過去ログ H,28,7,1 観賞
札幌市百合が原緑のセンター温室の花ブログに続いて、またまた花ブログです。
4月もまもなくですが、真夏の暑い太陽の季節が懐かしく昨年の埋蔵ブログです。
札幌市中心街の西方に、藻岩山、旭山、大倉山、円山、手稲山、春香山等の山麓が小樽方面
に向かって続いてます、一番高度の高いのが手稲山の1023㍍で、冬季西方からのシベリア寒気から
札幌市を守っているように感じます。
その中の一つ春香山山麓に冬季はオーンズスキー場がありますが、夏にはそのゲレンデを
利用して『ゆり園』に活用してるのです。多角的経営ですね。
花の観賞は好きですが、ブログにするのは苦手!!! 3月から7月まで一気に飛び越えます。
スキーリフトで頂上へ、健脚の方は歩いてもよいですよ。
木材チップで歩道が整備されてます。

頂上付近はまだ開花が少ない。気温差の性でしょうか。
奥の海は日本海石狩湾です。

冬季はゲレンデが良く分かりますね。
蕾みが多い。

ゲレンデの中間程まできました。
すてきな、ゆりの香りが風とともに吹き上げてきます。

花と同時に蕾みも美しい。


雑草の小さな花と混植、これはこれで良いものですね。
面積広く手が回らないのでしょうが。

ゆりと海。
ゆりは213万輪があるそうです。

淡いピンクの競演。

皆さん楽しんでるようです。
高齢のゆり好きの方は、手を引かれながら満足な顔。

大分下がってきましたが、ここはもう少しですね。
風通しの関係でしょうか

両方見頃です、ゆっくり見ていって下さいと言ってように見えます。


ゆりと海岸風景。

あと数日で満開でしょうか

こんな、オリジナルな可憐なゆりもあったのですね。


いろんな種類が、見頃な所です。

ゲレンデ最下部、ここではゆりの販売もしてました。

冬はゲレンデハウス、中央にナイター照明が見えますね。

北海道はまだ、残雪時期全国的にも今年は天候不順のようですね。
少しは、夏気分思い出されたでしょうか、高齢になると早く桜の季節、夏を待つ
気持ちが強く成るものですね。
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- 2017/03/30(木) 11:24:11|
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第67回札幌雪まつりも2月11日で閉幕されましたが、来場者200万人とは世界的
な冬のイベントに発展したものです。
外国からの観光客も多く、中心部は何処も人、人、人、そんな状態の雪まつりでした。
そんな雪まつりのルーツが小樽に有ったのですね。 小樽市北手宮小学校です。
本年度で閉校が決まり、最後の雪まつりが6日開かれ、 ルーツを訪ねてきました。
昭和10年が初回で、その時の作品、七福神の布袋様の大雪像が校庭に再現されてましたよ。
現在在校生が9人との事で、PTAやOB、地域住民の協力で完成したそうです。
他の雪まつりと違い、校庭の雪を踏み固め『切る、運ぶ、積む、刻む』で作り上げる
雪の手芸品ですね。
学校は坂の町小樽ですね、急坂を登ったところでした、裏は林に囲まれ非常に環境の良い所
校庭に向かいスキーができる、自然のスロープがある。 うらやましい学校。
地図から見ると、北手宮小、手宮小、手宮西小3校が統合されるのでしょうか。
住宅街の端、急坂を登った所。
夏は緑多い静かなところ、冬は裏山で自然のゲレンデそんな所でした。

駐車場から小樽港が一望できます。

別角度から、坂の町小樽ですね。

校舎の一部、雪まつり資料館になってる部分です。
現在は在校生9人ですが、多い時は700~800人だったそうです。
3階建ての大きな学校、駐車場からの写真でも分かりますが、住宅街は広い
なぜ、9人の在校生なんでしょうか?

