってる原始林
        である。

        一度訪問したいと思っていたが、先日実現した。
        原始林入口で、『グランマ ヨシエ』の手作り菓子店を経営してる子孫の方にゆっくり
        話を聞くことができた。

        辻村直四朗氏は、現在では岩見沢市の歴史にとって重要な人物であるが入植
        当時は、苦労が多かったそうです。(後で)

 JRで岩見沢駅下車。バスで志文市街へ。
 岩見沢駅は大きな駅。

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 志文駅到着。 JR室蘭線は石炭を運ぶため明治25年開通。
 志文駅は明治35年に開駅。

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 辻村原始林に向かい歩く。 途中で志文神社参拝。

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 志文の歴史を見てきた狛犬。

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 台座に刻まれていた、辻村直四朗氏の名。

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 辻村直四朗原始林地図。




 原始林近くに建立されてた、辻村直四朗記念碑。

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 志文学術自然保護地区。北海道指定。

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 原始林入口に辻村氏子孫経営の菓子店。5〜10月。水、木だけ営業。
 家族にも評判良かった、美味しかったですよ。

 ここで、ゆっくり辻村直四朗氏の開拓に関する、喜怒哀楽の話を聞くことができた。
 時々来客のある中、本当にありがとうございました。

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 辻村直四朗邸です。 大正3年建立。
 私有地ですので原始林入林含め許可が必要です。

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 住宅原始林として岩見沢市指定。
 大正時代に、道庁から屋敷林特賞を得ているようです。

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 原始林を歩かせてもらう、辻村直四朗邸裏庭から。
 和風でもあり、洋風にもみえる。 大正初期とは見えない建物。
 オシャレな建物、 貴重です。

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 子孫の方は、近くに別邸に住まわれてます。
 この風景守ってほしいですね。

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 原始林です、ほとんどが広葉樹。

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 日差しも入らない原始林。

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 針葉樹も少し。

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 自分が歩いた所は、ほんの一部ですが樹齢200〜300年だそうです。

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 大木が多く日差しが入らないので下草が少ない。

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 暑い日でしたが、涼しさで気持ち良い。

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 樹齢600年代の大木が有ったそうですが、7年前に強風で倒れたそうです。
 残念でしたね。  後は次世代の栄養に。

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 辻村直四朗氏入植時苦労。
 直四朗氏は、現小田原出身で22歳の時東京農林学校(東京大学農学部前身)を中退し
 北海道開拓に希望を抱いて来道した。
 未開の土地が多くあると思っていたが、広大な未開地の大半は、貴族、財閥、役人、有力者の所有地であった。

 自分もこの件は知りませんでした、道庁で北海道150年史を調べてみると、たしかに明治初期
 にはそんな時代があった、まさに、北海道は本州各藩の占領地のよう!!!
 ところどころに道占有地がわずかに有るだけ。 当時の状況を示す写真がありました。

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 自分の土地を手に入れる事ができなかった直四朗氏は、やむなく知り合いの所有
 する未開の長沼(馬追)で農業支配人となったようです。 志文から近い距離ですね。
 この1年後に役人の土地を購入できた、それが今の志文である。
 約100㌶と広大な土地。




 明治27年には、小作人も増え周辺戸数が増え有志で寺子屋をつくる。
 これが、現在の志文小学校の前身である、まさに志文町の父。
 現在の志文小学校。

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 長女もと子。
 昭和16年に『馬追原野』を発表、父直四朗がモデルで、入植当時長沼町
 馬追(まおい)での農場支配人時代の苦難の開拓の様子が書かれた文学作品である。
 第1回樋口一葉賞受賞。

 父の開拓時代を書いているが、中途な感じを受けるそうです。
 馬追原野、その2、その3がもと子には構想があったと考えられてます。
 しかし、若い頃から病弱だったもと子は残念ながら、40歳の若さで亡くなってます。

 昭和47年長沼町馬追丘陵に文学碑『馬追原野』が建立される。

 ※志文町の近くに、江別市東野幌があります、千古園が有り、くしくも志文の辻村氏とほぼ
 同時期に関矢孫左衛門が入植してます。 昨年訪問しブログ投稿してます、規模は辻村原始林
 が大きい。

  ・ 『千古園北の開拓に尽くした関矢孫左衛門屋敷跡』   (リンク)
  

  今回突然の訪問に、子孫の方が長い時間をとっていただき志文町の父
  辻村直四朗氏について話していただき、本当にありがとうございました。

        
  1. 2018/08/08(水) 08:01:48|
  2. 岩見沢市
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岩見沢市、北村豊里地区、国の遊水池事業で道内最古のサイロ解体、石川啄木の歌碑。 2017,4,15

    現在は岩見沢市ですが、平成18年に岩見沢市、栗沢町、北村が合併した地域。
    元は111年の歴史を持つ、北村家一族の名で旧北村の地名であった。

    北村豊里の他に、7ヶ所の北村の名がつく地区に分かれた平坦な田園風景が見られました。
    この地に国の遊水池事業で、移転が必要になったそうです。

    現在は子孫に当たる、N氏が北村牧場をしてましたがお会いし歴史など話をしてくれましたが
    残念だが、やむを得ないとの話でした。

    遊水池事業は、面積950㌶と想像も出来ない広さこれは1981年の石狩川大水害にも対応できる
    工事だそうです。

    移転により、大正14年建造札幌軟石製サイロ(道内最古)が解体になるのです。
    N氏敷地内に、石川啄木の歌碑が!!!後で!

