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オジサンの車中泊ぶらり旅&日記

車中泊の旅過去ログ&旅行&日記など綴りたいと思います

中津川市、落合集落でオジサンとの出会い。旧中山道落合石畳街道紹介、妻籠宿、馬籠宿。2014.3.25

    オジサン『ヒグマ』と共に冬眠中です。
    旅で出会った人達を思い出し、自分の備忘録として残して置きたいと思います。
    何年たっても、顔の表情まで思い出の有る方ばかりです。

    ☆          ☆           ☆

平成25年6月7日 妻籠宿、馬籠宿、見学後、落合集落でオジサンに出会い、集落の歴史を聞く。

岐阜県、中津川市道の駅、きりら坂下で2連泊、妻籠宿、馬籠宿、阿寺渓谷を歩いた。
起点としては、何処にも近く便利な所でした。 宿場紹介は後で。

馬籠宿を歩き、道の駅に戻るところで、急に開けた集落に出る、落合集落でした。
木曽川の支流、落合川に沿って、両側が急傾斜の田、畑が有る田舎の農村風景。







妻籠、馬籠宿を歩き、山中の行動、高い所で風に当たりたい。
細い道を、高台目指し走る、車2~3台停まれるスペースが有る、利用させて貰う事にした。
日光は受けるが、風が気持ち良い。

そこから見た、落合川対岸の棚田の風景です。


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WiFi ルーター電源入れて見ると、LTE 田舎ですが、中津川市が近く、高台だからでしょう。
道の駅、きりら坂下は3G,と電波環境が悪い、ここでブログ用写真処理をする事にした。

作業中に、散歩のオジーチャンが、札幌から車で良く来たねと声を掛けられる。
農道に腰を掛け、高齢のオジサンの話が聞ける、楽しい時間。

急傾斜の棚田の水源が、私は不思議に思ってた、落合川は低い位置ですよね。
聞いて見た、江戸時代から、ここで稲作をする為、先人が苦労をして、上流の高い位置から
灌漑用水工事を、長年掛かって工事、拡大を続け、ここまで耕作が出来るように成ったそうです。

先人の苦労が有って、秋には稲穂が実るとオジーチャン、生活レベルも変わったそうです。
オジーチャンは『落合石畳街道』を歩いたかと聞いて来た。 知らない。調査不足ですね。
美濃の落合から、木曽馬籠に至、十曲峠の難所を通り易くする為、石畳が有るそうです。

昔は、落合にも宿場が有り、馬籠に向かったそうです。
オジーチャンは、この辺は迷い易いと地図を書いてくれた、近くに温泉まで有ると。

オジーチャンと別れ、落合石畳街道と温泉へ。 
石畳街道到着です。 見つかりかりました、オジーチャンありがとう。


落合、入口


駐車スペースも有ります、落合に向かって歩く。
妻籠、馬籠宿を歩き、ここ落合で改めて、当時の旅人の気持ちを想像してしまう。


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季節、湿度に寄り、緑の街道にも、
ご夫婦に、逢っただけ、静かな中山道歩きが出来ました。
石畳が保存されてるのは、約800 ㍍。ここから、馬籠宿までは2 ㎞です、歩いて見たかった。


落合、石畳街道。_convert_20140323210043


妻籠宿、馬籠宿、少し紹介します。
中山道もここまで、来ると山、又、山、昔の人は健脚だったのでしょうね。

妻籠宿です、宿場全部が坂道、急傾斜分かりますか。
急傾斜地、石組みの土台で建物を建てた。


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高い方からの、入口当たりです。


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宿場入口。


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宿場風景。


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私は、下りで歩いてますが、登りは大変です。 帰りは登りに成るのですが。


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馬籠宿です、妻籠同様、高齢者には大変な宿場。
馬籠宿、入り口。 道標には、京。五十二里半。 江戸。八十里半。
奥に高札場が見えます、お上の申し立てが張られます。今の掲示板ですね。


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宿場風景、宿場は守られてますが、完全に観光地化してます、妻籠も。


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水路が、古い街道で良く見かけます。北海道に無い風景です。
旅人を、癒したでしょうね。


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馬籠本陣跡です。島崎藤村記念館でも有ります。
江戸時代は、本陣と島崎家が建ってたそうです。
妻籠には、住民憲章が有るそうですよ。
『家や土地を売らない』『貸さない』『こわさない』
生活しながら、江戸時代の重要な財産を守ってるのですね。


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奈良井宿もこの後、歩きましたが動画で紹介します。
感動の宿場ですよ。





歌。 中山道。  鳥羽一郎。






名古屋港上陸後、海津町で出会った、木曽川に沿い中山道めぐり、年齢を忘れた
歩きの毎日です。 歴史に触れる機会の多い本州の方が羨ましい。


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  1. 2014/03/25(火) 10:58:52|
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岐阜県、飛騨金山〜親子と子犬捜索の出会い〜平成14年旅の現場検証?〜       2014.3.23

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     ☆          ☆           ☆

平成25年6月5日  飛騨金山、道の駅集落を散歩中、子犬捜索の親子と出会い。二度も逢う。

中山道巡りから、可児市から国道41号で北上、飛騨金山集落に向かう、理由は後で。
平成14年車中泊時は、岐阜県益田郡金山町、今は下呂市金山、下呂温泉が近いのですね。

道の駅、飛騨金山ぬく森の里温泉が有ります。
温泉併設で、450円。






道の駅、裏には飛騨川支流の馬瀬川が、山深い山間の集落です。
道の駅から、下流 1㎞ ぐらいと、上流 1 ㎞ ぐらいに馬瀬川を渡り山の麓を散歩出来る道が有る。
橋を渡り、一周して見る事に。上流の橋を渡り山道に、何軒かの民家が有る、のどかな風景。
風の通りが悪く、暑い。 先に緑のトンネルが見える。 涼しさに期待。


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木陰に着きました、大きな石に腰掛け休憩タイム、そこからの馬瀬川の流れ、急流ですよ。


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川から、吹き上げる風が気持ち良い。
そんな時でした、川下の方から、急ぎ足の親子が登って来る。
子供は小学1~2 年生か、着くなり『オジサン子犬見ませんでしたか』と涙目。
残念ながら、見なかったと答えざる得ない。
『ボク、犬は自分の家から遠くなっても、道は覚えてて帰ってくるかも』
と慰めた、父親は、まだ、1 歳なんですとの言葉。

二人は急ぎ足で、私が来た道を登って行った。私は、『ボク』の家が有る方面に向かう。
山すその、地蔵さん、つい子犬の件お願いする。


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小さな、地蔵さん。本州の田舎では本当に良く見かけますね。
北海道と違う歴史を感じます。  子犬何処へ。


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私は、下流の橋を渡る、子犬は見かけ無い。
馬瀬川の上流は日本一のアユの里、友釣りのアユの販売店が有りましたよ。


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道の駅裏の遊歩道を歩いて見た、、子犬が迷いこんで無いかと。
対岸が、最初親子に逢った場所ですね。


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道の駅前の公園へ、そこで又『ボク』達に逢う。
橋を渡り、一周して来たのですね、お父さんは『ここは、息子の子犬を連れた散歩コース
で有り、遊び場所、期待してたが見付から無い』残念そう、言葉も無い。
紅葉の左が、公園です。