校舎の裏に校庭があり、そこが雪まつり会場。

昔の生徒数が想像できますね、大きな学校です。

第1回(昭和10年)の布袋様と同じ雪像で最後を飾ったそうです。
でも、大きさでは第1回の高さ8㍍でしたが、今年は5,5㍍だったそうです。

札幌雪まつりの、ルーツとなった第1回の布袋様大雪像です。
立派です、昭和10年ですからね。

もう一基の雪像、ネコバスケ。

最後の雪まつりとあって、卒業生、父兄を含め大勢の人が楽しみ、懐かしみ
昔を思い出してるようでしたよ。

マスコミの取材も多く、今年の卒業生取材のように見えた。

第1回の昭和10年に、同校2年で参加した小樽市のYさん(88歳)
が、思い出の長い取材を受けて、当時の雪まつりを語っていました。

校庭の裏山から、自然のゲレンデが、町の学校では想像もできませんね。

雪まつり資料館を見せていただきました。
雪まつり資料館と言うより、北手宮小学校歴史資料館と言ってよいほど
歴史のつまった、資料館でした。 昭和63年開館だそうです。
雪まつり風景は当然、写真コーナー、運動用具類の変化、生活用品の変化
児童作品のいろいろと、2教室を使った展示品に見とれましたね。
一番の感激者は、高齢の卒業生のようでした、写真等記念の展示場所では数人で感激の
声を上げ、離れられずにいました。
閉校後、統合学校ではこれら展示品どうなるか心配になりましたね。

雪まつり、生みの親高山喜一郎先生です。
昭和8年、北手宮小学校長として着任、昭和10年第1回雪まつりを開催したのですね。
先生は、在職中に市議会議員を1期勤められたそうで、無所属だったそうですが
自らは、子供党と言ってたそうです。

高山先生の雪まつりの考え方が書かれてます。

スキーが盛んだった事が分かりますね。

展示品の種類が多い、私にも懐かしい竹スキーも有りましたね。

北手宮小学校の雪像は、まつり終了後も取り壊さずそのままにしておくそうです。
自然のままに融け消されるにまかせ、去り行く冬を惜しみ、明るい春の訪れを待つのでしょうね。
現在の在校生は、雪まつりは、どの学校行事よりも大事なもの、統合後の学校でも続けてほしい
と話してるそうです。 希望がかなうとよいですね。
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- 2016/02/12(金) 08:30:59|
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今回は私の苦手な、花ブログ写真中心で紹介しますね。
正式には春香山、オーンズスキー場と呼ばれてます、札幌から国道5号線を小樽市方面
に向かい、約中間ぐらいでしょうか、銭函の集落を過ぎた当たりで緑の多い環境です。
夏は海水浴を楽しむ所も多い。
ゲレンデ一面を各種の、ユリで楽しませてくれます。
年間の営業活動ですから、考えましたね。入場料800円、リフト料400円と少し高いかな!!
リフトの利用は個人の自由です、往復歩きで楽しんでる方もいますよ、健脚派。
私は、招待券2枚頂いたので助かりましたね、行きはリフト、帰りはゆっくり鑑賞と
一般的部類派!! 駐車場は無料、レストランも有りました。
オーンズスキー場、リフト乗場。

ゲレンデ最下部のユリ園です。

リフトを降りた当たりです。

リフトを降りた当たりは人で混雑、何故か、 リフトで来てこの当たりだけ
見学、リフトで帰る方が多いからのようです。
この先をゆっくり楽しめる場所が多いのに、残念。

丁度見頃と言って良いですね。

スキー場は林間コース、両サイドは林。
それが、ユリ達を引き立ててます。

赤系で揃えた所。

白の大輪とピンク系の大輪。

ゲレンデは今はユリ園、高度が下がり少し日本海が!!

銭函の集落が見えてきました。 吹き上げる風が気持ち良い。

振り返って見てます。

森をバックのユリも良いですね。

ゲレンデの中間ぐらいに、しあわせの鐘。
いつの間にか、石狩湾が見えてます。

写真の相手をどれにしょうかな。

色とりどり、この配置も好きですね。
一度に二度楽しめる?

赤と白系、私にはこの表現しか出来ない。
ユリの知識はまったく無い、(ほかの花もそうですが)

登りも歩きの人居ますね、年配のようですよ。

ワン子も見学、兄弟でしょうか?

黄色系、日傘で散歩の女性風景にマッチしてました。

最下部の当たり。 丁度足がヨレヨレの時間帯。

私のようにヨレヨレの方でしょうか、休憩所で動こうとしません。

帰ってのシャワーが最高、何時ものシャワーと違う。
ユリ園は、8月末で閉園と聞いてました。現在は閉園になってる可能性あります。
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- 2015/08/26(水) 11:27:58|
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旧手宮線散策路を歩き、時間が有ったので坂の町小樽を少し歩いてみました。
小樽市は明治半ばから大正、昭和にかけ、にしん豊魚と共に小樽経済が全盛を極めたのですね。
大正12年に完成した小樽運河を中心に物流拠点として、石造り倉庫群が出来た歴史が
有ります。
その運河が現在は人気の観光名所となり、港まちの情緒を残してますよ。
また、『北のウオール街』と呼ばれた金融、経済の拠点として栄えた時代をしのばせます。
今では、資料館、レストラン、店舗として活用されてます。
ほんの一部ですが紹介します。
日本銀行旧小樽支店です。
小樽市指定文化財、 構造は煉瓦造で明治45年に建設されてます。

