今年5月札沼線、北海道医療大学〜新十津川間が廃線。
約4年をかけ、札沼線の景色を撮った札幌の大学生3人。
学生は撮影を通して交流を深めたそうです。
札幌から自転車で沿線を、走り撮影した事もあったそうです。
そんな思い出札沼線の力作、100点「軌跡〜さようなら札沼線〜」
大通公園の富士フイルムフォトサロン札幌で開かれました。
現在終了。
富士フイルムフォトサロンです。

スペース1。

スペース2。
力作多数、高校時代通学で利用してた方が観賞に来てました。

鉄橋。
何度も札沼線歩いてますが、この鉄橋は知りませんでした。

水を張る。本中小屋駅〜中小屋駅間。
下の森の手前に列車が見える。

夏への一歩。 豊ヶ岡駅〜札比内駅間。
豊ヶ岡駅は、何度か見学しましたが林の中で分かりづらい。
札沼線の中で唯一、住民の請願駅だそうです。

最後の夏空。 下徳富駅〜新十津川駅間。

さわやかな朝。 本中小屋駅〜中小屋駅間。

真夏の太陽。 下徳富駅〜新十津川駅間。

路を照らす。札比内駅〜晩生内駅間。

パッチワーク。札比内駅〜浦臼駅間。
下左にパッチワークを走る列車。

またきてね。新十津川駅。

白の世界、一番列車。 豊が駅。
列車の右が無人の待合室、275号線からは分かりづらい所。
待合室は、きれいに清掃されノートには撮鉄が宿泊しお礼が書かれていた。

息吹を上げる。晩生内駅〜札的駅。

制服、制帽の新十津川駅ララ駅長。

新十津川駅では、一日一往復の札沼線、ララ駅長が出勤。
全国から、ララファンが訪れている。
新十津川町長から表彰状を授与されたそうで。
ご褒美に、ドックフードを貰ったそうです。
今年の情報では、2月に亡くなったそうです。
札沼線の廃線を見届けたのですね。
- 2020/12/16(水) 07:36:47|
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浦臼町に坂本龍馬家の墓がある情報を得た。
地理的情報得るため、浦臼町役場に電話してみた。
浦臼町役場から歩いて可能な距離で有る事。
浦臼町郷土史料館があり、くわしい展示が有る事を知った。
しかし、史料館は11月から冬期間の閉館に入るそうである。
一昨年から車生活を終了、免許証を返納してる自分としては公共交通機関を
綿密に調べた結果、距離はあるが可能であり今回行くことにした。
札幌バスセンター13番乗場。

滝川駅前到着です。浦臼行きには時間があり観光センターで休憩。

滝川はグライダーの街、駅前に展示のグライダーです。
広大な石狩川の河川敷地を利用、昭和56年グライダーの街として知られたそうです。

田園地帯をバスで浦臼へ、河川敷利用のゴルフ場です。

浦臼町到着です、旧札沼線の浦臼駅になります。
珍しく歯医者も同居、田舎街は何でも工夫ですね。

浦臼町役場で情報収集、お世話になりました。
札的のお墓までは、歩いて20〜30分との事でした。

浦臼町郷土史料館、奥の建物。
残念ながら、コロナ対策で閉館中、自分が役場に問い合わせたのは夏、
そも時は開館してたのですね。坂本龍馬関係資料が多くあるところ残念でした。

郷土史料館前庭の『動輪』
明治24年浦臼へ入植当時は物資の輸送は石狩川で不便。
札幌桑園から石狩沼田間に昭和10年鉄路が開通。
この動輪は当時活躍した、蒸気機関車の物だそうです。

いよいよ、坂本龍馬家の墓めざし275号線を歩く。

役場で聞いた20分くらいが過ぎ、お墓はまだまだのようだ。
オジーチャン二人に出会い聞いて見た、1時間はかかるだろうとの話。
275号線は遠回りだそうで、近道を教えてくれた、それは廃線になった札沼線を歩く事。
本当は良く無いのだろうが、言葉に甘えた。

旧札的駅、田舎のバス停留所ですね。

札的川を過ぎればすぐ近いはず。

右手に見えてきました。浦臼駅から約1時間です。

坂本龍馬家の墓。

案内板。

坂本龍馬家の家系は複雑。
この二基の墓は、坂本直の妻留と息子の坂本直衛の墓。
坂本直が没後に浦臼にきたそうです。

浦臼バス停留所でも、情報と資料を得ることができた。
坂本龍馬家系図です。

浦臼移住直前の坂本一族だそうです。

今回のブログは、まだまだ整理、まとめが必要と思うが。
書いてみました。
追記。
※ 一族が北海道をめざした意味は理解できたが
なぜ、浦臼町だったのか?
※ 北海道では有名な菓子店六花亭がある、その事業に坂本直行が関係している
坂本龍馬の姉のひ孫。
坂本直行は帯広の南、中札内村に入植、現在は広い公園に工場と記念館があるそう。
六ツの花、花柄模様の包装紙を作ったのが山岳画家の坂本直行だそうです。
※ 中札内に入植した時、直行の妻が何でこんな荒れ地に入植と聞くと山が見えるから
と答えたそうです。
- 2020/10/14(水) 07:50:03|
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自分には札沼線より、学園都市線の路線名が身近。
現役時代通勤でお世話になった。
北海道医療大学から新十津川間は以前から廃線論議があり
JRと関係町村で議論の報道があった、いよいよ決定である。
ゴールデン明けの形画のようでしたが、全国の鉄道愛好家の集まり
が予想され、コロナ対応で前倒しの廃線になったようです。
地元住民は、通勤、通学、買い物と利用した鉄路に愛着の淋しさが。
27日に予定されていた、地元住民だけの最終列車の運行はどうなるのしょうか。
廃線報道があった数年前に、北海道医療大学から新十津川間の各駅舎を撮影
していた、待合室内の記録もあるがブログが重くなるので待合室、ホームだけ
にします。記録を見れば分かりますが付近住民と共にあった路線であると再確認
しました。
路線図です。新十津川の北に沼田町があります。
昔はそこまで路線があった、それで札沼線。

待合室光景、どこもそうでしたが冷たい椅子には座布団。
花や人形等付近住民の手作り待合室。

北海道医療大学駅、これから先が廃線。
医療大学〜新十津川駅間は1〜2両編成。

石狩金沢駅。待合室は貨物列車の車掌車輌だそうです。
近くの樺戸集治監看守長の出身地である、石川県金沢市に由来。

本中小屋駅。旧貨物車輌の再利用。

中小屋駅。以前は木造駅だったそうで手前に基礎が残ってる。
近くに中子屋温泉が有る何度か。利用者の自伝車がありました。

動画。 23秒。 コオロギ。 駅近くの草原で。
静かな環境で、音声を高くして聞いて下さい。
月ヶ岡駅。
奥に見えるのが駅舎、ログハウス風で旧客車改造待合室との格差が!!

知来乙駅。
小さな待合室ですがプランター等清掃も含め気持ちよい。

石狩月形駅、唯一の駅員配置駅。
樺戸集治監初代所長の月形氏に由来。

豊ケ岡駅。
昭和35年地区住民の請願により設置された請願駅。
待合室内の清掃、かざり等雰囲気が素晴らしかった、付近住民の手によるものでしょう。

札比内駅。
簡易委託駅、駅前の民家で乗車券を扱っている。

晩生内駅。(オソキナイエキ)
難読駅名として挙げられている、駅前の樹木を見ると歴史が分かります。

札的駅。
ホームと小さな木造待合室が直結。

浦臼駅、ふれあいステーションとして歯科診療所と同居。

列車通過する所でした。

鶴沼駅。
周辺に道の駅、温泉、キャンプ場がある環境で小さなホーム直結の待合室。
車社会の現実でしょうか。

於札内駅(オサツナイ)。
集落もなく田畑だけの環境、ホームに待合室だけ。

南下徳富駅。大木が歴史を表している。

下徳富駅。

新十津川駅。
沿線の中では大きな街ですが、利用者は少ないようです。
良く整理、清掃されてました。

新型コロナウイルスは廃線運行まで影響。
鉄路で発展してきた地元、1日でも長く走って欲しかった。
85年の歴史も4月17日が最終運行。
- 2020/04/19(日) 07:51:04|
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石狩市浜益区、黄金山山麓の巨樹『イチイの木』北海道ではオンコの木とも。
札幌からは、当別町から道々28号線当別浜益線を北上国道451へ。
石狩市から、国道231号線を北上し451号を右折の方法もある。
紅葉の季節ですが、自分は昨年から車生活卒業で、ネット及び石狩市
HPからお借りして紹介します。
交通の便の悪いところで、車利用でないと無理のようです。
黄金山。
標高740㍍,浜益富士とも呼ばれ、頂上からは暑寒別連峰、
積丹半島が一望できます。