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交通量の少ない、集落必ず見つかってると思いますが。


平成14年の旅で、車中泊オマワリさんのお世話に成った場所、現場検証に来ました、?
美濃と飛騨の中間に位置、普通は飛騨高山ですが、当時はここが気に入り停泊。
到着し、駐車場に入った所でオマワリサンが、現れる。
信号無視しましたね、第一声。 私にはまったく意識が無い、両側に建物でどちらが道の駅
かで、目はそちらに、多分そうでしょう。
その、信号がこれ、今は中心に黄色ですね。


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当時は手押し式信号で、もう少し信号機が木の葉で隠れてた記憶、自分の弁護ですね。
反則切符を見ると、信号無視と有る、意識して無視はしてません、見落としですとささやかな抵抗
北海道からの旅、楽しく続けて下さいと慰めの言葉。
9000円の罰金、ゴールド免許取り上げ。 現在はゴールド回復しましたが。
松坂市を通った時、松坂牛ガマン、 9000円有れば賞味出来ましたね、残念。


現場検証、この場所でキップ。


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当時は気づきませんでしたが、信号器側に交通安全の地蔵、
私の不注意、事故が無くて良かった、手押し式、誰か渡ろうとしてた、反省しましょう。


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子犬がボクと逢えたか、心に残りながら金山を離れました。


歌。  北陸ひとり旅。 


  



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  1. 2014/03/23(日) 11:05:01|
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岐阜県、瑞浪市、竜吟峡白髪のオジーチャンとの出会い。中山道、細久手〜大湫宿  2014.3.21

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平成25年6月2日   瑞浪市、竜吟峡の白髪オジーチャン、時間を忘れる出会いでした。

中山道歩きの旅、細久手宿〜大湫宿。竜吟峡は思い出多い場所、出会いと成りました。
大湫宿、コミュニテーセンターで、近くの竜吟峡も歩く事を勧められる、七つの滝が有る。

大湫宿から、更に山道に入る。 カーナビ案内ですから安心して進む。


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その内、登山道を思わせる坂道を、進めと案内。
数軒の民家が有り、広場に到着、カーナビは目的地到着の案内をしてる。
これが、思い出のオジーチャンとの出会いの切っ掛けでした。広場で車の掃除中でした。
竜吟峡に行けますかと聞いてみる。あの道がそうだが止めときなさいとの言葉。
細い獣道らしき遊歩道が有る、マムシは出るし、道も悪い。

中山道の歴史に詳しく、興味の尽きない話が続く。
若い頃、旅好きで車が持てるように成ってから、全国を回ったが、北海道だけは行けなかった
と、残念がってる。

旅ブログを書いてます、記念に写真撮らせてもらう。
『竜吟峡の仙人ジーチャン』じゃー、使いなさい。


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細久手、大湫宿の昔話、気がつくと2時間程に成ってました。 楽しかった。
カーナビ、よくぞここを案内してくれたと、感謝ですね。
竜吟峡は、来た道を戻り、国道19号を右に行くとドラゴンが目印との事。

近くでした、駐車場が用意されて居り、カーナビは本来ここを案内すべき。
歩き出す、左に見える丸いのが、ドラゴンで、通過するとセンサーが働き突然、恐竜の大声。
ジーチャンが、ドラゴンと言った意味がようやく分かる。


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第一の滝です。 第二、第三、えびす、あんま、昇竜、弁天、の七つの滝が有ります。
滝、探索気分では無理ですよ、登山です。
奥には、竜吟ダム。 滝は逆川(さかしま)に有り、土岐川の支流ですね。


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竜吟峡のオジーチャンの話を参考に細久手宿、大湫宿少し紹介します。
西側の宿場を見てきましたが、江戸の都に向かい、細久手宿から、険しい山道に成ります。
細久手宿は、中山道48番目の宿場、慶長15年に新設され、尾張藩領でした。

大湫宿が慶長9年に設けられたが、御獄間は4里半もあり、中間の地として細久手宿が出来たそうです。
経営的には苦しい宿場で、尾張藩の援助が有った、これが、今に残る『大黒屋』
だそうです。


大黒屋


細久手宿の当たりは、田舎の集落、気持ち良く通り過ぎてしまう、今考えれば残念な思い。
細い山道を、大湫宿に向かい進むと、峠の頂上に出る。
『奥之田一里塚』の標識。
現存する、一里塚としては貴重な所、ここに一里塚が有りましたは見て来ましたが。
一里塚(3,927㎞) は、街道の両側に小高い山を作り、松等を植え遠くからでも目標に
出来たのですね。  左に太い松が見えます。


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少し進むと、弁財天の池、 旅人の癒しに成ったでしょうね。


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ハスの花も見せてくれました。


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大湫宿到着です。手前に駐車スペースが有りました。
その場所が安藤広重の『木曽街道六十九次』で描いた場所でした。
大湫宿は、大久手宿とも表現してたそうです。


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大湫宿は、東に『十三峠』西に『琵琶峠』を控えた、のどかな山間の集落でした。
細久手もそうですが、観光地化されてない所が、他の宿場との大きな違いかも知れません。
昔のままの面影を残してます。


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江戸時代後期の頑丈な古い建物が見られます。
雪が多く、若者は都会へ、現在60戸程の小さな集落だそうです。


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神明神社の大杉、樹齢1200年、樹高60㍍。


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宿場を過ぎ、集落を見渡せる高台に来ました。


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道標が有りました。ここから先は車は通れません、本当の歩きの中山道めぐりに成りますね。
先は『十三峠』に向かいます。


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ゆったりした、気分の中山道歩きでした、私の好きな田舎風景そんな場所でした。
竜吟峡の、オジーチャン歴史の話、思い出話ありがとう。


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  1. 2014/03/21(金) 11:40:56|
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岐阜県、中山道、垂井宿。〜町職員観光意識の高さ〜中山道、美濃路の分岐点。  2014.3.19

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平成25年6月1日   中山道、垂井宿に入る。役場職員から歴史、宿場の説明。

垂井宿の見所は、集落の外に有った。職員の説明受けなければ、見落としでしたね。
中山道、宿場歩きをしながら、北上、垂井宿に入る。

今まで、歩いて来た宿場と少し違う、中山道宿場が見つからない。(車で通ってたのですが)
垂井町役場で情報を得る事に、イケメンの青年職員、語りに情熱を感じる方。

垂井宿場は、歴史の建築物と、近代化した商店街と混在してるそうです。
それで、気づきにくかったのですね。他の宿場より、古い歴史が観光資産に成るのに
気づくのが、遅かったのでしょうか。

職員は、江戸時代の建築物が取り壊される空気の時、住民の文化遺産保存の運動が起き
何箇所が、保存されてるので歩いて下さい、地図を前に熱く説明、熱いものを感じました。

垂井宿は、東に歩いて下さいとの、アドバイスも、その理由は後で分かりました。
車駐車は、役場を使って下さいの言葉、可能スペースまで案内まで、感謝です。

言葉に甘え、垂井宿を歩く事に。






役場から、近くに垂井宿は有りました。
青年の言葉の通り、江戸と近代の混在した、商店街風景です。


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旅籠屋、長浜屋です。築200年以上ですよ。
取り壊し、寸前まで成ったそうです。運動で残った、よかったですね。


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歴史有る、建物。 宿場通りには、まだ、宿場風景を感じる物有りましたよ。
他の宿場との、違いは商店と混在ですから交通量が多いですね。


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役場職員、勧めの東方面に向かいました。
垂井宿は、57番目の宿場で、315軒の商工業で賑わってたそうです。
相川です、相川人足渡跡ですね。  暴れ川だったそうです。 今はそんな川に見えませんね。
川越人夫は垂井宿の百姓、 水量で渡賃が決められたそうですよ。 体重は???