天秤秤。
金など測ったのでしょうか。

設計者は、日本銀行本店や赤煉瓦の東京駅を設計した辰野金吾氏だそうです。
煉瓦造りですが外装を石造風の装いにまとめ、ドームの曲線と重厚な外観の調和がすばらしい。
小樽を代表する建造物の一つですね。
金庫の一番重要部分ですね。

窓口風景は今とあまり変わりませんね。
カウンターとロビーの周囲には、岐阜県赤坂産大理石が使用されてます。

小樽市内には、まだ、まだ昔をしのばせる街並に会う事が
多く有りますよ。 言い方変えればまだコンクリート化されてる所が少ないと
感じましたね。 私の好きな雰囲気!!!

古い建物ですが、現役ですよ。
聞いて見ると、小樽軟石と表現してました。小樽でも軟石採石出来たのでしょうか。

旧手宮駅近くの軟石倉庫、 酒屋さんで利用。

旧日本郵船株式会社小樽支店。
国指定重要文化財、 明治39年建立。
設計は工部大学校出身の佐立七次郎氏、当時としては最も新しい石造洋風建築だったそうです。
昭和30年代一時小樽市の博物館として使用された時期もあったそうです。
何と言っても、ここで日露戦争講話のポーツマス条約で樺太国境画定会議が開かれた
ところでも有名だそう、歴史を感じますね。

旧日本郵船株式会社小樽支店残荷倉庫。
小樽市指定歴史的建造物、 明治39年建立。
残荷倉庫の役割良く分かりませんが、旧日本郵船小樽支店と同時に建設され
一連の建築として貴重なものだそうです。

時間が無く成り、中心部に戻ってきました。
小樽駅前中央通りから駅方向です。坂の町の雰囲気分かりますか。

同じく、港方向の運河方面。

駅近くのアーケード街。
人もまばら、寂しい状態これが小樽市の今後の課題風景ですね。

小樽の観光は、運河と北一ガラスを中心とした小樽運河沿いに観光客が
集まってる。
広い観光バスの待機所があり、観光客が戻ると他の観光地に移動、小樽市としては残念な光景。
小樽市に宿泊する観光客は個人が中心のように感じましたね。
小樽市には、札幌市等にはないレトロな雰囲気が多く残されてる、何かうまくマッチング
させる方法はないものでしょうかね。
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- 2015/08/20(木) 07:37:24|
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小樽市内をほぼ東西に施設されてた、旧手宮線一度歩いて見たいと思ってましたが
その機会が有りました。
旧国鉄手宮線は幌内鉄道の一部として、明治13年に小樽、手宮〜札幌を結ぶ北海道で
最初の鉄道として開通し、開拓に重要な役割をはたした鉄道です。
開通当初は札幌まででしたが、その後空知地方の幌内地区で石炭が発見され幌内太駅(旧三笠駅)
と結ばれます。札幌から約60㎞と近い。
三笠市街から奥の幾春別地区にも炭坑が開坑(明治18年)幌内鉄道として石炭運搬ルート
として発展したのですね。
しかし、この鉄道は産業面ばかりでは、なかったのですね。
北海道開拓を目指し、本州各地からの移住者の北海道内陸に向けた足にもなったのですね。
又、十津川村の大水害で北海道移住を決断した人々の重要な足となり、幌内太駅までは汽車
移動で助かったことでしょう、幌内太から現在の新十津川町までは苦労した移動だったようですよ。
そんな歴史有る、旧手宮線跡地散策路を歩いて来ました。
小樽と言えば、小樽運河と工芸ガラスですね、ほとんどの観光客はここで終わり。

小樽運河東端当たりの寿司屋通りの坂道を歩きます。
小川が有り暑い日でも気持ち良いですよ。さすがガラスの町風鈴で和ませてくれます。

まもなく、手宮線に上がる階段が有りました。
近くに旭寿司さんが有ったかな!!

線路の橋桁はレンガ。散策路でここが一番明治の香りを感じたかな!!