推定樹齢1500年、全国6位だそうです。

樹高18㍍, 本当に巨樹です。

根回り5㍍以上だそうです。
日本海の北風、豪雪にたえた見事な姿。

昭和29年台風15号今でも忘れませんが、北海道では大きな被害がありました。
悲しい洞爺丸事故もありました。
森林の倒木被害も大きく報道されました、黄金山のイチイの巨木
頑張ったのですね。
- 2019/10/02(水) 08:01:28|
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5月15日、アイヌ文化発信『ミナパ』を投稿しました。
アイヌと共に、蝦夷地を探検北海道命名の父が松浦武四郎でした。
松浦武四郎は、三重県松坂市の出身で幕末から明治にかけ6回探査。
非常な筆まめで、地名、地形、行程、距離など151冊の調査記録を残してる。
当然アイヌの協力があっての事です。
アイヌに対する、和人(日本人)の非道を告発をした事もあったそうです。
『北加伊道』と蝦夷地の命名を具申したそうです、最終北海道に。
『加伊』→海に。 北海道ですね。
カイはアイヌ語で、『この地にうまれた人』と言う意味だそうです。
松浦武四郎、琴似、発寒踏破展です。

日本最北の関所。
八雲町JR山越駅にある看板。1801年函館から移設され日本最北の関所跡。
蝦夷地と和人の境であった。

ペリー艦隊函館来航、1854年4月の来航。

後方羊蹄日誌。
松浦武四郎の貴重な本。丸山道子訳。

安政6年のハッシャブ図。ハッシャブとはアイヌ語で現在の発寒。
手稲山をバックに開拓地の様子。川は現在の琴似発寒川か?
小屋は小休所だそうです。 松浦武四郎の筆まめが分かります。

蝦夷地最後の探検。
1858年41歳の時信じられない距離を踏破している。
各地のアイヌの協力があったのでしょうね。

小樽銭函から、現在の札幌西区発寒に立ち寄ってる。

氷雪の川を渡る図。
案内人はアイヌですね、『後方羊蹄日誌』より。

本願寺道路開削。
松浦武四郎の探査で、明治4年に開通した。
建設は東本願寺で、現在の国道230号線、中山峠。

松浦武四郎像

松浦武四郎は健康で健脚。
道なき道の探検、蝦夷地から北海道を開いてくれましたね。
- 2019/05/22(水) 07:40:09|
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アイヌ文化と北海道は深いかかわりが有ります。
道東のオホーツク文化も、アイヌ文化と関連が深く住居内に
熊の頭骨を集積し、熊にたいする信仰を持っていたと考えられ
ています。
幕末から明治初期にかけ、6回ほど北海道探検をした松浦武四郎は
各地のアイヌ集落の案内があってなしえたと言われています。
北海道の山岳、河川、町村、生活道具等の名称などはアイヌ語由来が
非常に多いです。
今回アイヌ民族伝統の技と、現代芸術家の発想の技のイベントが開催された。
会場は札幌市中心部のグランドホテル。

ロビーです。さすが一流ホテル。

案内。

会場光景。

アイヌ文様と樹皮を想像。現代芸術家作品。

アイヌ木彫の象徴クマ。
『春』ふきのとうで食事。

『夏』小熊を川で教育中。

『秋』溯上サケを捕獲。冬眠にそなえ十分な栄養が必要。

『冬』冬眠中。
雪穴で冬眠します。

織り機。 アイヌ語→アットウシカラペ。

樹皮衣。 アイヌ語→アットウシ。
アイヌの衣服には、ニレやシナノキの内皮で織った衣服や
サケ、マスの魚皮を継ぎ合わせた衣服。
ヒグマなど動物の毛皮の衣服が多かった。

矢筒。 アイヌ語→イカヨプ。

小刀。 アイヌ語→マキリ。
文様も奇麗ですね。矢筒と小刀を持ち野原をかけめぐったのでしょうね。

イクパスイと呼ばれる祭具。
北海道南部の上ノ国町で出土。
人間の祈り言葉を、神々に伝える役目を持つそうです。

お盆。 アイヌ語→イタ。 日本語板と関係あるのでしょうか?
上下、左右対称でありませんね、工夫されている。

編み袋。 アイヌ語→サラニプ。
プラスチック袋禁止の動きありますが、これはマイバックに最高。

アイヌ語→ユーカラクル。
床ヌプリ。

シマフクロウ。 アイヌ語→コタンコロカムイ。
札幌市南区、真駒内公園でも生息が確認されてます。

オオカミ。
昔は北海道にも生息してたと言われてますが?

樹布。

トンボ。 アイヌ語→ハンクチョツチャ。
現代芸術家の作品。

アイヌ文化には、サケとクマは生活上重要だったのですね。
北海道大学構内にも、アイヌの竪穴住居跡遺跡が発掘され
保存されてます。
- 2018/10/31(水) 08:03:43|
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道立文書館史料含め、明治期からの外交文書等初公開。
松浦武四郎の紀行集、樺太(現サハリン)アイヌ民族の歴史。
興味あるイベントが、道庁赤れんが庁舎であった。
現在は観光客の注目、道庁赤れんが庁舎にも長い歴史変化がありました。
会場風景。

開拓使札幌本庁舎。
明治2年開拓使を設置。『蝦夷地』→『北海道』となる。
明治6年洋風の開拓使本庁舎ができる。
未開拓の札幌原野に、異様に目立ったでしょうね。

赤れんが庁舎完成。
明治15年開拓使は廃止、明治19年に北海道庁が設置される。
明治21年に、道庁赤れんが本庁舎が完成。
約250万個のれんがを使用、以来80年間道政の中枢となる役割。

八角塔のない赤れんが庁舎。
明治29年八角塔、換気棟撤去される。
そんな、時期有ったのですね。 どんな理由だったのでしょう。

未来へ続く赤れんが。
昭和43年、80年にわたる道庁本庁舎の役割を新庁舎に移す。
昭和44年国の重要文化財に指定。

屋根に光る赤い星。
写真では分かりづらいですね、赤い星は『五光星』と言う。
開拓使を象徴するマーク、札幌時計台でも見られます。

明治6年の札幌市街。
中心部に多くの建築物が見られます、この頃には多く人が住んでたのですね。

開拓使の事業施策。
各府県から移民を招き、産業を起こしていきます。
三笠市の石炭運搬で、小樽手宮の幌内鉄道、札幌近郊の産業と
海産物事業が多かったようですね。

開拓使製造のラベル。
ビールと魚かんづめラベル。 赤れんが庁舎で見られる『五光星』マーク。

製造品、庁舎、時計台などに使われた五光星。

五光星マーク撮影に成功。 三角屋根下です。

明治13年人口分布。
総人口約22万人とある、色が濃いほど人口が多い。
道南函館地方が多いですね。
内陸は開発が進んでない事がわかります。

開発が早かった函館地区、平塚商店の図。
通行人の服装着物、洋装いろいろ、おもしろいですね。

教育も函館が早かった。 松前藩の関係でしょうか。
内潤学校。

樺太(現サハリン)アイヌ、対雁(ついしかり)に移る。明治8年。
日本と帝国ロシアで国境を確定する条約が結ばれる。
日本は樺太を放棄、千島18島を日本領土とする。
これにより、多くのアイヌの人たちが望んだ対岸の、北海道北部の宗谷地方では無く
江別市に近い、対雁となり非常に苦労をしたそうです。
記録によれば、アイヌ127戸 854人移住とあります。

小樽から札幌に向かう道路工事開始、明治12年。
翌年には開通。

明治20年代に入り、ようやく未開の内陸開拓が進む。
北陸、東北、四国地方の移住者が多かったようです。
オノ、ノコギリが中心の開拓、根気のいる作業でしたね。

江別市の、樺太アイヌ移住地の対雁(ついしかり)を訪問した
事があります。
樺太アイヌの人々の慰霊碑があり、公園として整備されてました。
- 2018/10/17(水) 07:50:27|
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札幌駅前通地下歩行空間で開催された。
北海道の美しさを世界に広め、環境保全にもつなげるのが目的だそうです。
初の写真展で、プロ、アマを問わず投稿してもらい約2000点の応募。
その中から、126点の秀作が展示されてました、道産子の自分にも初めての
光景作品の数々。
その中からグランプリ入賞作品など数点を紹介します。
写真を写真(撮影)(笑)。 会場が暗くスポット照明で自分の技術では
むずかしく画面があらい、おゆるしを!!!
撮影許可済
会場案内。 現在は終了してます。