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相川を渡ると、中山道を思わせる風景が残ってる。
安藤広重の『垂井宿』の描かれた所でしょうかね。


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垂井追分道標です。
中山道と美濃路の大切な分岐点ですね。宝永6年建立と有りました。
『是より右東海道大垣路
        左木曽海道たにぐみみち』
中山道道標で七番目に古いそうですよ。


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中山道〜美濃路の分岐標識ここにも。


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お休み処です、先の旅を考え、ダンゴ、茶で元気つけたのでしょうね。


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東方面、気持ち良い散歩に成りました。垂井宿は東方面お勧めですね。
町役場、近くに泉湧く大ケヤキが有る事も、役場職員から聞いてました。
幹まわり8㍍、名水湧く泉で涼しさを感じる場所でした。垂井には何箇所か有るそうです。
右側に幹だけしか、見えません。


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役場職員の熱意には、意味が有りましたね。時間掛かりましたが、歩いて良かった。
通りすごしていたかも知れません。


歌  木曽路の女   水森かおり






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  1. 2014/03/19(水) 10:58:05|
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岐阜県、関ヶ原町で町議会議長さん、歴史資料館館長さんとの出会い〜天下の戦いを語る。 2014.3.9

   オジサン『ヒグマ』と共に冬眠中です。
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   何年たっても、顔の表情まで思い出の有る方ばかりです。

    ☆         ☆           ☆

平成25年5月21日  役場前小さな林の広場での出会い、観光客に暖かい気持ちが伝わりました。

役場前の道路を挟み、木陰と成る広場がありました。
関ヶ原町を歩き、昼時、休憩で車に戻る。そんな時、出会いがありました。

札幌から、観光ですか、有り難うございます、ゆっくり観光してして下さい。
自己紹介、 何と関ヶ原町、町議会議長さんでした。

関ヶ原町も、高齢化と人工減少、企業誘致が思うように進まないとの悩みの言葉。
全国的な問題ですね。
歴史にうとい私は『天下分け目の戦い』ぐらいの知識しか無い関ヶ原について聞いてみたかった。

議長さんの言葉で、記憶に大きく残ってるのが『小早川秀秋』への思いです。
西軍有利と思われた、戦いが小早川秀秋の寝返りで東軍有利な展開に成った事。
この件で、関ヶ原の歴史から、小早川の名が抹殺され、議長さんは寂しさを感じてるそうです。

何とか、小早川氏の名が表舞台に出るよう力に成り、新しい関ヶ原の歴史観光を
盛り上げたいと、熱く語られました。

私は、関ヶ原をゆっくり歩いて見たく、この場で数日停泊したいとお願い。
快諾を得る。
海津町NTTドコモ、さんアドバイス通り電波は小さな町ですが役場前、LTEでした。

広場隣りは、歴史資料館、翌日早朝駐車場に移動開館を待つ。
駐車場には、九州ナンバーの車が一台、9時開館ですが8時30分頃でしょうか。
館長さんが、挨拶に見えられる、遠い所ありがとう。の言葉。
昨日の議長さん、そして、館長さん、町外の観光客を大切にしてる気持ちが十分
伝わりましたよ。

資料館で地図、歩くポイント等アドバイスを得る事ができました。
気持ち良く、3連泊してしまいましたよ。






左側の緑が停泊した広場、右に関ヶ原町役場です。
緑の奥に、資料が有ります。


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資料館で、大将の姿でしょうか。館内は撮影禁止でした。
知らないで撮ってしまった一枚。許していただく。


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停泊した近くには、ゲートボール場が。


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資料館前の道路を挟み、向かいは徳川家康、最後の陣地が史跡として残され
大きな森の公園に成ってます。


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東軍の将徳川家康、西軍の将石田三成『天下分け目の戦い』
決戦の場と成った所です。 奥の山が笹尾山。
この場所は石田三成の陣地が有る、笹尾山の麓に成ります、笹尾山の頂上から関ヶ原
を、眺めてみると、石田陣営に取って最高の場所のように感じました。
徳川家康の最初の陣地、桃配山は笹尾山より低い位置に有り、地形的には不利のようですが。

しかし、東軍の勝利その後250年続く政権の誕生ですね、
もし、西軍勝利なら日本の歴史どう変わってたのでしょうね。
そんな事を考えながら、歩いた3日間でした。


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中山道、関ヶ原宿入り口です。
松、杉、楓等の並木は旅人のいこいの場でしたが、現在は虫害や台風で減少
対策に苦労されてるそうです。


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関ヶ原宿より一つ西の宿場、今須宿です。


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観光客は少ない、宿場風景は感じられます、昔は飛脚、今は『テ』ですね


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関ヶ原最後の夕日です、場所は徳川家康最後の陣地、私には貴重な一枚。


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海津町から関ヶ原に移動で、立ち寄った養老公園紹介します。
養老公園は北海道道東にも、同じ名の公園が有りますよ。


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松林の奇麗な風景を見ながら、川沿いを歩くと上流に滝が有ります。


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お二人との出会いで、関ヶ原を堪能し、歴史の勉強にも成りました。
歴史の中に入ると、何処までも歩きたく成ります、疲れを感じ無い。

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  1. 2014/03/09(日) 10:16:22|
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岐阜県、海津温泉での出会い〜ブログ旅の要領探る〜3連泊で可能性見えて来る。   2014.3.7

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平成25年5月15日  岐阜県、海津温泉駐車場で職員との出会い、ブログ旅改善の切っ掛けに。

ブログ旅に出て、5日目に成ってました。 愛西市、立田ふれあいの里、道の駅
で、2連泊、海津市に入りました。

愛西市では、電波環境悪く、また、まだ車旅でのブログ投稿要領を得てない。
落ち着いて、考えて見る場所を探してました、道の駅での連泊は迷惑になる場合が有る。

愛西市から、長良川沿いを北に向かうと、道の駅クレール平田が有る。
道の駅から、お千代保稲荷神社を観光、歩きながら見た看板で近くに海津温泉を知りました。

海津温泉は濃尾平野、木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)のど真ん中、温泉の考えづらい
所に有りました。





海津温泉正面、田園地帯の静かな環境。


海津温泉_convert_20140306133027


駐車場は広く、今の自分に必要なブログ環境を考え直すには、絶好の場所。
入浴後、フロントで相談して見る、観光しながら車中泊で連泊したいと。
上司に相談したのでしょう、まもなく、自由にどうぞ利用して下さいとの嬉しい回答。

3連泊でお世話に成る。
この間、海津市NTTドコモで、PCとWiFi ルーターを持ち込み設定、使い方に
間違いがないか、徹底的に調べて貰う。
そこで、得たアドバイスは。

 NTTドコモのホームページに全国の電波環境エリアと強弱のページ
 が有る事、これを参考に作業するよう勧められる。
 この画面は拡大すると、かなり精細に分かる。

 田舎に入った時は、市町村役場、庁舎の近くで作業する事。
 このアドバイスはその後効果が有りましたよ。

 ルーターを車外にぶらさげて見る。効果を感じる事が有りました。

 私は、Fc2 ブログの写真縮小作業で苦労してました(ダウンロード失敗で)
 その事を話すと、その作業中はウイルス、セキュリテーを切って作業する。

 電波が多く使われる時間帯を避ける。

その後のブログ旅で、参考に成る事ばかり、私には新鮮な事ばかりでした。
海津温泉に、感謝です。落ち着いた環境、毎日温泉、3連泊が少し自信を
持たせてくれました。


海津温泉駐車場は、トイレ完備で広い、二面が水田に面してる、稲作農家の田舎育ち
には、最高の環境でした。水田側には安全の為柵が有りました。
早朝の柵に子供のカエル。