反対側の南小樽方面の橋桁、この方面は散策路として整備されてません。

手宮線記念跡地を示す説明板です。
明治13年アメリカから輸入した『弁慶号』が試運転初めて公開された年ですね。
11月28日北海道で最初の鉄道が手宮と札幌の間に開通してます。

散策路に出ました、整備が悪いようですね。
開通時の停車場は手宮、海運町(今の南小樽)銭函、札幌の4ヵ所だったそうです。
所用時間は何と3時間だったそうです。

途中に有る休憩ベンチ、市内の子供達による絵でした。

踏切跡です。

散策路側には、多分保線用具入れでしょうか。

小樽駅前通りになる、踏切跡。
線路は昔のまま、一時停止不要を知らせる看板が有りました。

駅前中央通りから手宮方面に向かっては整備された散策路が続いてましたよ。

この当たりで気づいたのですが、線路が有るスペースと
散策路を含めると広いですよね、聞いて見ると複線だったそうです。
北海道開拓の将来を見据えた考えだったのしょうね。

手宮〜南小樽を示してます。

色内駅跡です。これは新しい建物。
色内駅は大正元年に手宮線の最後に開設された駅です。

色内駅と並び、線路と歩道のわづかな敷地に数軒の小さな店屋
営業をしてます、昔を忍ばせる風景ですね。

線路の上にカメラを乗せパチリ。

整備された散策路を、昔の風景を想像しながら歩く。

花のシーズンも終わりですが、アジサイが満開。

旧手宮線も小樽の観光の一つとして、工夫してる姿を感じましたね。

トロッコ自伝車で遊べますよ、 親子が多かったですね。

小樽中央通りから手宮側は気持ち良く散歩できますね。

旧手宮線最終地点まで来たようです。

安全用車止めでしょう。

旧手宮線は、色内駅が昭和36年に廃止、手宮線としては昭和60年
営業が廃止されました。
小樽観光と言えば小樽運河、ガラス工芸で運河沿いは観光客で一杯
観光バスは、客待ちで待機所で何十台も見る、買い物はするが通過の観光地
宿泊をしながら、坂の町、古い歴史的建造物も多い小樽を堪能してもらう
対策が必要に感じましたね。
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- 2015/08/14(金) 07:16:20|
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銭函地域は小樽市の東端で、札幌市との境界になります。 昨年初秋 過去ログ
前回紹介した張碓町は隣り町、銭函地域には軽工業も有り、全国メジャーの小樽カントリー
クラブのある所です。
夏には小樽ドリュームビーチ海水浴場で札幌地区では良く知られたところです。
歩いて見ると古い歴史のある地域でしたよ、しかし、歴史を感じる物は少ない
そんな所でした。
国道5号線沿いには、新しい商店街、住宅が見られますが歴史を感じるのは
傾斜地を下がった海岸に近いところでした。
銭函駅です。 張碓町の断崖を通り銭函を経由して札幌です。函館本線ですね。

歴史を感じますね。 明治13年小樽手宮駅から札幌間の鉄道開通、道内で最も古い
有人駅の一つ現在の駅舎は昭和6年に建てられ替えられてます。
その後旧三笠駅まで開通し、北海道開拓移住者、和歌山県十津川村の災害移住者等も
ここを利用しましたね。

小樽方面右は日本海、絶壁の海岸線張碓に続きますね。

古い蔵のようですね。 古い歴史のある事が分かります。
銭函は安永9年(1780年)松前の商人が鮭魚の歴史があるとされてますが、本格的
銭函の歴史は『北海道開拓の父』とされる島義勇が明治2年に開拓使判官に就任し、
この銭函に『開拓使仮役所』が設置され開拓の重要な役割の地だったそうです。

地形的、地理的に又海岸線も一直線、船場も難しい感じのこの地
だったのか理解しがたい感じで歩いてましたね。
大阪屋とあります。

線路を渡り山側に、豊足神社です。(とよかり)

安永9年稲荷神社として伝えられ、明治9年豊足神社と改称されたそうです。
銭函の古い歴史が分かります。
本殿です、参拝。

神社の境内に機雷が?、 機雷の由来がありましたよ。
明治40年頃オタネ浜(現在の大浜海水浴場)に漂流したものを発見
日露戦争当時、露軍が日本海に施設した機雷だそうです。

国道5号から海岸方面に向かう。

岸壁から小樽方面です。

1月4日ブログで紹介した、張碓町恵比須島が見えますね。

山側には春香山スキー場です、昨年夏ゆり園として見学してきました。

断崖上から恵比須島に近くなりました。
気持ち良い散歩道気分でしたよ。

張碓川近くに成ると集落です、橋が見えますが札樽高速道路。

国道5号線を越え、山側を歩くとこんな小屋が、畑仕事のオジサンに会う。
健康の為、野菜を作り知り合いに配ってるそうです。
日本海の見える贅沢な野菜作り、天気が良ければ増毛方面の連峰が見えるそうです。