会場です。 美しい126景。

風の造形。 撮影地 稚内市声間村。
山は利尻山でしょうね。

フップシ岳と天の川。 撮影地 千歳市支笏湖湖岸。
昔は天の川を見られましたが、最近は見るのに工夫が必要に成りましね。

タウシュベツ川橋梁。
糠平湖の旧国鉄士幌線、湖の水位で見え隠れします。
年々風化が進む。

渡り鳥の季節。 撮影地、岩見沢市北村。

昼寝。 撮影地、江別市文京台。
絶滅危惧種、道東のある森で、夜声はすれど姿はみえずの場所があります。
最近では、野幌森林公園、札幌真駒内公園で撮影された報道がありました。
なんとか、世代がつながると良いですね。

北海道も白い季節が近づいてますね。 撮影地、夕張郡長沼町。

夜明け。 撮影地、千歳市。

撮影地、中川郡大津元町。
美しい、ジュエリーアイス。

青い池。 上川郡美瑛町。
夏の青い池と違った美しさ。

岸辺の宝石。撮影地、中川郡大津幸町。
右下に宝石(氷)

126景の内、一部の紹介ですが本当に素晴らしい写真ばかりでした。
写真を使いブログを書いてる者として、参考になりました。
又、北海道には美しい所が沢山存在してることも!!!!。
追記。
この記事は、6日地震前に予約投稿したブログです。
我家近くの震度は、5強でしたがお陰さまで自宅の被害はありません
でした、震源地近くの被害には言葉もありません。
余震の無いことを祈って!!!
- 2018/09/12(水) 07:52:38|
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三笠市は、石炭と化石の街と言っても良いかも知れません。
今まで何度も訪問、何度かにかけてブログ紹介してきました。
しかし、抜けてる石炭歴史の場所がありました。
石炭輸送からスタートした旧幌内鉄道の中で保存されてる駅舎唐松駅と
唐松千代田地区の旧炭住街です。
まだ、雪深い3月8日訪問してきました。
札幌は雪も少なくなった時期ですが、三笠市に到着して驚き、さすが北海道
でも豪雪地帯、残雪の多さにびっくりでした。 唐松駅=とうまつ駅
三笠市の石炭と鉄道の歴史は、まさに北海道の石炭、鉄道の歴史と言って良いでしょう。
明治13年小樽、手宮から札幌まで北海道最初の鉄道が開通。
その後まもなく、三笠、幌内地区で石炭が発見され幌内太駅(旧三笠駅)と結ばれる。
三笠地区でも、幾春別、奔別地区でも石炭が発見、幌内鉄道として延長されその内の
一つの駅が旧唐松駅になります。
廃線後は取り壊しは無かったが、廃墟となり荒れ放題だったそうです。
現在は唐松町地元有志のボランテアで立派に、保存管理され訪れる人も多いそうです。
旧駅舎前にバス停があるようです。

深い雪で近づく事ができません。
半分くらい雪で埋まってるようです、本当に豪雪地帯。

旧唐松駅、夏の風景。 WiKipediaより。
開業昭和4年、廃止昭和62年。

待合室。
屋根は大きなギャンブレル屋根で、天井は高く広く感じるそうです。
本当に立派に管理されてるのが分かりますね。

旧唐松駅後方高台に、唐松千代田地区北炭系旧炭住街がありました。
唐松地区と幾春別川を挟み反対側には、弥生柳町があり住友系の炭住街があります。

無人の炭住街。
広い旧炭住街では、除雪がされてる生活されてる住居が有るのでしょうね。

窓には、ベニヤ板が!!!

旧炭住街のほぼ中心に共同浴場が。
生活されてる住宅有る事がわかりますね。

幌内鉄道の建設、技術を伝えた重要な人物が居ました。
その人は、アメリカ人のジョセフ・クロフォード氏で明治11年土木顧問として着任。
詳しくは次のクロフォード公園、三笠鉄道村ブログで書いてます。(リンク)
・2014,10,15
三笠市『日本ジオパーク』三笠市を歩く〜クロフォード公園〜三笠鉄道村
- 2018/04/11(水) 08:10:39|
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過去ログ
3月8日日本一のアンモナイト博物館、三笠市立博物館を訪問しました。
札幌市では融雪も進んでましたが、札幌から約60㎞ですが北海道の豪雪地帯
残雪の多さに驚きでした。
三笠市は北海道石炭の歴史を知るには最高の地です。今まで何度か訪問しましたが
博物館ははじめてでした。
『ひとまたぎ5千万年』と言う地層が見られ、垂直に隆起した泥岩、砂岩の約
1億年前の白亜紀層と、石炭層を含む約5000万年前の地層の観察ができます。
(雪が融けなければ無理ですが)
札幌市からは近い距離。
豪雪地区見落とすところでした。

2時間くらい見学させてもらいましたが見学者は私一人。
正面入口、除雪は完璧。

アンモナイト展示室。

日本最大級の標本、一部欠損部分は復元、中生代白亜紀。
直径1,3㍍。580㎏.

イカやタコの仲間で、中生代の海で大繁盛したそうです。
国内では北海道から最もたくさん見つかってる。

中生代白亜紀、大きい部類。

世界最大のアンモナイト、実物模型。
殻の直径 約2,5㍍.

『異常巻きアンモナイト』知りませんでした。
いろんな種類があるのですね。

これも異常巻き!!!

小型アンモナイト、正常、異常巻きいろいろあります。

標本の多さに感心です。

いろんなタイプがあります。
バネのような異常巻きでも、右巻き、左巻きがあるようです。

奥の方にも展示が!!!

肉食爬虫類モササウルスの仲間の頭骨の展示もあった。
三笠市から発見、国の天然記念物にも指定されたエゾミカサリュウ。

クリーニング道具です。
こまかな作業いろんな種類があります。

三笠市は石炭と化石の歴史でもあります。
玄関に展示の『大塊炭』 昭和54年三笠市幌内炭鉱、 約1500㎏。

帰りに職員から、貝の確認ができる小さな化石をいただきました。
小学生、中学生の夏休み期間中の石炭の歴史、化石の体験学習には
最高に充実したところと感じましたね。
- 2018/04/04(水) 08:05:17|
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過去ログ 晩秋
札幌市の北、石狩市をドライブ。
道内最古の灯台、石狩灯台が衣替え鮮やかによみがえった報道があり
寄ってきました。
映画『喜びも悲しみも幾歳月』のロケ地になった所でもありますね。
石狩川と石狩湾に挟まれた、ほとんど砂丘のような砂地でハマナスが多く
細長い半島のような地形ですね。
手前に石狩市の古い歴史を物語る、小さな集落が有り、そこから紹介しますね。
集落の砂丘の風資料館。

護衛艦いしかり主錨。

いしかりの説明。

旧かくに長野商店。 石狩市指定文化財。
創業明治7年市内最古級の石造建築物、札幌軟石が使われてるようですね。

窓はアーチ窓で洋風、屋根は瓦屋根で和洋折衷のデザインが特徴。

集落から石狩灯台へ。
すぐ近く。
はまなすの丘公園到着。

石狩灯台。
明治25年設置、現在の灯台は2代目で映画『喜びも悲しみも幾歳月』
のロケの時、カラー映えするようにと紅白の灯台になったそうです。

石狩川の堤防の右が石狩川、左が日本海の石狩湾。
映画の主人公佐田啓二、高峰秀子は地元旅館に宿泊
地元の子供も子役として出演。

砂丘には先端まで、観光木道があります。
数人散歩してますね。

北海道の大河川石狩川河口近く。
大雪山系を源とし、上川、空知、石狩の大平野から日本海に
注ぐ大河川です。全長268㎞あり日本第3位。

映画ロケ前の白い灯台、昭和28年頃。

職員住宅2軒。
商店から遠い、車も無い時代、冬季は厳しい北風大変でしたでしょうね。

石狩灯台は映画の為、紅白のカラー灯台になりましたがこれが
雪国北海道では、積雪期に見やすいとの理由で雪国の灯台の多くが
紅白に塗られるようになったそうです。
今年最後のブログ投稿になると思います。
訪問いただいてる皆様ありがとう御座いました。
- 2017/12/27(水) 07:33:01|
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札幌市に一番近い道の駅9月23日オープン。
札幌市の北、国道337号線石狩大橋を渡ってすぐ。
当別町の中心街より、札幌市のほうが近い道の駅。
訪問はオープン3週間後くらいでしたが、広い駐車場が一杯の来客
オープン当初は駐車場に入場するのに1時間待ちだったそうです。
正面から。