 札幌からは、そんな距離ではありませんでした、田園風景を眺めながら進むと
 小さな集落が、大きな北村温泉ホテルの看板が目に入る。


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 広い北村地区、ホテルフロントで北村豊里を大きな地図で親切に説明を受けた。


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 牧場看板です、石川啄木歌碑の文字。
 その時は疑問ばかり。


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 牧場に向かう小道。


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 石川啄木の歌碑。


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 N氏の先祖に当たる、北村家と啄木の関係が詳しく書かれてます。
 小さくて読みづらいでしょうか。
 北村家先祖の方で、妻智恵さんがいたそうで函館で教員をしていた時代があったそうです。
 啄木も同じ代用教員時代の同僚で、北村家と関係が出来たのですね。


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 写真では、字が読みづらいですが『石狩の空知郡の 牧場のお嫁さんより送り来し バターかな』
 函館大火等で啄木は東京へ、療養生活で大変な生活時代の明治44年、智恵さんは主人の了解をもらい
 バターを送ったのです。

 その返礼として詠まれた歌碑でした。


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 牧草ロールが保管されてましたが、必要なくなるのですね。


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 まもなく解体される、道内最古のサイロ。
 札幌軟石製です。


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 サイロと牛舎。


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 住宅、牛舎向かいは平坦な田園風景の中ここだけは、自然が一杯。
 好きですね!!!  N氏の方は土地も肥沃で最高の場所だったそうです。


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 池の回りには渡り鳥。 ここは、全国的にも有名な渡り鳥の休息地
 宮島沼に近い。


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 池の氷開けも近い、一部水面が見えました。


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 巣作りでしょうか、一番下の巣右側に一羽います。
 シラサギに見えたのですが?


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 帰り道巨大ポンプの展示場所に寄って見た。北村土地改良区記念碑も。
 ポンプは揚水量8626㎡/hと巨大なポンプ、3号機とありましたのでまだ2台あったようです。
 想像ですが、昔石狩川河川整備の無い時代洪水対策として使ったのではと想像しました。

 沼が多い所から、平坦に見えますが北村地区は他より低いのかも知れませんね。


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 水田では、渡り鳥の羽休め。


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 落ち穂ひろいでしょうか、近づいても気にもしてない。
 意地悪されてない証拠ですね。


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 智恵さんと啄木の関係を知ることができましたが、石碑には『鹿子百合の碑』とありました。
 啄木は美しい智恵さんを『真直ぐ立てる鹿子百合』にたとえたと言われてるそうです。
 敷地内の撮影、お話有り難うございました。
 
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  1. 2017/04/15(土) 11:44:14|
  2. 岩見沢市
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苫小牧市、科学センター子供達の科学の興味を育む展示品の一部。    2016,11,29

    苫小牧市科学センターは、宇宙ステーション展示がメインと思い訪問しましたが
    実に工夫されたセンターでした。

    子供達の科学する心への興味を育てるのも大きな目的としてるようです。
    実検室や工作室を利用し体験しながら学習もできるようです。

    私の心は宇宙ステーション、歩きながら一部のスナップを撮ってきましたので紹介します。
    宇宙ステーションブログはここ。


 L13型プラニック復座滑空機(チエコスロバキヤ製)
 日本大学工学部グライダーOB会寄贈


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 防災救急ヘリコプター『はまなす』
 北海道が初めて導入した救急ヘリで、現在は引退し『はまなす2号』が運用。


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 操縦室です。 


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 ターボジエットエンジン。
 日本航空専門学校(千歳市)の学生卒業記念に製作したターボエンジン。
 内部構造の勉強が主たる目的だったそうですが、素晴らしい製作技術ですね。


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 テレビとラジオ(製造開始の頃の物)
 左のテレビは、昭和30年製。  ラジオは昭和29年製。
 当時のテレビは、真空管テレビで私にも記憶が有ります。興味で中を覗いたものです。


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 ダットサンベビー。
 昭和38〜39年に国立こどもの国の自動車訓練施設用として105台製作
 その内の一台だそうです。子供用自動車で二人乗りで20㎞/時を越えるとクラクション
 が鳴るそうです。 なぜ子供用訓練が必要だったのでしょう?