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近くを散歩してると、田植え中。オジサンに写真撮らせて下さいとお願い。
どうぞ、と、機械から降りてしまう、後ろ姿でもと思ったのですが。


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濃尾平野少し紹介しますね。
木曽川、長良川、揖斐川の大河川が集合して居り、海抜ゼロメートル地帯とも言われてます。
水田地帯には水路を良く見かけます。


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北海道との大きな違いに感じたのは、田畑、小さな工場、アパート等が混在してるのです。


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農村風景を歩いてると、所々で歴史有る集落に出合う。


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お千代保稲荷神社です。クリックでリンク。


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海津温泉から歩いて観光出来る、アクワワールド水郷公園です。
市民の憩いの公園のようです、絵画、クラフト作品、陶芸等趣味のギャラリーが
6棟有ります。


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この水郷公園は、オランダの技術者も関係してるそうです。


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海津温泉から、南に行くと揖斐川、長良川、木曽川の木曽三川公園に千本松原が有ります。





この細い堤防に、大きく育った松林が見られます。
昔から、水害、生活用水、農業用水と難題の多い地方だったのですね。
歩いて見ると良く分かります。千本松原はそんな所に有りました。
木曽三川治水の先駆者は、平田氏とデンマーク人のヨハネス、デ、レーケ氏でした。
平田氏は薩摩生まれの家老で、水難の同胞を救うため、こちらで活動、両氏共
この地方の治水の恩人と言われてます。堤防には石碑と神社が有りました。


愛西市散歩の一枚、愛西(愛妻)の町ですね、縁結びの松が。


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愛西市、道の駅一日目の朝日です、これには意味が有ります。
車の運転席、助手席、フロント窓の目隠しブラインド積み込み忘れで目覚めが早かった。
後部窓はカーテン装備。さっそく部品購入作り直す必要と成りました、忙しいのに。


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愛西市2連泊、海津市3連泊で何とかブログ旅が見えた5日間でした。
感謝です、特に海津温泉フロントの方有り難うございました。


ひとり長良川。  水森かおり。






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  1. 2014/03/07(金) 11:58:38|
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岐阜県、乗鞍岳でライチョウ観察の青年との出合い〜大パノラマ。         2014.1.18

    オジサン『ヒグマ』と共に冬眠中です。
    旅で出合った人達を思い出し、自分の備忘録として日記風に残して置きたいと思います。
    何年たっても、顔の表情まで思い出の有る方ばかりです。

     写真はフイルムプリント写真をデジタル化した物で画像悪いです。

     ☆        ☆          ☆


平成14年6月10日  乗鞍岳登山中、雪渓でライチョウ観察の青年との思い出の出合い。

道の駅、奥飛騨温泉郷上宝で2連泊、万全の体調で登山の思い出です。
乗鞍連峰は北アルプス、飛騨山脈に位置し長野県松本市と岐阜県高山市の県境に成るのですね。






乗鞍23峰の総称が、乗鞍連峰、乗鞍高原とも言われ、2500~2900㍍の山々。
連峰の主峰、標高3026㍍の剣ヵ峰登山が正解のようですね、今回調べて知りました。

 北海道の大雪山もそうですね、大雪連峰の中に、旭岳、黒岳、北鎮岳、比布岳等々
 と同じですね。

道の駅から、車で乗鞍スカイラインで畳平へ、最初から素晴らしい景色のスタート。
晴天でした。
当時(平成14年)の記憶では、乗鞍スカイラインの自家用車通行は今年限りとの話でした。
現在は環境保護から、乗り入れ禁止かも知れません。

青年との出合い、写真を紹介します。
登山開始すぐの写真です。


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振り返ると、畳平のロッジが。


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青年との出合いは、山頂下の雪渓でした、6月ですからまだ残雪が多い。
登山道から少し離れた所に、カメラの三脚を低くし身動きしない青年が、
雪の結晶写真でも。  青年は『静かにこちらに』の合図。 まだ意味を理解してない。

静かに近づくと、ライチョウですよと。 50㍍以上先でしょうか、真っ白い保護色のライチョウ。
私は、乗鞍登山でまったくライチョウの意識は無かった、しばらく青年と神秘的感覚の時間でした。
当時の話では、乗鞍連峰で約100羽、国の特別記念物に指定されてる。

 写真が無い、私はいつもの事で、このように貴重な時に写真を忘れる。
 でも、目のフイルムに真っ白いライチョウは焼き付いてますよ。青年に感謝です。

まもなく頂上です。


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頂上です、感激のパノラマ、雲上の感動。


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穂高連峰、槍ヵ岳、朝日岳、浅間山、御岳山、山頂で登山者から説明を受ける。
360度のパノラマ、下山する事ができず、一時間半ほど鑑賞に浸る。


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北海道の最高峰は旭岳の2291㍍, 初めての3000㍍体験でした。
青年との出合いで、ライリョウも!!!


歌。 北陸ひとり旅。   水森かおり。





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  1. 2014/01/18(土) 10:45:20|
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中山道、馬籠宿を歩く。落合の石畳街道。           2013.6.7

中山道、木曽川宿の一つですが、美濃との境にあり、宿場は本当に急な坂道に有りました。
木曽川沿いを、車で走ると当然、山、坂の多い所ですが、昔この街道を歩いた事が想像を出来ない。

そんな街道です。馬籠宿自体が急な山道に沿った宿場ですが、旅人がたどり着いて、一番ほっとした
宿場ではないでしょうか、歩いてそんな感じを受けました。
急な坂道の両側に石を積んで家を立て、宿場の中央には本陣、脇本陣、問屋などがならべられたそんな
宿場の様子が、うかがえました。

宿場の一番高い所に有る、駐車場に車を止める。無料有り難い。
上陣場の高い所から見た、宿場風景です。
最初に見える家から急な坂道街道になりますね。

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高札場です。どこの宿場でも見る事ができますね。

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道標です。京五十二里半、江戸八十里半と有ります。
私は、沢山の道標を見て来ましたが、必ず、〜里半の半が付く? こんど調べたいと思います。

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急な坂道の街道を東から西方面に向かって歩きます。

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写真で、旅人の急な坂道の想像つきますでしょうか。

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暑さと疲れが出たたころ、水路と花が癒してくれましたよ。

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坂の風景が続きますよ。

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馬籠脇本陣跡です、一度明治28年の大火で焼失したそうです。
現在資料館と成ってました。

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本陣跡です。
現在は藤村記念館で、記念館は江戸時代藤村家の生家で、馬籠本陣、島崎家が立っていた
ゆかりの場所なのですね。

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大分下がってきました。

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木曽馬籠清水屋です。清水屋は島崎藤村の作品『嵐』に出て来る『森さん』(原一平)の家なのです。

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本当に急な坂道です、私がもし来年きたら、歩けないかも、籠を手配ですね。

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そんな所に大きな水車が。

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水車小屋に入ると、何と水力発電でした。
宿場町に、近代文化の電気。時代の変化を気づかせるアイデアですね。
現在の発電量が出てました。急な坂道だから出来る事ですね。

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私は下がりながらの、宿場めぐりでしたが、ようやく西の端に着きました。
逆の歩きの方は大変なところですよ。

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やはり、ここでも枡形が有りました。
水車小屋のところの、急な坂道を90度曲げてでます、常に防御の事を考えた宿場作りをしたのですね。