三角屋根が正面入口、左側が農産物コーナー。
当別町はスウエーデン王国レクサンド市と姉妹都市。
北欧風のベンガラ色に三角屋根が特徴です。

正面入口。 トイレは24時間使用可。

当別町紹介と案内板。

オープン3週間後ですが、駐車場ほぼ満車。

まわりは静かな田園風景。

農産物直売所。
田園風景が多い当別町、農産物コーナー狭いですね。

道の駅の中心、高い三角屋根。

北欧イメージ。

レストラン、テイクアウト店が多い。
食事中心のイメージが強い。
旅人の休憩、観光案内等は何処か分からなかった。

当別町の北側小高い丘の上にスウエーデンヒルズがあり
森に囲まれた自然型の住宅地があり、全住宅が北欧の住宅が立ち並らんでます。
有名人が別荘としてる住宅も有るそうです。
平成23年のデーターですが人口730人だそうです。
建物の構造はいろいろありますが、建材は同じで同系色です。

札幌市と道央の旭川方面の交通は国道12号、275号線利用が多い。
当別町道の駅は、札幌市に近い距離の道の駅、町民、市民の食事に重点
置いたのでしょうか。
関連する過去ブログ。
・ 2014年8月31日 【
当別町開拓と伊達藩】
・ 2014年9月03日 【
当別町開拓、当別神社、白樺公園】
・ 2015年4月10日 【
スウエーデンヒルズ、氷のホテル】
・ 2015年4月20日 【
小高い丘の上、北欧風の住宅街】
- 2017/11/22(水) 08:05:16|
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恵庭渓谷三箇所の滝の中で、最後の滝です。
駐車場がありません、ラルマナイの滝駐車場から歩きました。
そんな遠い距離ではありません。
白い帯が三段になって恵庭渓谷を、割るように流れ落ちることから
名づけられたそうです。
三段の滝へは少し歩きます。案内標識が。

道路の測道に絶景ポイントの案内。
親切です。

絶景ポイント正面から階段状が良く分かります。
三段の滝の意味を理解。

横から。

道々から川淵の道へ降り滝の真下へ。

釣りの親子が楽しんでる。
下流にダムがあるから、ヤマメは無理イワナでしょうね。

着きました、今までの二つ滝とは違いますね。

豪快な流れ。

滝と紅葉。

三回にわたり恵庭渓谷を紹介してきました。
現在では、木葉の落葉も進み滝の豪快な流れが引き立っているのでしょうね。
自宅から見える手稲山の山頂は真っ白の光景、天気が続いても消えない季節となりました。
スキー愛好家は待ち望んでるでしょうが、少しのガマンですね。
- 2017/11/06(月) 08:05:17|
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白扇の滝のすぐ近く。
ここも、駐車場、トイレ完備、滝見の橋、滝見の広場があります。
恵庭渓谷の大木の間から流れ落ちる滝で季節により生い茂る木々との
コントラストが見頃。
『ラルマナイ』とはアイヌ語で沢の両側がきりたち、急流で滝になっている所。
の意味だそうです。
滝見の橋が近くに、駐車場から歩く。

全体の光景。晩秋の滝見にぴったりの滝。
木葉が少なく良くみえます。

水量の少ない川床に落葉が。
晩秋の特別サービス!!!

滝は二つに分かれ川と合流。
その一方を木々の間から。

滝見橋から、散策路で川を渡り滝の正面の滝見広場から。

滝に沿い散策路があれば歩きたくなる滝。

昨日札幌市内でも、みぞれ模様となり気温も急に下がりました。
気持ちを冬モードにしなければなりませんね。
- 2017/11/01(水) 07:27:18|
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恵庭市、恵庭渓谷は札幌からそう遠く無い距離にあります。
札幌から支笏湖方面に向かう、国道453号線を進み道々117号線恵庭岳
公園線分岐を左折、約5㎞で滝に到着。
国道36号線の恵庭市方面ですと約18㎞あります。
滝は近い距離に3箇所あり、往復2㎞ぐらいで個性的な滝を楽しめます。
今回は『白扇の滝』です。
高さ15㍍、幅18㍍で真っ白な扇を広げたような姿から名づけられた。
駐車場、散策路、トイレが完備、無料。
駐車場には恵庭渓谷の観光案内板が。

散策路に東屋風休憩所。

散策路を歩く。
川には、砂利や石ころなど無いようで堅い岩盤のようで静かで優雅な流れ。

滝の上流部。
秋も深まり時々木葉の流れも見られた。

戻り滝に近づく。

滝の落下口近くです。

滝は近いが独特の音はない。
滝と言うより流れが急な処の感じか?。

『白扇の滝』の光景は散策路で先に進まなければなりません。

白い扇に見えるでしょうか。水量で変わるでしょうね。
魚止めの滝ですね。

滝つぼは深くないようです。

紅葉と滝、季節を問わず楽しめそうですが木葉の少ない
晩秋も滝を楽しむには、よさそうですね。

少し寒さの滝観光でしたが、自然の力強さを感じられましたね。
札幌は晴れの日が続いても、手稲山の山頂は雪景色のままです。
続きを読む
- 2017/10/29(日) 08:07:11|
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北海道では、すっかり平地でも初霜、初氷、初雪のニュースを耳に
するようになりました。
札幌市西方の山々で一番高度の高い(1023㍍)手稲山の山頂では常に雪景色
となりました。
前回18日ブログで、学園都市線廃線提案駅訪問紀を、その1として紹介しました。
今回は残り9駅を紹介します。
『札比内駅』さっぴない。
駅名由来は、アイヌ語『サツ・ピ・ナイ』(乾いた石ころだらけの川)
簡易委託駅で、駅前の茶店で乗車券を扱ってるそうです。

『晩生内駅』おそきない。
駅名由来はアイヌ語の『オ・ショキ・ナイ』(川尻が高くなってる川)
難読駅名としても挙げられてるそうです。 本当にそうですね。
駅前の樹木を見ると歴史を感じますね。

ホームから。

『札的駅』さってき。
駅名由来はアイヌ語の『サツテク・ナイ』『乾季になって干し上がる川』
やせる川を表現。
ホームと小さな木造待合室が直結。

『浦臼駅』
駅名由来は、アイヌ語の『ウラシ・ナイ』(笹のある川)
浦臼町の中心駅、ここから新十津川方面へは1日1本のみです。
駅舎が新築された際に『ふれあいステーション』と名付けられた。
歯科医院が入居してる、珍しい駅でした。
将来を考え町のアイデアでしょうね。

駅舎内の歯科医院です。

丁度1両編成の列車が入りました。

駅前広場では、寄り道サロンが。
中にはお年寄りが数人お茶を楽しんでました。
どうぞと声を掛けてもらいましたが、先に進む。後で考えると失敗でしたね。
学園都市線の考え聞けたのに!!!
浦臼町なかなかのアイデア町ですね。

『鶴沼駅』
駅の周辺は町営住宅があり、商店も集まり小さな集落を形成。
近くには、道の駅、温泉、キャンプ場などがある。
そんな環境なのに、ホーム直結の小さな待合室に学園都市線の現状を実感した。

『於札内駅』おさつない。
駅名由来は、アイヌ語の『オ・サツ・ナイ』(川尻が乾く川)
待合室だけが設置、集落もなく田畑と数軒の農家があるのみのようです。
駅名はアイヌ語由来が多いですね、北海道はいろんな言葉でアイヌ語由来
が多いですね。
『その1』で多かった待合室の旧客車改造の利用が『そのⅡ』では一ヶ所
も無いですね、小さいながらも木造待合室は故郷を感じますね。

駅前は黄金色の稲穂。

『南下徳富駅』みなみしもとっぷ。
待合室も設置されてなく、田園風景が広がる中にホームが有る。

『下徳富駅』
周辺は田園風景の小さな集落、レンガ建ての大きな農業倉庫などがある。
国道沿いにも集落があり、駅舎も大き目ですね。
大木が歴史を語る。

ホームから駅舎。

『新十津川駅』
学園都市線の終着駅である。2016年のダイヤ改正で終発時刻が9時40分となり
日本一終発の早い駅となった、 1日1往復です。
新十津川町は、沿線の中では大きな町ですが列車で札幌方面へがいかに少ないかを
表してますね。

待合室は今まで見て来た待合室と同様、住民と思われる心くばりが各所
に感じられました、椅子の手作り座布団、清掃等がそうですね。
木彫りの熊さんも何点かありましたよ。