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 プラネタリウム。
 ドーム径10㍍で、約6500個の恒星を映し出します。
 私も札幌市に来てから、星を見る機会が無く成りましたね。
 久し振りに、満天の夜空を見てきました。


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 見学の帰り裏口から出ると、目の前に蒸気機関車の展示。
 『たるまえ号』 昭和13年製造主な運転路線、留萌線、深名線(深川、名寄間)
 釧網線(釧路、網走間)で運転距離地球およそ43周だそうです。


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 ここのセンターの特徴は、触れる、展示品の中に入り実感するですね。
 感心しながら見学させて貰いました。

 宇宙ステーションが大きな目的でしたが、他の展示品も少し撮ってきましたので紹介しました。
 

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  1. 2016/11/29(火) 11:54:54|
  2. 岩見沢市
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苫小牧市、科学センター〜旧ソ連時代の宇宙ステーション『ミール』  2016,11,28

    苫小牧市の科学センターに旧ソ連時代の宇宙ステーションの実機が展示されてる
    のは、以前からニュースで知っていた。

    チャンスが無く見学できずにいたが、今回は昨年3月胃の手術後車の遠乗りは避けてたので
    最近体調も戻った感じがしてたので、様子見で少し遠乗りの意味も有って見学をしてきました。

    国道36号線で、約100㎞ 前後だと思うのですが一番渋滞の多い国道で2,5時間くらい掛かりました。


 苫小牧市科学センターは、宇宙ステーション以外にも子供達(大人もですが)
 の科学の勉強の場としても整備されてます。 2階建てで、工作室、実検室、展示室、プラネタリウム等       が整備がされてます、苫小牧の子供達が羨ましい。


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 宇宙ステーション全景です。旧ソ連が昭和61年に打ち上げた世界初の
 有人宇宙ステーションですね、圧倒的な存在感。
 平成10年、苫小牧市市制50周年を記念して、I 建設KK より寄贈されたそうです。


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 別角度から、 この機体は実機で予備機として製作したそうです。
 手前が『クバント』後方が宇宙ステーション本体の『ミール』


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 ドッキングポート。


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 ドッキングポートです、目的により構造が違うようです。


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 『ミール』には前に5ヶ所, 後ろに1ヶ所のドッキングポート
  が有り、それぞれの設備が連結されていき宇宙ステーションが作られる。
 後方の1ヶ所は『クバント』と連結してるのが分かりますね。


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 前方から後方です。


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 共に引退した、アメリカのスペースシャトルとドッキングした
 スナップです、誰がどんな方法で撮ったのでしょう?


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 『クバント』です。ロシア語で『量子』という意味だそうです。
 『ミール』の後部にドッキング、天体観測の望遠鏡、姿勢制御システムを備えてます。
 全長5,8㍍ 、直径4,15㍍ 、重量11,5㌧。近づくと巨大なのを再確認します。


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 『ミール』の一部です、姿勢制御用スライサー。
 メインエンジンが分かります。 『ミール』はロシア語で『平和』と言う意味で
 全長13,13㍍, 直径4,15㍍, 重量20,4㌧あり、単体でも宇宙ステーションとして機能
 できるそうです。



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 『ミール』外周に設備されてる姿勢制御用スライサー。


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 メインエンジン、300㎏の推力を持ち地上約350〜400㎞
 の高さを維持します。


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 操縦室です、操縦席(二つ有る赤い席)背もたれのような部分の下に
 ひざをつけ体を支えるそうです。


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 軌道表示装置、これはスペースシャトルで使われたものです。


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 プライベートルーム。宇宙飛行士が音楽を聴いたり、睡眠をする部屋です。
 左側に寝袋のような物が有りました、睡眠の時これで体を安定させて寝たのでしょうね。


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 トイレです。汚さず使うには工夫がいるそうですよ。


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 冷蔵庫。


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 宇宙食のサンプル、この他にも多くのサンプルが有りました。
 宇宙の生活では、これが楽しみなのでしょうね。


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 外の様子の説明板。


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 中の様子。


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 宇宙ステーションは、15年の運用で老朽化平成13年南太平洋に落下し
 使命を終えました。延べ100人以上の宇宙飛行士が搭乗しましたが、                       日本人では秋山豊寛さんが乗り込んでましたね。

 現在は米国やロシアなど15カ国が建設した国際宇宙ステーション(ISS)
 が飛行してますね。

 久し振りの、遠乗りでしたがやはり疲れが分かりましたね。翌日まで残ってました。
 少しづつ、体をならし、又、道内くらいの車中泊ぶらり旅くらい復活したいですね。


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  1. 2016/11/28(月) 09:10:44|
  2. 岩見沢市
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プロフィール

N.PIKA

Author:N.PIKA
大雪山を一望できる上川盆地で育ち、旅、登山、釣りを趣味として年輪を重ねたオジサンです。
全国車中泊の旅を3度トライしました、

イラストは大雪連峰です。

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