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宿場の防火水槽で金魚が泳いでましたよ、火災が無い証拠ですね。

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可児市、きりら坂下道の駅に戻る時、涼しさを求め脇道の小高い風の通り良いところを求め
走ってると、落合石畳街道の看板が。歩いてきましたよ。
落合集落近くに約800㍍に渡り保存されてます。すばらしい。

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その小高い所は棚田の、水田地帯でした。
通りかかったオジサンの話を聞くことが出来ました。江戸の時代からここで水田を耕作するため
この、高い所まで水を引く、工事に先代からずいぶん苦労が有って、稲穂が稔ように成ったと話して
くれました。

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暑い一日でした、道産子だからそう思うのでしょか。
草履で、荷物を持った旅、旅とはいえ現在のように観光ではないでしょうが。
女性、子供、の旅人は居たのだろうかと思う毎日です。特に細久手、大湫、妻籠、馬籠宿。

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  1. 2013/06/07(金) 08:23:52|
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飛騨金山町馬瀬川流域と集落を歩く。            2013,6,5

中山道を中心に移動してきましたが、地図を見ると飛騨金山は近い。
私には、11年前飛騨金山ぬく森の里道の駅で、苦い経験が有り現場検証に。?。
飛騨金山は江戸時代、飛騨川と馬瀬川の合流点が天領、尾張藩、苗木藩、群上藩の境に当たり
宿場町として栄えたそうです。

11年振りの訪問です。
11年前それは、この手押し式信号器から始まりました。

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当時はもっと、両側に木が有り大きく枝が出てた、信号機にかぶさるように。
信号機を過ぎ、駐車場に入ると、パトカーが現れる。何処に居たの。
黄色でしたよね。信号無視です。私、無視では有りません、見落としです。
この場所で、キップを頂きました。9000円。ゴールド免許取り上げ。

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ゴールド免許再取得しましたが、信号機の隣に交通安全の地蔵さんが、有りました。
やはり、反省ですね。

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飛騨金山に来て、『軟骨めぐり』と言う言葉を知りました。
皆さん、知ってましたか。『軟骨』とは、路地裏通りのこと。昔から生活に密着した共同通路で
そこに住む人の重要な生活空間なのですね。

軟骨めぐりを、して来ました。
野球場の土手を利用した、取り組みですね。奇麗に目立ってましたよ。

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通りに紅紅葉が、雰囲気を変えてます。

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馬瀬川の河岸に下りました。奇麗なな川です。ここは水量も有ります。

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イワナが居そうですね。

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歩いて行くと、やはり本州の川ですね大きな岩、急流も有ります。
その変化が、疲れ、暑さを忘れさすのですね。

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橋が有りました、渡って対岸の急傾斜の集落を歩く事にしました。
こんな場所も、小さな湖です。

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本州では、田舎に入ると良く見かける地蔵さんです。
古いのでしょう、顔の表情は分かりませんでしたね。

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崖地には石垣ですね。北海道はコンクリートかブロックが多いですよね。

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紅紅葉が馬瀬川をここでも引き立ててましたよ。

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わき水が豊富な所です、水車の民家が有り、撮らさせて貰いました。

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こんな、立派な石垣も。

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林から見た馬瀬川です。ここで、しばし休憩でした。
ここで、自伝車を押して来る、オジーサンと小学1年生ぐらいの人と逢う。
子犬見ませんでしたかと。探してるようです。
犬は自分の家を、覚えていて戻るのではと言うと。2月に生まれたばかりだそう。
このお2人には、また、下流の橋を渡り元に戻った時、公園で探す姿を見ました。
子犬に逢えてれば良いのですが。



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下流の橋から見た所です。この当たりは岩が多いですね。

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11年前の反省をしながら、軟骨めぐりをしてきました。

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  1. 2013/06/05(水) 07:56:02|
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可児市、花フェスタ記念公園。バラの花満載。           2013.6.4

早朝散歩してると、花フェスタの看板、バラ祭りとある。
道の駅から歩いて行ける距離。いつも、中山道、田舎の地味な投稿ばかり、画面をはなやかにします。
説明は出来ません。最初花の名前メモしてましたが。メチャ、メチャに成りすみません。

色と、香りを想像して見て下さいね。
広大な敷地に約5000品種のバラが鑑賞できます。世界でも有数のバラ園だそうです。
バラ以外にもいろいろな施設が有りますが。他は回りきれませんでした。

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花音痴オジサンで説明は出来ませんでしたが、香りだけでも感じられたでしょうか。

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  1. 2013/06/04(火) 06:40:18|
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瑞浪市、竜吟峡を歩く。七滝。              2013.6.3

大湫宿から近く。コミュニテーセンターの方が場所は教えてくれました。
カーナビにセット。走る。急に車1台しか通れないような道を案内始める。
行くしかない、私も知らない道。

突然少し広い所に出た、車が1台有る、白髪、白ひげの仙人風のオジサンが居た。
回りを見ると、住居が何軒か有る。
ここが竜吟峡に行く入り口ですか? そうだけれど止めなさいと。道は悪いし、マムシが出る。

仙人風のオジサンと、2時間程オシャベリをした。これだけで竜吟峡に来た意味が有ったと思いましたよ。
若い頃、あんたと同じで、古い歴史を訪ねるのが好きで、田舎歩きしたそうです。
ブログを、書きながら旅をしてます。オジサン記念に1枚使って良いですか。どうぞ、どうぞで撮らさせもらう。

オジサンの言う説明のとおり、整備された道が有った。
カーナビ何を考えてるのでしょう。

仙人オジサンです。別れる時車が見えなくなるまで、手を振ってくれました。

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案内板にサワヤカコースと有ります。
所々に石碑、石像が多い所でした。

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オジサンは国道19号から、入るのはドラゴンを目印にしなさいと言った。
登りだすとその、ドラゴンらしきものが有った。
そこを通過した時、恐竜の大声が、飛び上がる。センサーが働くように成ってる。
なぜ、ここでドラゴンなのか、今も分からない。左の丸いのがドラドンです。

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気持ち良い道になってきました。

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数は少ないですが花を見ることも出来ましたよ。

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石像です。古いのでしょうね。顔の表情が分かりません。

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第1の滝です。ここ竜吟峡では落差のある滝でしたね。

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第2の滝です。
2本の滝に成ってます。ここにはカメラ愛好家でしょうか、4人の方が三脚セットして
チャンスを待ってるのでしょうね。

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第3の滝です。

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えびす滝です。なぜ、えびす滝なのかしばらく考えました。

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あんま滝です。
これは、何となく丸い石があり、肩こりに良いかなと。

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昇竜の滝です。竜が登ってるイメージでしょうか。

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梵天の滝です。
この、あたりで水を持ってこなかった事を反省してました。
サワヤカコースで、滝が七ツですぐ終わりと思ってました。違いました。軽登山でした。

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風の無い日で、水の音と、緑、花が疲れを忘れさせてくれました。

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オジサンの手を、振ってる姿が忘れられません。お元気で。

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  1. 2013/06/03(月) 07:26:30|
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中山道、細久手〜大湫宿。1里塚。旅姿の想像が出来ました。   2013.6.2

細久手宿を通過、細い山道に入る。車に合う事は少ないが徐行運転が続いた。
やがて大湫宿との、峠の頂上と思われる所に小高い山が、道の両側に二ツ見えました。

それは一里塚でしたよ。まわりは杉林。
1里塚には、榎や松が植えられ松並木も整備されたそうです。ここの1里塚は松でした。
現在はほとんど荒廃してるそうですが、当時のまま残っているのは、全国的にも稀のようです。

