5月15日、アイヌ文化発信『ミナパ』を投稿しました。
アイヌと共に、蝦夷地を探検北海道命名の父が松浦武四郎でした。
松浦武四郎は、三重県松坂市の出身で幕末から明治にかけ6回探査。
非常な筆まめで、地名、地形、行程、距離など151冊の調査記録を残してる。
当然アイヌの協力があっての事です。
アイヌに対する、和人(日本人)の非道を告発をした事もあったそうです。
『北加伊道』と蝦夷地の命名を具申したそうです、最終北海道に。
『加伊』→海に。 北海道ですね。
カイはアイヌ語で、『この地にうまれた人』と言う意味だそうです。
松浦武四郎、琴似、発寒踏破展です。

日本最北の関所。
八雲町JR山越駅にある看板。1801年函館から移設され日本最北の関所跡。
蝦夷地と和人の境であった。

ペリー艦隊函館来航、1854年4月の来航。

後方羊蹄日誌。
松浦武四郎の貴重な本。丸山道子訳。

安政6年のハッシャブ図。ハッシャブとはアイヌ語で現在の発寒。
手稲山をバックに開拓地の様子。川は現在の琴似発寒川か?
小屋は小休所だそうです。 松浦武四郎の筆まめが分かります。

蝦夷地最後の探検。
1858年41歳の時信じられない距離を踏破している。
各地のアイヌの協力があったのでしょうね。

小樽銭函から、現在の札幌西区発寒に立ち寄ってる。

氷雪の川を渡る図。
案内人はアイヌですね、『後方羊蹄日誌』より。

本願寺道路開削。
松浦武四郎の探査で、明治4年に開通した。
建設は東本願寺で、現在の国道230号線、中山峠。

松浦武四郎像

松浦武四郎は健康で健脚。
道なき道の探検、蝦夷地から北海道を開いてくれましたね。
- 2019/05/22(水) 07:40:09|
- 北海道
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「大友亀太郎」という人は知りませんでした。
どこかで名前を見ても、記憶になかったのかもしれません。
あるいは、札幌についてはあまり調べていないから、知らないのかもしれません。
N.PIKAさんの、過去の記事にあるか、これから調べてみます。
いずれにても、ありがとうございました。
- 2019/05/23(木) 10:40:38 |
- URL |
- yamashiro94 #-
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> 昨年、北海道へ行く前に、北海道の開拓の歴史をいろいろ調べました。
こんにちは。松浦武四郎は最後は、幕府から命を受けて探検してるのです。
したがって、『北加伊道』の具申をしてるんですね。
北海道の海岸線全周は、約2500㎞あります、所々で内陸入ってるから相当の距離
それに、道なき道でしょうから、アイヌの案内あったとしても健康、健脚が理解できます。
旅中、川、山、地名をアイヌ語で記録それが、現在の名称の基礎になってますね。
札幌市の発展には、明治初期大友亀太郎がいました、今の創成川を大友堀として完成
させ札幌市東西分岐の起点となり、札幌発展に大きく寄与してます。
北海道では、松浦武四郎、札幌には大友亀太郎が寄与したのですね。
- 2019/05/23(木) 09:24:28 |
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- N.PIKA #-
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昨年、北海道へ行く前に、北海道の開拓の歴史をいろいろ調べました。
もちろん松浦武四郎のことも調べてみました。
「1858年41歳の時信じられない距離を踏破している」と書かれていますが、本当にその距離に驚きます。
もちろん「アイヌの協力があった」からできたのでしょう。
北海道の開拓の歴史を知るにつけ、開拓はそう簡単なことではなかったことを知ることができました。
- 2019/05/22(水) 17:14:14 |
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- yamashiro94 #-
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