『銭函』と言う由来に興味が有り調べてみました。
鰊漁で栄え、どの漁師の家にも『銭箱が積まれていた』と言う話が有力だそうです。
しかし、他の日本海の旧鰊場で見られる『鰊御殿』が残っておらづ由来は別のところ
にあると言う説もあるそうですよ。
今は商店に衣替えした『蔵』がわずかに残されてるだけです。
漁場として栄えるには、港が必要ですがそれが無い、後者のように思いますが?
『銭函』の歴史にはいろいろ夢が有りそうですね。
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- 2015/01/10(土) 11:43:35|
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札幌市小樽市の中間ぐらいに位置する、小さな集落。張碓(はりうす) H26.10.15 過去ログ
以前からここを通るたびに、興味の有る集落で傾斜地に集落が形成され産業が見られない。
漁業も断崖で発展してると思われ無い、ただ一軒傾斜地にレストランが有るだけ。
過去ログに成りますが興味を持ち歩いて来ました。
現在はリゾート風の住宅も見られますが、この集落の歴史は古く江戸時代にさかのぼる
隣り町の、銭函町、朝里町には平坦な土地が有るのにこの地に入植した理由が分からない。
張碓集落入口です。
国道5号に面してます、人口786人。 国道5号が整備されるまでは張碓峠と言われる
ほど急な岸壁や山々を進む道だったそうです。
散歩中集落でオジチャンと話す機会が有り少し歴史を聞くことができました。

集落風景です。
オジチャンから、明治初期のトンネルが有るからそこまで歩きなさい
と勧められる。 だだのトンネルと思ってましたが北海道開拓、石炭産業と
深い関係の有るトンネルだった事を知りました。
張碓を訪問した一番大きな成果でした、 後で紹介しますね。

高い所から崖下です。 小さな漁港と恵比須島が有る事も知る。

車を置いて崖下に歩きます。
小さな小川が有りましたが張碓川で、その谷間に集落があるのでした。

恵比須島と漁港です。 漁港は5~6隻の舟と小さな漁港。
恵比須島は『アオバト』飛来の島だそうで『市の鳥』

小樽方面。 『張碓カムイコタンの断崖』下を通り小樽へ。

札幌方面。

漁港と恵比須島。

岸壁の鳥、この中にアオバトは居るのでしょうか。

小さな漁港が分かりますね。

漁港から小樽方面です、オジチャンの話ではこの崖下を小樽方面
に歩くと歴史のトンネルが有ると教えられる。

断崖下を通る鉄道。

オジーチャンが話してた、張碓川に架かるレンガ土台の鉄橋の所まで来た。
(オジーチャンはもう崩れて無いかも知れないと言ってた)
靴、荷物を海岸に置きカメラだけで、膝まくりで川を渡る。

やっと、歴史のトンネルに出会えました。
このトンネルの側を現在の鉄道が走ってました。 この歴史のトンネルは
明治13年建設開始、15年に全線開通。
小樽手宮駅から幌内太駅(旧三笠駅)が結ばれたのです。 北海道開拓にとって
大きな出来事でした。
北海道開拓移住者が小樽から、道央に向かう基点になりましたね。
空知地方の石炭が小樽港から積み出され、石炭産業発展に大きく寄与してますね。
十津川村からの移住者もこのトンネルを通り北海道の一歩に成ってます。
明治22年8月奈良県十津川郷で大水害発生が、苦難の移住の始まりでした。
小樽からこのトンネルを通り、現三笠市までは汽車、その後は徒歩で空知太(現滝川市)
へ、現在は新十津川町と成り立派に成功してますよ。

トンネルの向こう側には現在の鉄道が海岸線に沿い走ってます。

手掘りのトンネルだった事が分かりますね。

オジチャンから橋の基礎はレンガと聞いてました。
間違い有りませんね。

砂利の海岸歩きと、山歩きで初秋ですが暑い。
海岸の風を受けながらしばし休憩。 目的を達成した満足感の休憩でしたね。

帰り道で秋には珍しい花が、 トリカブト??