今までの、中山道めぐりでも、1里塚の標識は有りましたが本物は、初めて、当時この小高い丘の
杉の木を目指して、峠越えをしたのでしょうね。

小高い山です。中心に有る杉の木が左に見えます。

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道の反対側に成ります。

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一里塚の石碑が有りました。

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峠より大湫宿に向かっていくと、弁財天の池が。

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享和2年に、記された紀行に『左の方に小さな池あり、池の中に弁財天の宮あり』との記述があるそうで、
左との表現は、細久手宿から歩いて見た風景を指してるのですね。
ハスとアヤメですね。旅人に休息の場と成ったのは想像がつきますね。

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ハスです。

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大湫宿の少し手前に広場があり、木陰に成って居りここに車を置き歩こうとしました。
そこは、偶然にも安藤広重が木曽街道六十九次で描いた場所でした。

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大洞小坂で広重描くの石碑です。大湫宿は、大久手とも書いたそうですよ。

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歩き出しました。地元のオバサンが歩き方を教えてくれました。
分からなく成ったら、どこでも良いから聞きなさいと、親切な言葉。旅人には心強いです。
高札場が目につきました。今までと違う。高札が10枚展示。それには、定と覚がある。
意味分けは、分からない。いろいろお上の決め事が書いてありました。

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通りに入りました。

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当時のままの、建物です。壁は白壁。

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神明神社です。

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大木の杉。

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かなり歩いて来ました。通りです。

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本陣跡です。
大湫宿本陣は間口約40㍍、奥行き約27㍍、部屋数23という広大な建物で大名、高級武士たちの
宿舎でした。

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大湫宿最後の場所まで上がって来ました。
これから先は、車では通行出来ず。歩くだけの中山道に成ります。

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高い所から見た、大湫宿です。

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街道の花が疲れを癒してくれました。

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街道は車の交差が大変です。車は少ないですが。

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今日は、1日感動でした。細久手から大湫宿が気持ち良かったのも有りますが。
何カ所かの、宿場を見学しましたが、それぞれの姿が有りました。どんな形でも、
江戸から京までの、中山道を感じて貰う取り組みは素晴らしいと思いました。

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  1. 2013/06/02(日) 07:39:32|
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中山道、美農路の起点、垂井宿を歩く。大ケヤキを見る。    2013.6.1

ブログ書き出し、認識しました。6月何ですね。本州に入り20日が立ちました。

垂井宿は中山道の宿場であると同時に美農路の起点の場所でも有ったのですね。
垂井宿総家数315軒で、商工業者が多く軒を並べてたそうです。

現在は一部に、当時の面影を残してますが、現在の商店街に変わった感じを受けました。
役場に寄り、説明と地図を頂きました。
車ですか、止めるとこが有りませんから、役場の駐車場を使って下さいと。
車旅をしてると、道の狭い本州で一番困る問題です。役場の職員の方。ありがとう。

中山道に出ました。今まで見た、中山道宿場町と雰囲気が違います。

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こんな時は、一歩裏道を歩く事が有ります。
商店が有りませんから、収穫もありますよ。

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古い建物で母波屋と有りました。

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東の方に歩いてると相川が。
相川人足渡跡で、相川は昔から暴れ川で、たびたび洪水があり、そのため、江戸時代初期
には人足渡しによる、渡しが主で有ったようです。
川越人夫は垂井宿の百姓がつとめ、渡川時の水量によって渡賃が決められていたそうです。
体重は関係無いのか心配になりますね。

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さらに、東に進むと松林が有る事を役場の職員から聞いてました。
見えてきました。

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長年頑張ってきたようですね。

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ここの、地蔵さんはどこより大きく、建物も立派ですね。

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垂井追分道標があります。
追分は中山道と美濃路の大切な分岐点でした。ここには宝永6年に建てた
『是より右東海道大垣路左木曽街道たにぐみみち』と刻まれ、中山道道標で七番目に古いそうです。

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街道の分岐点に当たるところに、お休み処が。
ここで、茶とダンゴで次めざして歩いたのでしょうね。

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旅籠屋長浜屋です。これは当時のままだそうですよ。

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当時の垂井宿をしのぶ、ただ一軒の宿場風景だそうです。

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本龍寺です。
山門や書院の玄関は脇本陣から移築されたものと言われてるそうです。
松尾芭蕉は元禄四年、冬ごもりして『作り木の庭をいさめる時雨かな』などを詠んだそうです。
明治天皇も御小休所されたそうです。
大きく貫禄のある寺でした。

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大ケヤキが有り、名水が湧く泉まで歩きました。
涼しさを感じる所でした。

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大ケヤキの根元です。全体像をカメラに納めることは出来ません。
名水50選に選ばれてるそうで、大ケヤキの幹まわりは八㍍あるそうです。

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今まで見た、宿場とはちょっと違ったイメージでしたが。
それぞれの、地区の条件に合わせ、一生懸命努力されてるのでしょうね。

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  1. 2013/06/01(土) 08:32:34|
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中山道。今須宿を歩く。

 朝、出発前関ヶ原民俗資料館駐車場で、館長さんが迎えてくれた。
開館前で、他に九州ナンバーの車が1台、来町、来館ありがとうの意味と解釈しました。
昨日、今日と県外からの、来町者の取り組みを感じました。

中山道、今須宿は関ヶ原宿の一つ、西の宿場でした。
国道21号に、そって今須宿はあります、当然江戸時代はここが国道ですよね。

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宿場風景です。

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近くの、オジサンは歴史ある物ですが、見苦しいですねと言ってました。

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江戸時代の問屋場で、人や馬の引き継ぎ立てを行った問屋が、今須宿には七軒も有ったそうです。
当時のまま現存しているのは、この山崎家だけだそうです。

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江戸時代は、飛脚、今は『〒』に成ってました。

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常夜灯です。
京都の問屋河内屋が建立したものです。

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宿場風景

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宿場風景

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街道沿いに、有った寺、大渓山 真宗寺です。

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宿場風景

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大きな寺が、目に入りました。
青坂山 妙応寺でした、正平15年(1360年)に今須領主長江重景が創建した。
県で最も古い曹洞宗寺院です。

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本殿です、常夜燈が奥に行くにしたがい大きくなってました。

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寺、入り口前に石碑が、下乗とあります。馬からおりなさいかな。

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関ヶ原資料館駐車場で、夕方、外を見ると夕焼けの感じ撮って見ました。

お月さんです。

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夕日です、この夕焼けは、私に取り貴重な一枚です。
徳川家康が、最後に陣を取った森ですから。

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3日間、関ヶ原でお世話になりました。
歴史認識が、あまかったですが、少し勉強に成りました。
明日は、彦根市、近江八幡市方面にしょうと思ってます。

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  1. 2013/05/22(水) 07:20:10|
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徳川家康初陣地跡、桃配山、関ヶ原宿を歩く。          2013.5.21

 関ヶ原町、町議会議長さんと話をする機会がありました。
見学後、役場前の風通しの良い大きな木陰で休息してると見えられました。
どこも、抱える問題点を話され、今の取り組み、今後の課題を熱く語ってくれました。

関ヶ原の戦いの件では、現在寝返った西軍の小早川秀秋が、歴史から抹殺された状態である。
東軍、西軍の歴史が有って、現在が有り、小早川秀秋が表舞台に出るよう考え、この関ヶ原町
を発展させたいと、熱く語られた。歴史を少し深く知る機会でした。