新十津川町観光ソング。
『ふる里の駅』が駅舎に掲示されてました。町民作でしょうか。
故郷と学園都市線の気持ち良く出た歌詞ですよ、でひ読んで見てください。

1日1本の発車時刻表。

北海道医療大学から、新十津川駅までの各駅を訪問して受けた感想は
古くなった、木造の小さな待合室に入って椅子に腰掛けてみると、雰囲気が
故郷の感想なんですね、不思議!!!
私も現役時代は、学園都市線新川駅から札幌駅まで通勤利用してましたが、以降は
年数回の利用程度ですね、バス、地下鉄が多い。
- 2017/10/25(水) 07:35:08|
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現在は学園都市線の愛称で呼ばれてる、電車にも学園都市線の名称
で表示されてるから正式で良いのでしょう。
かっては終点だった留萌本線石狩沼田駅が終点だった時代は札沼線と呼ばれてた。
昭和47年新十津川駅〜石狩沼田間が廃止され、沿線に北海道教育大学や北海道
医療大学など学校が多くあることから、平成3年学園都市線とつけられた。
北海道医療大学までは、乗降客も採算にあう人数のようで平成24年電化もされた。
医療大学から新十津川間は1両編成の気動車のローカル線となってるのが現実である。
学園都市線は、当別町、月形町、浦臼町、新十津川町の4ヵ町にまたがってます。
現在運行本数を調べてみました。
札幌駅〜北海道医療大学駅 28往復
北海道医療大学駅〜石狩月形駅 8往復
石狩月形駅〜浦臼駅 6往復
浦臼駅〜新十津川駅 1往復
医療大学以降の廃線提案の現実を示す数字かも知れません。
今回医療大学駅から新十津川駅までのすべての駅を訪問してみてすべての駅舎
(待合室)でも感じたことですが、付近住民の待合室、その付近の手入れを見ると
愛着を強く感じました。利用は少なくなったが鉄道は懐かしさの象徴だから人を
引きつけるのでしょうね。
訪問した駅は17駅ですが、ブログは長くなるので2回に分けて投稿しますね。
路線図、小さく見づらいかも知れません。
かっての終着駅石狩沼田も上部にありますね。

『北海道医療大学駅』札幌駅からここまでは利用客は多いそうです。
ここまでは、6両編成です。

『石狩金沢駅』
駅名の由来、この地の道路を開墾した樺戸集治監看守長の出身地である
石川県金沢市に由来してる。待合室と反対側の利用は線路をまたいで行くようです。

待合室は、旧電車を改造再利用したものですね。
ホームは砂利道です。

『本中小屋駅』(モトナカゴヤ)

待合室には、付近住民でしょうか利用者でしょうか待合室に暖かさを感じる。

『中小屋駅』
当別町最北端の駅、以前は木造駅でした。
手前に木造駅舎だった時の基礎が残ってますね。

まわりは黄金色の稲穂が。

動画、23秒。 初秋のコオロギ、自然がいっぱいの路線。
静かな環境で音声を高くして聞いて見て下さい。
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VPS 『月ヵ岡駅』
ログハウス風駅舎、自伝車置き場も立派でした。
旧客車改造利用の待合室との格差を感じました、町の考えで設備されたと思うのですが??

ホームです。雨降り、吹雪はつらいですね。

『知来乙駅』ちらいおつ
駅名の由来は、アイヌ語の『チライ・オツ』イトウがたくさんいるところ。
イトウは現在少なくなりましたが、大河川に住む1㍍ぐらいにもなる巨大な魚です。
ここは、木造の待合室です。
小さな駅舎ですが、プランター等清掃も含めて気持ち良い。

『石狩月形駅』
駅名由来は、樺戸集治監初代所長の月形氏に由来。現在も月形刑務所はあります。
ここは、終日社員配置駅となってます。

駅舎窓口。

待合室の椅子には、手作り座布団想像ですが付近住民の学園都市線に
愛着のある方の作品にみえました。
窓口、待合室には花がどなたの気配りでしょうか。

『豊ヵ岡駅』
昭和35年に豊ヵ岡地区住民の請願により設置された請願駅。
雰囲気の良い木造待合室が設置、鉄道林に囲まれて駅の場所が分かりにくいです。

椅子の上の小さな人形、待合室の飾り、清掃、住民利用者の手によるもの
と感じとられました。
ゆっくり、休ませて貰いました。

長い歴史と、北国の風雪が想像できますね。

JR 学園都市線北海道医療大学から新十津川駅まで約中間まで『そのⅠ』として
紹介してきました。
平成28年この間の路線JR単独では維持困難路線として発表されました。
今後バス転換を沿線自治体と協議する事になるようです。
関連ブログ。(リンク)
石狩月形町関連では主に旧樺戸集治監関連。
新十津川関連では明治22年奈良県から苦難の移住歴史。
・ 【
新十津川苦難の移住歴史】
・ 【
旧樺戸集治監本庁舎】
・ 【
月形農業研修館】
・ 【
囚人望郷の円山公園】
- 2017/10/18(水) 07:40:25|
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ザ・ウインザーホテル洞爺は、洞爺湖の眺望の良い国道230号線から途中で分岐
ホテルを目指し走ると、まもなく山頂にゴージャスなザ・ウインザーホテルに到着です。
この国道は、仕事、洞爺湖観光で何度も通ってますが一度も利用したことがない。
高級感のイメージが強く、敷居を高く感じてたのでしょうね。
洞爺湖、そして反対側には噴火湾と天候しだいで退屈をさせない立地でした。
夏はゴルフ、冬はスキー等々設備も整ってます。
今回はコーヒータイム的な利用でしたが、ゴージャスで素晴らしいぶん、宿泊は
価格は高いようです。
ご存知の通りこのホテルで、平成20年北海道洞爺湖サミットが開催されましたね。
日本は福田康夫首相の時、フランス、アメリカ、イギリス、ドイツ、イタリア、カナダ、
ロシアのG8+欧州連合でした、議題の一つに地球温暖化対策があった記憶があります。
国道230号線から洞爺湖、中島の向こう側が温泉街。
ウインザーホテルと対面してます。

地図です。洞爺湖と噴火湾の中間の山頂、眺望が想像できますね。
国道から分岐、ホテル目指し山頂へ。

到着です、サミット会場となった立地分かる気がします。
警備の面からも考慮されたのでしょうか。

ラウンジから噴火湾を望む。

室内から噴火湾側のゴルフ場です。窓に室内が反射投影されてますが
雰囲気だけでも、冬はスキー場です。

客のお迎えも万全。

この先は、高級レストランが集中してるところのようです。

癒しの場所で、癒しのコーヒーでも。

ラウンジで生演奏を聞きながら!!!

紅茶でデザートタイム。

どこからでも、感動の光景。 天候にも恵まれた。

散歩。日本バブル期の建設。 貫祿十分です。

北海道洞爺湖サミット開催記念碑です。 遠くの山は羊蹄山です。
右の球は、地球をイメージしてるのでしょうか?

円板には参加国の国旗と、首脳のサインが刻まれてました。

一度は訪問したいと考えてたホテル、念願がかないました。
天候しだいで、イメージが大きく変わると感じました。
- 2017/09/27(水) 08:40:19|
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今年の北海道マラソン2017は、8月27日終了しました。
夏のマラソンですが、天候はめぐまれた条件に感じましたが!!
この大会は、東京2020年オリンピック日本代表選手選考競技会の一つでもあり
世界陸上競技会選考レースでもあるようですね。
今年のエントリーは17000人が上限と聞いてましたが、最終人数はまだ分かりません。
平成27年には、19000人のエントリーという数字もあるようです。
私は、マラソンコースから歩いて5分くらいですので、用件が無ければ毎年
応援させて貰ってます。 応援場所は往路で14~15㎞ 、復路で37㎞地点ぐらい
で、復路で先頭集団がゴールまで残り5㎞地点でデットヒート中でも、反対コース
の往路にはまだ、折り返し地点目指し走ってるそんな所で両方の応援で大変です(笑)
復路37㎞地点、トップグループが来るようです。

白バイの先導で!!!

残り5㎞地点でトップグループは、5人に絞られてるようです。
まだ、往路を走るランナーも!!!

途中棄権者の為バスも通過。

給水所、選手が集団状態になると大変です。
皆さんボランティアですね。

トップグループから、かなり時間が過ぎると集団のグループ
になり、皆さん楽しんでるように感じます。

仮装ランナーも多くいますが、このランナーは大変そうですね。

バス移動希望の方はどうぞ!!!

夏のマラソンですが、気候条件は良かったと思います。
走らない人の言う言葉ですが。

大集団です。がんばれ!!!