帰り道で。
昔は張碓駅は臨時駅として有ったそうですが、『秘境駅』として話題となり
安全上問題となり、平成18年廃駅と成ってます。
ここに駅が出来た理由も分からないナゾだそうですよ。

海岸の断崖から集落に戻ってきました。
三社神社です、歴史は分かりませんでした。宮司さんも居ない。
境内に有った石碑の年代を見て驚きです、日露戦戦勝記念碑です。
明治38年皇国張碓青年会とある、その時代にはここ張碓にはもう集落が
形成されてたのですね。

戦勝記念碑です。

5号線をまたぎ傾斜地に張碓小学校。
日本海を眺められる最高の場所のようでしたよ。

張碓稲荷神社。
三社神社に驚いてられません、この稲荷神社は小さな神社ですが社殿は立派。
それより、創立が元禄3年(1690年)300年以上の歴史を持つ古い神社でした。
何故この地に、この歴史、疑問は増すばかり!!!

現在の国道から山側に歩いて行くと旧国道のアーチ橋が有ります。
張碓の自然に囲まれた住宅地の中を流れる張碓川に架かる昔の橋です。

土木学会戦奨土木遺産に成ってます。

アーチ方式。

現在の札樽道です。 変わりましたね。

崖下海岸で休憩中電車の動画撮って見ました。
カメラ動画です。
動画。 札幌行き。
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VPS 動画。 小樽行き。
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VPS 初秋の過去ログですが、久し振りに良い散歩をした気分でした。
小樽から旧三笠まで開通した鉄道、張碓のトンネルを紹介しましたが地元の方
は義経トンネルと昔は呼んでたそうですよ。
開通時には機関車に『義経号』と『弁慶号』があったそうですが、それから
きてるのでしょうかね。
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- 2015/01/04(日) 12:46:08|
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冬期はスキー場の春香山で、リフトを利用してゲレンデがユリ園の情報が
最近は道内の各地でも、花、庭園、森をテーマにした業界が多く報道され
てますね、その草分けで有り、トップが美瑛の富田ファームでしょうか。
春香山ユリ園は、今年で2年目だそうです、現在は早咲きが終わり、遅咲きのハイブリット
系が開花し始めてます。ナイターは10日で終了してますね。職員に聞いた話では銭函花火
大会の見学は最高だったようですよ。
春香山は札幌市の西側、藻岩山、手稲山に連なる小樽方面に成ります。
札幌市と小樽市の境当たりでしょうか。
冬で表現すれば、ロッジ到着です。
180万輪のユリ、空、海の三重奏が迎えてくれます、絶対晴天がお勧めです。

ロッジ廻りには、販売用のユリも有りましたね。

気温と年齢を考え登りはリフトにしました。年を取るとフトコロにひびく!!

ゲレンデ頂上(ユリ園頂上?)には、東屋が用意されてます。
空、ユリ、海の三重奏は素晴らしい、花オンチの私でも感動。

銭函海水浴場からの、モーターボートの白波が更に気持ちを盛り上げて
くれますね。

白系統中心のところ。

赤系ですね。

紅系でしょうか、実にゲレンデを旨く工夫、配色されてます。

中間の休憩場所の、東屋から頂上方面を振り返る。

ここは、白中心。

こう見ると冬期のゲレンデの雰囲気が出ますね。

白、黄色系バックはゲレンデ仕切りの林。

歩いて来ました、振り返りリフト降り場です。

ユリ、林、石狩湾、遠くに街並と絶景です。癒しの風景。

又、黄色中心に成りました、当然名前有るのでしょうが、花オンチには説明できません。

林近くまで歩いて見ました、又、ユリの雰囲気が変わりますね。
登山中に、高山植物に出会った感じ。

街並が良く見えます、最高の天気。

暑い日でした、大分下りてきましたね。 暑いのを忘れて歩いてました。

ユリ園で用意した、撮影ポイントです。

やっと見つけた日陰、休憩しながらパチリ。

下の方は、満開にはまだ時間が掛かりそう。

振り返って、ずいぶん歩きました。

ここは、黄色系が満開。

配色に工夫されてるのが分かります。

満開のユリの向こうに街並です。

ロッジが見えて来ました。

ゲレンデコースとリフトコースを横切ります、そこにもユリの心使い。

リフトコース下です。

リフト乗り場到着、高齢者でも登り、下り全部歩きの方も多く見かけましよ。

冬はスキー場ですよの証拠の重機です、ゲレンデ整備用。

8月24日まで、開園だそうです。 入場料800円、リフト片道520円は
少し高い、一度見学したら次回は考えてしまうかも知れませんね。
素晴らしい、スキー場の利用ですから、工夫してほしいですね。
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- 2014/08/15(金) 10:10:13|
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