徳川家康の初陣地跡、桃配山は石田三成陣地笹尾山から見れば、低い位置でした。

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桃配山は関ヶ原の戦いの900年前の戦いで、この近郷の山桃を全て買い上げ軍団兵士皆に配った。
結果戦勝するが、徳川家康も、この快勝の話にあやかって桃配山に最初の陣を取ったと言われてます。

家康が作戦会議、陣頭指揮の祭腰掛けた石です。

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桃配山から石田三成の笹尾山方面を望む、中央の小高い山です。
桃配山の裏は、新幹線です。歴史を実感します。

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近くの関ヶ原宿を歩いてきました。R0013789_convert_20130520133405.jpg

昔は松、杉、楓などの並木があり、その木陰は旅人の、いこいの場所でしたが、虫害や台風などで
減少が多く、対策や保護に努めてるようです。

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宿場としての保存は残念ながら少ないです。

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しかし、歩いて気持ち良い道ですよ。

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宿場の感じが残って所も有ります。
東は垂井、西は今須宿に成ります。

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野上『七ツ井戸』です。
旅人の疲れと、喉をうるおす、つるべ式の井戸です。
今でも、くみ上げ出来ます。

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当時の建物でしょうか。

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宿場町風景

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残されている、数少ない松です。

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六部地蔵です、『六部地蔵歯痛なおして礼参り』
昔の旅人も、どこか痛みのある時、ここでお願いしたのでしょう。

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桃配山からの、小川を見ると、もうトンボがいました。
正面から撮ると、言ってもそのままでした。

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近くの、池田温泉行って来ました。
女性が喜びそうなツルツル感がすごいですよ。北海道の温根湯温泉近くに、ツルツル温泉
有りますが、池田温泉が上。

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  1. 2013/05/21(火) 07:23:22|
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関ヶ原古戦場を歩く。400年前この場所で歴史が作られる。   2013.5.20

東軍の将徳川家康と西軍の将石田三成が、この地で『天下分け目の戦い』
が、ここ関ヶ原の戦いなのですね。
権力を握りつつあった、徳川家康と石田三成をはじめとする、その反対勢力との対立を
武力によって、決着をつけ、その後250年も続く政権が誕生したのですね。

戦いは国と国の戦いが、現在も悲しいかな有りますね。
日本は400年前、いやそれ以前から国内で、命をかけた戦いの歴史が有るのですね。
現在に、置き換えると、都道府県の、権力をかけた戦いですね。
想像が付きません。 

歴史民俗資料館で情報を得ました。
大将の指揮を取る姿でしょうか。

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400年前、日本にも銃器の技術入ってたのですね。

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大砲です。

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西軍の陣地が多い方面に歩き出しました。

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東軍大将徳川家康が、最後の陣地とした所です。

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決戦地と成った所です。石田三成の陣地が有る笹尾山の下に成ります。
西軍小早川隊の、寝返りで西軍が不利な環境となり、三成の首を狙う東軍との決戦の場と成りました。

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石田三成の陣地笹尾山に、登ります。

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笹尾山頂上の西軍大将石田三成の陣地跡です。

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笹尾山より、戦いの場と成った所を眺めてます。
写真では、左に見える山が南宮山ですが、その懐に桃配山が有り、家康は最初の陣をそこに取ってます。
家康と三成は、距離にして2〜3㎞の所で対峙してたのですね。

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笹尾山からの、帰り道です。関ヶ原町の風景になります。
垣根と庭が手入れされた、住宅が続きます。

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西軍島津義弘の陣地です。
島津隊は鉄砲が得意で活躍しますが。小早川隊の寝返りを、知ると西軍不利と判断、東軍の中央
を、突破して見事伊勢街道に脱出に成功したそうです。

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首塚です。家康は西軍の首領の首を実検し、後から反抗の機会を無くそうとしたのですね。

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首洗い井戸です。戦死者を、家康は東軍、西軍に差を付ける事なく、埋葬する事を命じたそうです。

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近くで、町民の方がパークゴルフを楽しんでました。
チーム分けどうするんでしょう、ここでは、東軍が勝利することに成ってますから。
心配になります!!

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総勢15万の兵士と言われてます。
この、歴史が有って現在の日本が有るのですね。

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  1. 2013/05/20(月) 06:39:58|
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養老町養老公園、滝まで散策〜滝の写真の成果は。       2013.5.19

養老町、養老の滝まで登りました。
山裾にある、広い公園からスタートします。松、新緑が目に付きます。

北海道にも、養老と名の温泉が有りますよ。
ここは、孝行息子の伝説でした。孝行息子が汲んだ水がお酒になったと言う孝行
伝説の、伝わる地で奈良時代、元正天皇が自ら、おいでになり元号を『養老』と
改号された。

標高290㍍、落差30㍍、幅4㍍です。

熱さを、すこし感じる程度でした。歩き出します。

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松風橋に到着、川を見ると水がそんなに無い。心配になる。

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登りは左から、帰りは右からとした。
奇麗な松、北海道では赤松と言ってると思いますが。

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3人のオバサンに逢う。おはようございますと気持ち良い挨拶。

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道幅が少しづつ狭く成り、きつくなりましたが、木陰と沢からの風が気持ち良いです。

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もうすぐ。足が少し早く成る。

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着きました、全景です。
1人の青年がベンチで夢ごごち、そんな気分に慣れる所です。

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近づいて滝の写真を撮る。北海道大学の公園、小滝の練習成果はどうでしょう。

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条件を、変えて撮ってみましたが、水の流れを奇麗に表現するの、難しいですね。

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高校生と一緒になりましたが、あっとゆうまに居なく成り、私が登りの中程で、下山して来ました。
気持ちよい、挨拶をされる高校生でした。さっきのオバサンもそうでした。

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下山の別コースで養老神社参拝。

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本殿です。急な階段を登ります。
頂上に有る、杉の大木は見事です。大門坂の夫婦杉(樹齢800年)ぐらい有ると思います。

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そこには、菊水霊泉がコンコンと湧水してます。
皆さん口にふくんだり、ペットボトル持参が多いようでした。
私は忘れました。

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又、道標見つけました。右 菊水天神。 左 たきみた
江戸時代のでしょう。

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車中泊は、道の駅月見の里南濃にお世話になりました。
水晶の湯が近くの、高台に有ります。道の駅近くから、バスで無料でピストン案内してます。
露天風呂から見る、膿尾平野の夜景素晴らしいですよ。

右足、小指の所豆できはじめのようで少し痛い、歩き過ぎか。
今日から、靴変えた。高校生の孫が、足が大きくなり、合わなくなったから持って来たのです。
要するに、お下がり。(笑い)

明日は、関ヶ原町に移動予定です、赤い字クリックでリンクします。資料館の当たりです。


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  1. 2013/05/19(日) 06:21:36|
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アクアワールド水郷を歩きました。新緑に気づく。         2013.518

移動の朝、海津温泉の職員から、水郷の里行きましたか。
すぐ、近くです。新緑が素晴らしいですですよ。

予定を変えて、又、歩くことにした。
行って良かったです、桜もツボミの時北海道を出発し、早くペースをと思いの生活で
余裕を、持って廻りを見てなかった。ブログの作業に余裕が無いのかな。

アクアワールドに来て気づきました、こんなに新緑だったのだと。
反省です、余裕の気持ちで旅ですね。北海道にも桜前線が来たと報道されてました。
カーナビテレビ見れるのですが、昨日初めて見ました。