北海道マラソンは、昭和62年に始まってるのですね。
5時間以内に、フルマラソンを完走できることが条件なようです。
今回男子トップのタイムが、2時間14分48秒でしたが、オリンピック選考
参考レースとしては、少しものたりなかったでしょうか。
選手としては、今後の各種大会を考えながら走ってるのでしょうが。
- 2017/09/13(水) 08:25:02|
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江別市野幌の千古園散歩後、近くの道立自然公園、野幌森林公園に寄ってみることにした。
目的は北海道博物館見学でした。
森林公園探索は、何度かありましたが北海道博物館はまだ見学してない。
道産子は一度は見ておかないと!!!
千古園で、ゆっくりしてしまい閉館まで時間が少ない。
まとまりの無い、ブログに成りそうですがお許しお願いします。
北海道博物館です。さすが立派です。
反省ですが、展示内容が自分の好みにぴったりマッチング、余裕をもって再度訪問したい。

縄文人のおしゃれ。
遺跡の発掘、墓から出るアクサセリー、土偶などを調べることで当時のおしゃれが
知る事ができるそうです。
左上の二つの首飾りは、札幌近郊の恵庭市で発掘されたものです。

当時の生活のようすでしょうか、竪穴住居時代のようです。

北海道で初めて発見された、ナウマンゾウの足跡の化石。
幕別町。

ゾウの歯の化石。
上に2本、下に2本の大きな歯があり、しぬまでに5回もはえかわるそうです。

マンモスの時代。

アイヌ民族と和人の交易。
アイヌ民族の品々は、トド、アザラシの皮。クマの毛皮、海で捕れた乾物が見られます。
和人から手に入れたものは、米、酒、たばこ、鉄製品などが多かったそうです。

アイヌ民族と和人の交易。

時代は過ぎ、交易の為にアイヌ民族の村へやってくる和人(松前藩)との儀式
でしたが、場所請負制が広く行なわれるようになると、アイヌの人達が守らなければ
ならないことを和人が一方的に伝える場に変わっていったのですね。
伝えてる場面でしょうか。

明治16年の道内地域別アイヌ民族人口。

交易光景でしょうか、下の方に多くの荷物を運んでる人が見えます。

広い北海道、何処も大森林地帯。
開拓も大変だったでしょうね。

明治4年の札幌の開拓風景。現在の平岸地区。

大型の道具も必要でした。

我々高齢者にしか分かりませんが、子供の頃祖父から聞かされましたが、こんな悲しい制度
があった時代もありました。

大正時代になると、ようやく北海道の生活にも変化が出てきました。

私が子供時代の農作業風景と農機具、懐かしいです。

昭和の時代に入っても、思い出したくないことがありましたね。
『家庭も小さな鉱山だ』

北海道博物館は、延床面積8800㎡ あり、ゆっくり見学するには時間に余裕
を持つ必要がありますね。
私は時間の関係で、ほんの一部しか見学できませんでした、北海道の歴史を知るには
最高の博物館です、再度訪問したいと思ってます。
休館日 月曜日
開館時間 9,30~17,00
住所 札幌市厚別区厚別町小野幌53-2
TEL 011-898-0466
江別市、野幌森林公園関連記事。
・ 【
東野幌、千古園】
・ 【
レンガ造り円形校舎】
・ 【
レンガの時計塔】
・ 【
北海道開拓の村を歩く①】
・ 【
北海道開拓の村を歩く②】
・ 【
北海道百年記念塔】
- 2017/09/06(水) 08:27:09|
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札幌市から国道12号線を旭川市に向かい、約30㎞程度に江別市があります。
江別市野幌駅手前で、右折道道46号線に入るとまもなくでした。 江別市東野幌375番地。
この地、野幌開拓の移民団は旧長岡藩士宅に本社を構えた『北越植民社』誕生は明治19年。
関矢孫左衛門が初めて野幌の地を踏んだのが明治22年、翌年新潟の農民ら200人以上と共に
野幌への移住が本格化したそうです。
この千古園は、孫左衛門の屋敷跡で思いのほか広大でした。
最初は、巨木のブナがほとんどかと思いましたが、いろんな種類の古木、高木が多いのに
驚きました。
12号線から右折まもなく46号線ぞいに大木の森が目に入る。
千古園を示す案内板が。

千古園の大木の切れ目の広場に立つ『史跡千古園』の石碑。

千古園の中央付近に、大木の森の中で太陽が差し込む小さな広場
があった、孫左衛門の屋敷のあった場所かと想像してしまう。

広場のまわりは、長い歴史を思わせる大木、高木の連続。

千古園の外周にそって、大木の間に立つ石像、石像の裏には個人名があり
個人で建てたもののようです。

何本かが合体したように見えますね。

大木ブナの集団、みごとです。
老大樹のブナの種子は明治31年孫左衛門が出身地の新潟県から持ち帰ったものだそうです。
長い風雪に耐えてきたことを、想像して見てました。

3本に見えますが、実際は5本が長い歴史の中で合体した姿だそうです。

園のくぼ地に、池と東屋が開拓の疲れを癒した場所でしょうか。

関矢孫左衛門の指導で、開拓成功と発展を偲び村民が『留魂碑』としてここに据えた。
孫左衛門はこれを喜び周りを散策したそうです。

野幌独立移住民開拓記念碑。
独立とはどんな意味をもつのでしょうか。

江別市保存樹木ブナ。
道南地方が北限だそうですが、市内でも稀な巨木だそうです。
樹高 25㍍ 樹齢 120年

サワラ(保存樹木)サワラとしては有数の古木で高木です。
樹高 25㍍ 樹齢 95年

ミズナラ。 水分の多い木でミズナラと言うそうです。

キタコブシ(保存樹木) 樹齢 180年
大木、古木となり枝に支えが必要となってます。

シラカンバ(保存樹木)北海道では比較的良く見る木ですが、こんな大木は初めて
開拓当時そのまま残されている貴重な巨木です。

エゾヤマザクラ(保存樹木)
開拓当時の樹木です。 樹齢 95年

うだいかんば。
樹皮は良く燃え、鵜飼のたいまつに使われるそうです。

イチイ(保存樹木) 北海道ではオンコとも呼びますね。
こんな、高木のイチイは初めて、樹齢 210年

広い千古園で唯一見た花。

千古園から見えた、むぎ畑。
収穫時期のようです、孫左衛門の精神が今も引き継がれてますね。

千古園は江別市指定文化財になってます。
驚いたのは、この地区は豪雪地方広い園には大木、古木が多く守るため冬囲い
をしてるのだろうか、私は数と高木から自然にまかせてるように感じた。
一本の枝も折れた様子が無い、まわりのブナの大木が内側に多い保存樹木の古木
を守ってるようにも見える。
- 2017/08/16(水) 08:20:29|
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日本列島どこかの地区で、連日猛暑の報道。
近年の北海道も、本州並みに猛暑の日が多くなりました。
今年7月には、本州より気温が高くなった日がありましたね。
確実に温暖化を感じます。
その内、農産物品種が北上するかも知れませんね。
本日は、そんな時期画像で『涼しさ』を少しばかり感じてもらいたいと思います。
厳寒の時期、美瑛町白金温泉の光景です、H28,12,29の記録です。
白金温泉は、美瑛市街から十勝岳方面に向かいそんな遠くない
距離で、途中約4㎞の白樺街道を通ります。
冬の青い池、 雪で白い池。

夜でしたが、ライトアップされ、これも良しですね。

温泉街の美瑛川の橋から、厳寒の雰囲気十分。
『さぶそう』北海道弁、子供の頃使ってましたよ。

白ひげの滝。
崖の途中から地下水が湧き出てる。寒さで氷柱に!!!

比較のため、夏の光景も、H25,9,2.
夏の青い池。

コバルトブルーが良く表現されてます。

冬の氷柱も、夏には白いひげのように岩盤から、流れ落ちてます。
美瑛川もコバルトブルーが良くわかりますね。

白ひげの滝から、湧き出る水にはアルミニウムが含まれており
美瑛川の水と混ざるとコロイド状の粒子ができブルーリバー生成の元だそうです。
少しは、涼しさを感じたでしょうか!!!!
過去ブログ記事
・ 2013年10月12日 【
美瑛町と十勝岳、望岳台】
・ 2013年10月14日 【
青い池】
・ 2013年19月16日 【
白ひげの滝、吹上温泉】
- 2017/08/02(水) 08:30:00|
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友人Kさんのブログに三笠市の記事。
そこに、赤い三角屋根の旧炭住街の写真と記事、私としては?の気持ちで読ませてもらう。
私は、平成26年三笠ジオパーク開催時三笠市の炭鉱歴史を調査、訪問して
ブログにも何回にも分けて紹介した。 その他には炭鉱歴史は無いと思ってた。
三笠市の観光案内所は国道12号線にある、三笠道の駅にあります。
電話して見るが、赤い三角屋根住宅に付いては良く分からない返事、市役所の
商工観光課、ジオパーク推進係りを紹介された。
間違いなく、旧炭住街で有った事が確認された。
平成26年の私の取りこぼし、再度行くしかないでしょうね。
これが、又、楽しい。 二ヶ所の炭鉱が追加された。
赤い三角屋根の旧炭住街、 弥生柳町です。

幾春別川の橋の上から、ここで山側にも炭住街がある事を知る。
青い屋根の長屋が見えてますね。

集落に戻り、まわりの道路を散歩。
煙突も特徴的ですね。長い年月で修理などで形も変わったのでしょう。

散歩中、畑作業中の80歳過ぎのオバーチャンに出会う。
記憶力、話題も豊富おかげでここ弥生地区の歴史、長屋の歴史を多く知る事ができた。
弥生柳町の長屋と同じ建物は、他の場所にも多くあったそうですが
何故か、ここだけが残り今でも利用してるのが不思議と話してました。
二階には、7畳の部屋が有り夜勤時専門の部屋だったそうです。

坂を登り山側に行くと、旧炭住街と坑口跡が有ると教えられる。
オバーチャンありがとう。

何処の炭鉱跡でも見る旧炭住街景色。

窓がベニヤで塞がれてない所は住んでるのしょうか。
ゴミステーションがある。

旧炭住街は広く、場所により一般個人住宅もあります。

旧炭住街から、山側に有った弥生炭鉱坑口跡です。
この炭鉱は住友系炭鉱だったそうです。産業遺構ですね。

横から、昭和45年の閉山と聞きました。
風化で鉄筋が出でました。
奔別、幾春別、幌内各炭鉱と違い注目度が低いのですね。

坑口跡からさらに山側を歩いて見ました。
炭鉱設備と思われる、基礎コンクリートと小さな建物があった。

旧炭住街の石雲寺。

弥生地区炭住街と幾春別川を挟み、反対側にも旧炭住街有る事をオバーチャンから聞いていた。
行ってみた。 そこは北炭系の炭鉱で唐松千代田地区であった。

この旧炭住長屋は空き家が多いようです。

弥生地区と同じで、生活してる住宅もある。
また、一般住宅も見られた。広い住宅街の中心ぐらいに共同浴場が見られた。
写真撮り忘れた。

昔はなやかし時代の商店でしょう。
歴史を思いおこされる。

炭住街で会った人から、唐松地区にも旧炭鉱坑口が有ると聞き場所も説明受けたが
とうとう見つける事ができなかった。残念。
山側を歩いて居て、ただ一つ石炭時代の遺構と思われた巨大煙突。
(近くに行くには、山中のブッシュ越えとなり未確認ですが、石炭産業遺構と判断)

帰りに見た三笠市の田植風景、今の田植機械は一度に8列植えるのですね。
昔は、手植えだったのに変わりましたね。

赤い三角屋根旧炭住街は、私には三笠市の石炭産業時代の貴重な
建物と感じました。 今後も残されて行く事を願ってます。
※三笠市に関連する過去ブログ※(リンク)
・2014年10月15日
『日本ジオパーク』三笠市を歩く、クロフォード公園、三笠鉄道村 ・2014年10月18日
達布山石狩平野が眼下、空知集治監典獄官舎 ・2014年10月21日
幾春別地区旧炭鉱跡、1億年時間散歩 ・2014年10月24日
旧奔別炭鉱跡、当時は巨大で最新設備
- 2017/05/31(水) 10:15:28|
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過去ログ H28,4,1 見学
首を長くして、待った4月に入りましたね(笑)
札幌も日陰を除きほとんど、白い物体は無く成りました、散歩の足取りも軽い。
4月に入り、思い出したのが道医療大学温室の、普段は見る事のできない、ヒスイカズラ
の花でした、昨年の4月1日見学で訪問、ブログ投稿もなくそのまま、PC の中で眠ってました。
一年遅れの投稿になりますね。
丁度今時期の開花ですから、道医療大学訪問可能な方は珍しい花を見学できる可能性あります。
ヒスイカズラの原産地はフイリピンで、森林開発で絶滅が心配される貴重な植物となってます。
北海道医療大学正面入口、守衛さんに挨拶。

薬用植物園温室、大学構内の山側になります。

このように、花芽を何ヶもつけてのびてます。
ヒスイカズラの木は、平成14年の大阪の大学から苗木として譲り受け
平成17年初めて、感動の花を咲かせたそうです。

開花した花、まだ蕾みの花いろいろ。

小さな蕾みが約1ヵ月ぐらいで開花、一つの花は3日程で落ちるそうです。
青緑色と言うのでしょうか、不思議な花です。
花の時期は、4月一杯楽しめるそうですよ。

温室では、他にも研究用の植物が多く見られます。

イカダカズラ、南アメリカ熱帯性花木。

コーヒーノキもありました。
エチオピアでは、観葉植物としても栽培。

ハートカズラ。
ナタール産、葉の形通りの名。

道医療大学は、JR 線だと札幌から学園都市線で時間はそんなにかかりません。
車ですと、275号線が便利です。
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- 2017/04/06(木) 16:42:33|
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今年の北海道の思い出、と問われると残念ながら水害と先日の大雪でしょうか。
夏には、北海道としては珍しい台風3本の直撃。
先日の大雪は、50年ぶりと報道があったが私には12月としては記憶に無い。
1 ㍍近い積雪、 一部を除き全道的な被害のようです。
今日の報道では、『大雪渋滞 動かぬ札幌』と有ります、バスも運休路線が今でもあるようです。
一般住宅街の市道は、一車線の交互通行状態、ゆずり合いですね。
この状態の解消には、一月中になるとの報道も、車を使う仕事は大変でしょうね。
秋から変、さわやかな秋晴れの記憶が無い、奇麗な紅葉もほとんど見てない、その前に落葉してた。
道央、道北では本日の朝、氷点下25℃の所があったそうです。
気候の恨みぶしばかりに成りましたが、報道の一部と26日だけ快晴でしたので比較を!!
26日以降はまた不順な天候に戻ってます、何とかして下さい。除雪で悲鳴が聞こえます。
交通機関の大混乱の報道。

千歳空港で2600名が24日の聖夜を迎える。
空港から、毛布、寝袋支給されるが不足で自衛隊からも補給されたそうです。

大荒れの22~24日の後、25日は珍しく快晴に朝日もまぶしい手稲山(札幌市の西方の山)
たった一日の晴れ。

翌日にはもうこの状態、前の写真と同方角になります。
山麓も見えない。

手稲山から小樽方面に続く山麓です。
25日の快晴の日。

前日の大荒れが嘘のよう、札幌市の中心JRタワー方面
朝日で輝いている。

翌日です、前の写真と同じ角度、たった一日の青空悲しくなります。

札幌市の雪のシーズンはこれから、排雪場所に苦労ですね。
来年は、全国的に明るい話題が多い年だと良いですね、皆で祈りましょう。
今年最後のブログに成ると思いますが、こんな内容に成りすみません。
本年訪問いただいた皆さん、本当にありがとう御座いました。
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- 2016/12/28(水) 20:43:22|
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蔵出し投稿、8月上旬撮影
恵庭市は札幌市から、国道36号線を千歳市に向かいます。
千歳市に近いでしょうか。
えこりん村には、とまとの森の他に、花の牧場、ヒツジのレースが楽しめるみどりの牧場
1000種類の植物が季節ごとに咲く銀河庭園等、広大牧場と考えてよいでしょう。
天気が良ければ、家族で楽しめますね。
『とまとの森』到着。

お願い事項が有ります。

木箱の中から一本のとまと、とまとの木ですね。

見学者も多い、皆驚きの声。

完熟が進むと見事でしょうね。

『水耕栽培』だそうです。一日約200ℓの水を飲むそうです。
ハウス全体に広がるよう工夫されてるようです。

『ほめて、はげまして』とあります、まさにそうですね。
約3300個の実を付けてるのです。

ギネス認定も理解ですね。

アイデア考えた人、どんな方でしょうね。

普通のとまとの何本分でしょう。

この『とまとの木』は昨年の11月26日に種を植えたそうで
見学した時は約240日目ぐらいでした。
実の数は全体で3321個その内赤は1260個と有りました。
数えるのも大変そう。
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- 2016/09/30(金) 11:10:00|
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8月に発生した台風は7個あり、その内6個が日本に接近し、その6個すべてが
北海道に近づき、3個が上陸しました。
私の記憶では、青函連絡船の洞爺丸が沈没し大きな人的被害の有った15号台風
の記憶以外、今回のような大きな被害の記憶が有りません。
特に道東を中心に、農業被害は甚大なようです。 お見舞い申し上げます。
報道を見てると、今年の被害は当然ですが、来年に向けた再建も心配されます。
こんな時こそ『行政が表に出て』見える形で再建に取り組んでほしい。 台風一過の8月末ある日の夕日は、『荒し雲が流れる』夕焼け風景でした。
夕日に照らされる南方面、市中心部中央は札幌駅JR タワー、遠くは支笏湖方面
ですが、雲が低く早い流れをしてました。