花が最初に迎えてくれました。

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ここは、バスで行く観光地ではありません。
陶芸、創作和紙細工、絵画、ルラフト作品、ドライフラワー等を通し、地域の人達の交流の場ですね。
それら関係の、落ち着いた建物が多く用意されてます。
海津町のすばらしい取り組みを、見せていただきました。

土地柄緑と水郷です。

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園内は水路と、緑、趣味の交流館、だけです。それがすばらしい。

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花は少ないです。

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奇麗な橋です。奥に風車が。千本松原もそうですが、水郷はオランダと関係有るのですね。

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絵趣味の方が多くいました。

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気持ち良さそう。

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広い池には、蓮の新芽が。職員が居ましたので花の時期は何時ですか、見事でしょうね。
困ったように、もうすぐ、引き抜くのです。
余りにも、ジャングルに成り。水郷のイメージを無くすそうです。
毎年引き抜いてもこれだけ、出る。困ってました。


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交流館に成ります。

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新緑に紅葉の色が奇麗でした。そこを、題材に2人が。

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水路と建物と緑ですか。

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これが、各趣味の展示ギャラリーに成ります。
6棟有りました。

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この水郷には、風車があいます。オランダの風景と錯覚します。

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新緑の季節を、忘れさせて居た自分を、気づかせてくれた水郷の里でした。
海津温泉の職員に感謝です。

養老町に向かう予定です。


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  1. 2013/05/18(土) 08:38:57|
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海津市平田町、千本松原を歩く。治水の歴史、困難を知りました。 2013.5.17

海津市の南側に、千本松原が有ります。
揖斐川と長良川に挟まれた。細い堤防。そこに千本松原が有りました。

古い昔から、水害、生活の水、農業用水と難題が多い地方だったのでしょう。
歩くと、良く分かります。

千本松原の入り口に、石碑が有りました。
木曽三川治水の先駆者、平田靫負、ヨハネス、デ、レーケ両氏です。

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平田靫負は薩摩に生まれ、家老となり、宝暦三年『自らを犠牲にし、水難の同胞を救う』
と自ら総奉行として美濃の地につき前代未聞の難工事に従事し費用約40万両と八十余名の犠牲者
を出して竣工後、すべての責任を負い、現在の養老町の本子屋で自刃しています。

治水神社の祭神であり、治水の恩人と言われています。
ヨハネス、デ、レーケ氏はデンマーク人で水路の面でデンマークに似てたのでしょう。
知識を得たのでしょうね。

南側から歩きました。しばし松を眺めて下さい。

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このような、道が延々と続きます。

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頑張ってる松。

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ここを、歩く時は名前を自分で付けて歩くそうです。

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夫婦松で良いですね。熊野古道大門坂にも有りました。

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見守りの松と付けられてました。海津市立大江小学校四年生が植樹と有りました。
植樹は多かったです。松原保存で協力が有るのでしょう。
特に鹿児島が多く、感じました。治水の祭神、薩摩の平田氏の関係でしょうね。

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治水神社に到着。東郷平八郎書とありました。

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鳥居です。

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本殿で参拝。

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犠牲者の碑

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工事の姿です。近代的機械の無い時代、想像できますよね。

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可愛い幼稚園の子も、歩きに来ました。
先人の苦労が生きてます。

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松ばかりでした。最後に花を。

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  1. 2013/05/17(金) 06:30:04|
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海津市長良川沿い、福江地区を歩く。 15日        2013.5.16

気持ち良い、風の朝道産子には助かる。
海津温泉に入りましたよ、平地で大河川の多い所で、源泉掛け流しです。
札幌に多いモール温泉の感じでした。車中泊どうぞと言う事でお世話に成りました。
広い駐車場で、トイレも完備です。ありがたい。

2面が水田に囲まれ、夕方カエルの合唱が始まります、夜9時頃静かにカエルも寝るのかな。
垣根が有り、そこにバラが添って植えてあり、つぼみが札幌を出る時の桜のツボミに似てました

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垣根の細い支えのバーの上に、カエルの子供が。バラの陰に隠れるように。兄弟でしょう。

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海津温泉から、長良川方面の水田地区を歩く。
北海道との違いを見ました。あまりにも平地で高低差で水を引くことが出来ないのですね。
消火栓の様な設備で水を引いてるのです

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私には、懐かしいものを見ました。補植の苗です。
今は自動化で機械で田植えですが。欠株が出るためそこだけ人の手で植えます。
昔は、全部手植えです。手伝った事が有ります。

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北野神社がポツンと有りました。

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福江地区の氏神で、本社は京都の北野天満宮であり、祭神は菅原道真で天神様として名高く学問の神
として、崇敬され全国に分社が1万社を数えるそうです。

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お清めの水が竜の口から。

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本州に多い道風景です。

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地区の信仰場所でしょうか、名前の分からない神社です。私が分からないだけです。
こちらは、本当に多いです。北海道100数十年の歴史との大きな違い。

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珍しい果物の木。何でしょう。横に長い。

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大きな寺院、栄通寺です。

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本殿です。お参りして来ました。

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木陰に成る位置に親鸞上人の銅像が。

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海津温泉に戻ります。
この地区はこの様な風景が多いです。愛西市もそうでした。
水田の近くに、住宅、小さな工場、これはアパートです。

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今日は、ブログランキングバナー、メインカラムに入れるの、忘れました。
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  1. 2013/05/16(木) 07:51:40|
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岐阜県海津市に入る。千代保稲荷神社参拝。          2013.5.15

愛西市から、北上海津市に来ました。
長良川堤防上の、気持ち良いドライブになりました。昨日も報告しましたが整備は素晴らしいです。

道の駅クレール平田に、車お世話になり千代保稲荷神社まで歩く。
約3㎞ぐらい有りましたね、水田も有り北海道とは、季節の違いで田植えの時期で忙しそうでした。

本州は気候の関係でしょうね、花に囲まれた住宅が多く見られます。

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美味しそうなエンドウが有りました。味噌汁食べたい。

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素晴らしい住宅です。

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千代保稲荷神社東門に到着です。

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『おちょぼさん』の愛称で親しまれています、
長い通りに入った所です。通りには、お土産屋、料理さん、合わない感じがしましたが衣類屋さんも有ります。
漬け物屋さんも、多かったですね。
地元の商店街も兼ねてるのでしょうか。

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南門まで1㎞ぐらい続きましたね。
岐阜八景に入ってるそうです。

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本殿です、多くの方がお供えの油揚げ(50円)を持って参拝してます。
お狐さんとは関係なく、農業や商売繁盛に関係してるそうです。
多くの油揚げどうなるか、心配になりますね。

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お狐さんです。
島根県の津和野にも、商売繁盛のお稲荷さんがありましたね、多くの赤い鳥居をくぐり、山登りした
記憶が有ります。

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中間にも鳥居が。

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南口大鳥居に到着、通路の両側には、お土産屋さん、土地柄川魚料理の食堂も多いです。
店頭には、草餅が目に付きました。

帰り道道路の所々に、地蔵さんが目に付きました。
屋根付きの。

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風通しの良い所と、思いましたがなかなか有りません。

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田植えの、オジサンに逢いました。
実家も、農家ですから、懐かしく写真撮らせて下さいと言うと。
ハイどうぞ! 機械から降りてしまいました。

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本当は後ろ姿でもと思ってましたが、オジサンに迷惑かけたようです。

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  1. 2013/05/15(水) 08:15:30|
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N.PIKA

Author:N.PIKA
大雪山を一望できる上川盆地で育ち、旅、登山、釣りを趣味として年輪を重ねたオジサンです。
全国車中泊の旅を3度トライしました、

イラストは大雪連峰です。

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