西に移動、藻岩山方面です。

甚大な被害を出した台風も去り、夕日が沈もうとしてます。

早いスピードで流れる雲は、いつもは、癒してくれる夕日の風景では
有りませんでした。

おだやかな日々を願ってます。

素晴らしい夕日と、思える日が早く来ますように。

台風12号が北上してるようですね。
静かに去って下さい、と祈るしか有りません。
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- 2016/09/05(月) 10:44:09|
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過去ログ
3月18日栗山町『北の錦』酒蔵を見学(ブログ紹介)。
国道に酒蔵と並ぶように、大きな看板『谷田の日本一 きびだんご』が目に入る。
子供の頃、ももたろうの物語と共に懐かしい響き、栗山町にあったのです。

寄ってみる事に、見学ができる。
ももたろう物語の絵が良いですね。

工場です。 『北の錦』酒蔵同様レンガ作りの建物。
大正2年設立、創業100年の歴史ある菓子メーカーです。
それも、きびだんご一筋。
工場に入ると、2階に細い通路が有り工場側は前面ガラス張り、大勢の女子従業員が作業。

駅前の町内、観光案内板で『坂本九思い出紀念館』が有る事を知りました。
なぜ、九さんと栗山町の関係が!!! 寄ってみました。 郊外の大井分地区。
九さんは生前、北海道STVテレビ『ふれあい広場サンデー九』に出演し、各地の福祉施設
で励まし活動に長年関わり、活動をしていたのですね。
栗山町大井分の福祉施設に『栗山ハロー学園』のロックバンドのコンサートに出演したのが
交流を深めるきっかけなったそうです。
坂本九思い出紀念館です。
近くには、施設が何棟か並んで建ってました。

我々年代には、懐かしい歌手、あの透き通ったような歌声が
聞こえてきそうです。
あの日航機事故の二週間前にも、大井分を訪問してたそうです。

記念館の隣りには、立派な歴史を感じる寺が。
参拝をしてきました。 常正寺です。 楼門でしょうか、本州ではよく見かけましたが
北海道では珍しと思いますね。

本殿です、庭園も整備され立派な大きな寺です。

常正寺に続く庭園を散歩。

散歩の目的は、遠くに本州でよく見かけた古民家があったからです。
廃屋になってました。
調べて見ると、歴史はやはり本州でした。
300年前、秋田県男鹿市の海岸、地元の網元が建設、200年ほど経ち昭和60年、常正寺
の住職が譲り受け北海道へと渡ってきた古民家でした。
当時は一部家畜舎も同居してたそうで、家畜舎の上部が使用人の部屋になってたそうです。
楓山荘と言ってた。 ポストが気に成りましたね、なぜ?

本州の建築様式ですね。 内部は雨漏りでシートが張ってましたが
このままでは、本当の廃屋になってしまう、何とか助けてほしい気持ちで見て来ました。

茅葺き屋根、家紋が。

壁の一部には、樹皮が使われてる部分もありました。

栗山町は札幌市に近いのですが、今回初めて栗山町の歴史の一部を
知る事ができました、 想像以上に歴史が有った。
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- 2016/04/22(金) 12:02:12|
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栗山町は札幌から、車で約1時間程度でしょうか。
日本ハム栗山監督と同名の町で、監督との友好関係も強いそうです。
町内には、監督が手がけた球場も有るそうですよ。
訪問したのは、残雪も少なくなった3月18日でした。
明治初期からの老舗酒蔵があると聞き、春気分に誘われドライブをしてきました。
明治11年創業で、商標の『北の錦』は初代小林米三郎が北海道のこの地で錦を飾って
やろうという意気込みを表したものだそうです。
栗山JR駅です。 立派な駅舎でしたよ。

私は初めての、町訪問でしたが小さな集落を想像してましたが
広々とした街並でした。
駅前通りです。

案内図で行き先確認。

途中に有った、栗山天満宮で参拝。
地域の歴史は、神社、仏閣を見ればだいたい歴史の古さが想像できますね。
栗山町は古い歴史がありそう。

目的地到着です。
貫祿の『北の錦』紀念館が有りました。 ここの酒蔵は訪問者が多い。

正面入ってすぐ目に入った『くりやまトゲ抜き地像』
イガ栗を手に持つこの『くりやまトゲ抜き地蔵』は町おこしのシンボル
として製作されたそうです。

館内は小林酒造の歴史的資料と、当然名酒の販売です。

最近見なくなりましたね。

歴史ある酒蔵、貴重な展示物も見られます。

小林家所蔵の貴重な芸術品と言ってよいでしょう。

昔の甑倒し(こしきだおし)の祝宴風景
仕込みが終わり、ご苦労さん会でしょうか。

懐かしい物も数多い。

近郊には、昭和初期に多くの旧産炭地に囲まれており、
炭坑員に愛され成長した歴史もあるのでしょうね。
子供の頃よく見かけたポスターです。

先代小林氏の部屋。手回し式の計算機が見えますね。
私も使ったことが有りますよ、古い人間ですね。

応接室。 北海道の田舎町とは思われないですね。

別室の資料館には、代々受け継がれた懐かしい
品々が展示。

工場入口です。

通路には昔使った製造用品が並べられてました。

敷地は一万坪、18棟の蔵が点在し西洋建築のレンガ蔵が美しさを保ってます。
『登録有形文化財』指定。
雪の中に見えるのは、昔のボイラです。

国道から見た蔵。

昔は工場の一部だったのでしょうか、今は資料館の一部になってます。

中央に大きな杉玉が見えますね。
新酒ができた合図になるそうですが、今は常時下げてるようです。

小林家住宅、現在一部開放してるようです。

栗山町にこのような古い歴史ある、蔵元が有るとは想像もしてませんでした。
酒蔵と言えば、北海道では旭川を思いうかべます。
小林酒造の主流は古酒製品で長く酒を寝かせて、その色はまるで稲穂となり
『北の錦』の命となっているそうです。
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- 2016/04/15(金) 14:22:30|
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日本一の秘境、小幌駅、小幌洞窟、岩屋観音は11月26日のブログで紹介しましたね。 晩秋の過去ログ
早めに海岸から、小幌駅に戻り休憩してると伊達市から来たと言う、二人の女性と会う。
この小幌が好きで、何度も来てるそうで、その中で私には想像もできない一人の人生
を知る事になりました。
車はもとより、遊歩道すら無い、海岸線沿いは断崖絶壁と言うこの小幌駅近くの森に
人が約20年間生活をしてたと言うのです。 豊浦町では『小幌の仙人』と表現してたそうですよ。
土地は民有林か、町有林か私には不明ですが、黙認してたのですね。
伊達市の女性は、良く話をしたそうです、気さくな方だったようですね。
住居跡に案内してもらいました、小幌駅から岩屋洞窟とは反対側の尾根の遊歩道方面でした。
文太郎浜、ピリカ浜方面ですね。 歩いてすぐの所でした。
『小幌の仙人』は2007年に体調をくずされた所を釣り人に発見されヘリで救出されましたが
残念ながら2008年に亡くなったそうです。 この模様は『激録交通警察24時』という番組
で全国放送されたそうです。
仙人の小屋のあった所ですが、年数も経っており今は笹薮で木が無く
少しの広場が昔を残してました。
近くには、小屋を整理した材木が笹の下になって仙人の生活を支えた面影が残ってましたよ。

小屋跡近くには、生活用水を引いたと思われる
ホースが残されてました。

近くの沢には、奇麗な湧水が。

住居跡に有ったビン類です、何のビンでしょう?
仙人は、少しは隣り町の静狩でアルバイトもしてたそうですよ。
伊達の女性の、話では年金も少々出てた話も聞いたそうです。

住居跡と遊歩道の近くには、いろいろな生活用品が。

遊歩道側には、ドラム缶の風呂があったそうです。
電気の無い生活、人との会話もほとんど無い20年間、夢の世界のようです。
『仙人』と呼ばれるのも分かりますね。
(お借りした写真)

小幌洞窟側ガケの上に有った仙人製作のベンチ。
まだ、まだ風化して無く、立派に休憩ベンチとして利用されてるようです。

遊歩道をピリカ浜側にさらに進むと、断崖絶壁の上にネコの額ほどの
開けた空間が有りました。
海岸には、ローソク岩、ピリカ浜を望む絶好の場所。
そこにもベンチが、 仙人はここから海をながめ、夕日をながめていたのでしょうか。

マムシ注意の看板も。

散歩してると、晩秋ですね小鳥が喜びそうな木の実が。
初めて見る、見た目は美味しそうな色ですが。


冬の『小幌の仙人』の生活は、小幌駅の小さな待合室があり(今は無い)
そこで生活、ストーブもあったそうで小幌駅の除雪等をしてたそうで、JRも黙認して
たそうです。
伊達市の女性二人に会った事で、想像も出来ない一人の方の人生を聞き
生活の一部を感じる事ができました。
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- 2015/12/03(木) 13:27:50|
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